文化・芸術

2013年8月31日 (土)

「赤の女王」仮説

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今年の夏の異様な猛暑に、「これまでとは違う」と地球環境のただならぬ異変が脳裏をよぎった人も少なくなかったはずだ。熱中症で死なないために冷房の温度を下げる。ペットボトルで水分を補給する自販機が雨後のタケノコのように増殖する。それらは電力消費を無際限に増大させるばかりか、熱気をお構いなしに放出し、地球温暖化をますます加速させる。こんな悪循環の中に日本は今やはまり込んでしまっている。

ルイス・キャロルの『鏡の中のアリス』に登場する「赤の女王」は、全速力で走っているのにいっこう前に進まないと訝(いぶか)しがるアリスに向かって、

「そうさ、ここではね、同じところにいようと思うと、お前は全速力で走り続けなくちゃいけないのさ。」

と叫ぶ。

アリスの「鏡の世界」ではすべてが逆さま。自分ではなく、周りの世界が高速で動いている。現代の世の中、アリスの悪夢を誰しもが共有している。猛烈なスピードで変化していく社会・環境、そのメリーゴーランドに乗っていて同じ風景を見続けようとすれば、メリーゴーランドの上で走り続けるしかない。我を忘れて走り続けるうちに息切れがして倒れてしまうか、メリーゴーランドのスピードに追いつけない者は社会的不適応のストレスに晒されて鬱(うつ)になるか。

どこかで、誰かがメリーゴーランドのブレーキを破まなければ、遅かれ早かれ破局は不可避だ。これまでも誰もがそれに気づいていた。しかし、誰かがブレーキを踏んでくれるものと期待しながら、自分では踏めないでいる。そんなことをすればメリーゴーラウンドから転がり落ちてしまうからだ。

今も続く福島原発災害を目の当たりにして、これは私たち人間に対する自然の警告だと受け取らなければ、被災者は浮かばれまい。メリーゴーラウンドの回転軸が焼き切れる前に、「自然」が車軸に砂を撒いたのではあるまいか。

進化生物学者のリー・ヴァン・ヴァーレンが唱えた「赤の女王」仮説というものがある。生物は現状を維持するためには、環境の変化に対応して進化しなければ絶滅する。例えば、捕食者(例えばキツネ)はもし被食者(例えばウサギ)がよりすばやく敵(キツネ)の接近を察知する能力(例えば、耳が長くなる)を獲得すれば、今まで通りに餌を取るためには、より速く走れるように進化しなければならない。

感染症と人間の関係も、互いに走り続けなければならない関係だ。抗生物質が強くなればなるほど、また広範に使用されればされるほど、細菌やウイルスは耐性を強化する方向に進化してゆく。それは際限のない「軍拡競争」みたいなものだ。その競走に負けた種は絶滅してゆく。

現代の「速度=効率=コスト」という一元的な価値を競い合っている国際経済も同様の破滅の道をまっしぐらに突き進んでいるように見える。

ところで、1980年にW.D.ハミルトンがもう一つの「赤の女王」仮説を提出した。それによれば、両性による生殖は、無性生殖よりもコストが掛かるにもかかわらず、絶えず新しい組み合わせの遺伝子型を作ることで、進化速度の速い細菌や寄生者に対抗しているという。

ハミルトンの仮説は、「速度=効率=コスト」に対抗する何よりも有効な手立てとして、「多様性」があることを示唆してはいまいか。それは、多様なものを排除するのではなく、多様なものをできるだけ多く包含する「懐の深い」生命の在り様(世界)に思いを致させるのである。

ここでも、「草いろいろ おのおの花の手柄かな」(芭蕉)の精神が何より大切なのだ。

2012年9月14日 (金)

Flamma Vestalis(ヴェスタの炎)

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Flamma Vestalisとは、「ヴェスタの炎」というラテン語だが、ローマ神話のかまどの神ヴェスタの巫女のことを指しているらしい。この小さなエッチング(15X40センチ)はエドワード・バーン=ジョーンズ展(兵庫県立美術館で開催中)で私がもっとも心ひかれた一枚だ。

背景をなす風景の細部に至るまで丹念に描かれた少女像。少女の表情には、レオナルド・ダ・ヴィンチのマリア像を彷彿とさせる高貴な精神性が宿っている。

エドワード・バーン=ジョーンズ(1833-1896)はダンテ・ガブリエル・ロセッティの薫陶を受けたプレ・ラファエリズム(ラファエル前派)の画家で、キリスト教中世への憧憬をテーマに、中世の聖ゲオルギウスなどの聖者伝説、「円卓の騎士」などの中世騎士譚、「いばらり姫」などの伝承説話、そしてギリシャ神話に取材した作品を多く残した

それらはほとんどすべてが寓意(アレゴリー)画で、描かれている人物たちは細密に描かれれば描かれるほどに、リアリティをはぎ取られ、血の通った人間としての厚み・奥行きを失っているように見える。しかし、描かれた素材が美しくも虚ろな器であれば、観る者はそこに自分の想像力を自由に存分に注ぎ込むことができる。リルケの言う「世界内面空間」での自由な飛翔が可能になる。

下のタペストリー(壁掛け)は、バーン=ジョーンズの原画によってウイリアム・モリス工房が制作した「巡礼を導く愛」の一部。「愛」の天使は弓矢を手にしているが古代神話のキューピッドではなさそうだ。沼地を越えて「愛}が「巡礼」を導く先は、キリスト教的な愛の王国であろう。天使の足元にカワセミが描かれている。カワセミは、何の寓意だろう。

冒頭に掲げた「ヴェスタの炎」には、むしろ想像力の自由な飛翔を拒む厳しい美しさがあるように思われた。

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2012年4月20日 (金)

ヘフリガーの日本の歌を聴く

ヘフリガーが歌った日本歌曲集のCDを聴いた。ドイツ語訳の『この道』、『花』、『城ケ島の雨』、『さくらさくら』、『出船』などなど。

聴きなれた日本語の歌をドイツ語で聴くことにためらいがあったが、ヘフリガーの声が響き始めたとたんに、すべての先入見が消え去った。そこに深々とした色を湛えて広がっているのは、国も民族も超えた原初的な心の風景だった。

『出船』では、「無事で着いたら便りをくりゃれ / 暗いさみしい火影のもとで / 涙ながらに読もうもの」というフレーズが、

"Wenn du gut / angekommen, schreib mir einenn Brief! Im dunkeln Kaemmerlein / beim Kerzenflackerscheine hier / werd' ich ihn weinend lesen, Ach. waer' / ich bei dir! "

とドイツ語で歌われる。語彙・音数の多さから、ドイツ語は「何と説明的な」などと言ってはなるまい。日本語の詩にはないAch. waer' / ich bei dir! (ああ お前のそばにいられたら!)に込められた感情は、「くりゃれ」「ものを」という日本語表現と等価なのだ。あるいは、そう思わしめるのはヘフリガーの歌唱力、人間としての深さ、大きさなのだろう。

ヘフリガーは、私には何といってもカール・リヒター指揮『マタイ受難曲』の福音史家(エヴァンゲリスト)だ。初めてその声を聴いたときの感動が今も忘れられない。ヘフリガーの張り詰めたテノールは、繊細にして豪放、リリカルにしてドラマティック、明確にして深い陰影に富んでいた。『マタイ』を繰り返し聴いた日々のことを懐かしく思い起こした。

 ... エルンスト・ヘフリガー,ERNST HAEFLIGER,ユニバーサル

2012年4月 1日 (日)

渡辺京二『逝きし世の面影』

渡辺京二『逝(ゆ)きし世の面影』(平凡社ライブラリー)を読んだ。幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人の目と筆を通して描かれた日本の風景、人びとの姿、暮らしの記録から,、美しくもおおらかだった「逝きし世」の面影を再構成し追体験しようとした書である。「愛惜でも追慕でもない」と著者は書いているが、行間からは今は消え失せた過去の日本の姿が、まるで夢まぼろしのように浮かび上がってきて、ときに胸に熱いものがこみあげてきた。

英国使節団の一員であったオズボーンは、1858年(安政5年)長崎の土を踏み、「この町でもっとも印象的なのは男も女も子どもも、みな幸せで満足そうに見えることだった」と記した。その後日本を訪れたほとんどすべての異邦人が同じ印象をいだき、彼らの目に日本は「妖精の住む不思議の国、小さくかわいらしいおとぎ話の国」と映ったのだった。

幕末、1861年春プロシア使節団のヴェルナーは、長崎の金毘羅様の祭礼に胸を揺すぶられた。「すでに何千という凧が30メートル上空で入り乱れ、うなりを上げていた。少なくとも一万人が集まっていた。大地は豊かな緑におおわれ、そこに家族連れが休息場所をつくり、持参した弁当を広げていた。(私たちは)行く先々で手をひかれ草の上に坐らされた。(・・・)ここには詩がある。ここでは叙事詩も牧歌もロマンも、人が望むありとあらゆるものが渾然一体となって調和していた。平和、底抜けの歓喜、さわやかな安らぎの光景が展開していた」と書く。

1889年英国公使の妻として来日したメアリー・フレイザーの目には「この国の下層の人々は、天が創造し給うたさまざまな下層の人間のなかでももっとも生き生きとして愉快な人々」と映った。

厳しい身分秩序が当時人びとに過酷な暮らしを強いていただろうことは想像に難くない。しかし、1873年(明治3年)に来日したチェンバレンは日本には「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と書いている。

1889年に来日した英国の詩人エドウィン・アーノルドは「生きていることをあらゆるものにとってできるかぎり快いものたらしめようとする社会的合意、社会全体にゆきわたる暗黙の合意は、心に悲嘆を抱いているのをけっして見せまいとする習慣、とりわけ自分の悲しみによって人を悲しませまいとする習慣をも含意している」と記した。

それらの「ユートピアとしての日本」像を、西欧優位のいわば「上から目線」=オリエンタリズムと断罪し、社会の裏面・暗部に目が届いていないとする批判に対し、著者は果たしてそうだろうかと問いかけている。

「(異邦人の目に映ったものが)圧倒的に明るい像だとするならば、像をそのように明るくあらしめた根拠について思いをはせよう。ダーク・サイドのない文明はない。また、それがあればこそ文明は豊かなのであろう。だが私は、幕末、日本の地に存在した文明が、たとえその一側面にすぎぬとしても、このような幸福と安息の相貌を示すものであったことを忘れたくない。なぜなら、それはもはや滅び去った文明なのだから。」

そしてこの「滅び去った文明」の意味を、渡辺さんは次のように解き明かしている。当時来日した外国人の「衆目が認めた日本人の表情に浮かぶ幸福感は、当時の日本が自然環境との交わり、人びと相互の交わりという点で自由と自立を保証する社会だったことに由来する。浜辺は彼ら自身の浜辺であり、海のもたらす恵みは寡婦も老人も含めて彼ら共同のものであった。イヴァン・イリッチのいう社会的な「共有地(コモンズ)」、すなわち人々が自立した生を共に生きるための交わりの空間は、貧しいものも含めて、地域すべての人々に開かれていたのである」と。

藤村の『夜明け前』は私のもっとも好きな書物の一つだが、このたび『逝きし世の面影』を読んでその理由の一半がよくわかった。『夜明け前』に描き出された幕末期の庶民の暮らしを満たしていた「豊かな貧しさ」とも言うべきものに、私は得も言えぬ「懐かしさ」(私自身がそれを体験したわけではないが、身体の奥深くに沁みこんだ歴史の記憶)を感じていたのだろう。そしてまた、そうした「豊かな貧しさ」が急速に失われていったことに心疼くような悲しみを感じていたのだ。『逝きし世の面影』はそのことを私に気づかせてくれた。

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2011年9月17日 (土)

大阪ことば学・続

前々の記事で『大阪ことば学』を取り上げたが、本をめぐるエピソードだけでは、羊頭を掲げて狗肉を売ることになろう。少しだけでも本の中身に触れておこう。著者は日本語学者なのだが、方言学者ではない。したがって、この本は大阪弁を言語学的に客観的に検証しようとの目論見で書かれているわけではない。

著者は、大阪で生まれ、大阪で育った、大阪弁をこよなく愛する大阪人だ。大阪弁を愛する大阪人にしかわからない大阪弁の微妙なニュアンス、屈折が(これは日本語学者ならではの)鋭さで見事に浮き彫りにされていて、私のような大阪人には「我が意をえたり」と思わず膝を打ちたくなるが、これを他郷人に納得してもらうのは容易ならざることであろう。

客観性を放棄しているわけではない。客観性を超えてしまっているのだ。しかし、そのことはこの本の欠点では決してなく、何よりの強みであり、魅力だ、と私などは思う「あばたもえくぼ」というのは、好きにならなければ決して分からない美点・魅力というものがある、ということなのだから。

著者によれば、大阪弁の最大の特色は対人、対自関係における絶妙の距離感覚ということになる。他人との間合いを正確に測りながら、事がもっともなめらかに進むようにことばを繰り出す。ことばを一ひねり二ひねりする。ことばに色を添える。ことばの「身ごなし」の軽やかさ、しなやかさ、そしてしたたかさ。

大阪弁の「当事者離れ」と著者は呼んでいるが、つまり渦中の当事者としての自分から自在に距離を置き、自分を第三者的に見、語る能力が大阪弁には備わっている。他郷人には「無責任」とも受け取られかねないが、そうではない。離れた高いところ(または、低いところ)から自分をつき放して見ることによって、見えないものが見えてくる。自分の可笑しさ、愚かしさ、悲しさも見えてくる。それが大阪の「笑い」になる。

私の紹介がいささか抽象的で、それで「具体的にどうやねん?」と言われそうだが、それは本書を読んで下さい。一つだけ実例として、本書で引かれている島田陽子の「うち知ってんねん」の一節だけを挙げておこう。

あの子 かなわんねん / うちのくつかくしやるし / ノートは のぞきやるし / わるさばっかし しやんねん / そやけど / ほかの子ォには せえへんねん / うち 知ってんねん

そやねん / うちのこと かまいたいねん / うち 知ってんねん

下の写真は先日訪れた比叡山坂本の石垣。不揃いな自然石をそのまま積み上げて、ひょっとしたら千年来(?)ずれることなく揺らぐこともない。

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2011年7月23日 (土)

放射線と感染症

中村仁信『低量放射線は怖くない』を読んだ。著者は大阪大学で長年放射線医療に従事してこられた医師。放射線被曝によって体内に発生した活性酸素が遺伝子(DNA)を損傷し、発ガンのリスクにつながる。ただ人間の周囲には、放射線だけでなく、活性酸素を生みだすリスク要因がたくさんがある。例えば、運動による過呼吸もそうである。急激な慣れない運動は、やはり「年寄りの冷や水」で避けた方がいいらしい。

しかし損傷を受けた遺伝子も、それを修復する免疫機構が人間には備わっている。免疫力を高めることでがんの発生は抑えられる。低量の放射線はむしろ免疫力を高めるというのが、著者が長年の研究と臨床経験から得た結論である。

というより、現実には喫煙やストレスによる発ガン・リスクは放射線による発ガン・リスクよりはるかに大きい。それを棚上げにして、低量放射線に過度に敏感になったり、無用の恐怖心を煽るのはどうか?まず、放射能、放射線とは何かを知ることから始めようというのが中村先生のご意見である。

そして、山本太郎『感染症と文明-共生への道』を読んだ。「目から鱗」ではなくて、「やはりそうなのか」というのが私の感想だった。

人類が感染症とともに歩んできた歴史は長い。農耕、定住、家畜、人口爆発という人類の文明化の過程こそ、じつは感染症の温床であった。その過程で人類は幾度も破滅に瀕した。すさまじい戦いの結果、ペスト、ハンセン病、天然痘、ポリオはほぼ根絶された。今や、疫病のない明るい夢の未来が開けたかと誰もが思った。

が、その矢先、突如思いもかけない強力なウイルスの出現に息を飲んだ。エボラ出血熱、エイズ、サーヅ、鳥インフルエンザなどなど。大河の氾濫を恐れて堤防を高くすればするほど、洪水の被害は壊滅的になる。感染症との戦いの手を緩めることなく、しかし他方では感染症との持続的な(戦略的)共生の道を探るべき時代に来ているのではないか、と著者は言う。

放射線と感染症、ともに医療の最前線で体を張って戦い続けてきた著者たちの言葉は重い。そしてまた、謙虚さに満ちている。

低量放射線は怖くない 低量放射線は怖くない

著者:中村仁信
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感染症と文明――共生への道 (岩波新書) 感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

著者:山本 太郎
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2011年6月23日 (木)

住吉大社御田植神事

牛を田に入れて<代(しろ)かき>をした水田に踝(くるぶし)の上まで浸かって早苗を一本一本泥の中に植えこんでいく田植えは、私の子どもの頃、日本のどこででもまだごく普通に見られた風景だった。田植えの終わった田んぼには、オタマジャクシやドジョウ、ミズスマシやゲンゴロウが泳いでいて、雨のなか傘をさして、田んぼの畦にいつまでもうずくまって見ていたものだ。今は水田自体ほとんど消えてしまった。

10日ほど前の6月14日、「住吉大社御田植神事」を見学した。朝10時過ぎから始まった神事は夕刻に及び長い一日だったが、農事には身体の奥深くで共鳴共振するものがあり、感動した。

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「住吉大社御田植神事」のユニークな点は、大阪の花街の芸妓さんたちが祭の主役を担っていることだ。上の写真は植女(うえめ)としての芸妓さんが練り行列の準備をしているところ。平安朝風(?)の装束があでやか。

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御稔女(みとしめ)と八乙女(やおとめ)が豊穣を祈願する舞を奉納するなかで、菅笠、紅白の衣装・襷を着けた植女たちが田植えをする見る人誰もが時空の彼方にまぼろしを見るような、遠いまなざしになっていた。

2010年7月 4日 (日)

稲垣仲静・稔次郎兄弟展

ずいぶん以前のことだが、『芸術新潮』で「でろりの美人画」という特集があって、そこで見た「花魁(おいらん)の図」に鮮烈な印象を受け、深く記憶に焼きついていた。このたび、京都国立近代美術館で開催された稲垣仲静(ちゅうせい)・稔次郎(としじろう)兄弟展(6月27日迄)で、偶然その絵に再会したときには、息を呑んだ。

仲静・稔次郎兄弟については、家内の昔の友人から「大叔父に当たる人の展覧会がある」との連絡を受けて、その存在も画業も詳(つまび)らかにしないまま足を運んだのだった。不思議な因縁に導かれているような気がした。

兄の仲静(1897-1922)は大正11年に25歳で急逝しているから、画歴は短く、作品もデッサンなどの習作がほとんどだ。しかし、鳥や獣などの鋭い描線で描かれた克明な写生画の印象は強烈だ。凄まじい凝視と徹底した写生の果てに、写し取られた対象の背後から不気味な世界(おそらく死の世界)が浮かび上がってくる。「花魁の図」は仲静のものだった。

仲静の、デューラーか岸田劉生の自画像を思わせる「デモーニッシュな」自画像を見ていると、自画像と花魁図が重なって、彼が自己凝視の果てに見ていたものを思い慄然とした。

弟の稔次郎は超天才タイプの兄の画業を畏敬し、同時にその圧迫に苦しみながら自分の道を切り開いて行った人なのだろう。画業の中心を「型絵染」に移し、昭和37年に人間国宝に認定され、翌年亡くなっている。その絵の恬淡とした明るさは、やはり一つの偉業であろうという気がした。

大正から昭和にかけて京都画壇で活躍した兄弟だが、二人の資質は対照的といってほど違っている。弟は兄には負けまいと思い、しかし「いつの日か兄弟展の実現を」と長らく夢見ていたそうだ。

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引っ張りだしてきた古い『芸術新潮』に、「花魁の図」を見つけた。

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2010年6月 7日 (月)

ゾーヴァの箱舟

注文していたミヒャエル・ゾーヴァ(Michael Sowa)の画集『ゾーヴァの箱舟(Arche Sowa)』が届いた。ゾーヴァのいろんな絵本から取ってきた55枚の絵は、どれも不思議な魅力に満ちている。何だか哀しくて、何だか可笑しくて、少しグロテスクで、おおいに謎めいている。

ゾーヴァは1945年生まれのドイツの絵本作家(または挿し絵画家)。『ちいさなちいさな王様(Der kleine Koenig Dezember)』以来、私は彼の絵のファンだ。ゾーヴァの絵は見ても見ても、見飽きることがない。というより、見ているうちに頭がぼんやりしてきて、いつの間にか時間が経ってしまう。まるで「時間泥棒」みたい。

多くの絵には、おもく雲の垂れ込めた(北ドイツらしき?)風景の中に、ブタやニワトリやイヌやヒトの不思議な<たたずまい>が描かれている。風景は、木の葉の一枚一枚、雲の一片一片、砕け散る水しぶきの一粒一粒まで、細密画のようにリアルに描き込まれていて、空気の重さが見る者の膚に直接触れてくるようだ。

そして、一枚の絵に描かれているすべては、ヒトもトリもケモノもモノも、どれもがお互いに対してそっけないほど無関心だ。絵を見ている者に対しても。

<今、ここに、こうしてあるだけ>。今という時間が、過去からも未来からもきれいさっぱりと切り離され、どんな来歴(いわく因縁)、どんな主義・主張も語りかけてこない。描かれているすべてのものの間に、価値のどんなヒエラルキー(位階秩序)も存在しない。

それでいて、一切のものが<今、ここに、こうしてある>ことの<かけがえのなさ>、<おかしさ>、<哀しさ>、<せつなさ>を黙って惻々と語りかけてくる。

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2010年3月 1日 (月)

心の自彊術 ― アラン『幸福論』

この1年、週に一度千里中央の「自彊術」教室に通っている。インターフェロンの副作用で体力・気力の著しい衰えを自覚したとき、これではいけないと通い始めた。全身のこわばった関節を動かして、「気」(血液、リンパ液、+アルファ)の流れを促進する体操である。教室に通うのは週一回だが、体操は毎日続けている。インターフェロンを1年半何とかやり遂げられたのは、自彊術のお蔭だと思っている。

本当は一日2回するべきところなのだが、今のところ1回しか出来ない。「1日2回を続けたら、元気なままでぽっくりと往けますよ」というのが教室の先生のお言葉。呵呵大笑。この気持ちのゆとりが嬉しい。

このごろアランの『幸福論』(原題は『幸福についてのプロポ』)を折にふれて覗いているが、まことに<心の自彊術>といった趣きがある。邦題は『幸福論』だが、「論」ではなく「術」と訳した方がよかったかも知れない。

今日、自彊術の帰り北緑丘の千里川沿いまで足をのばして小鳥の姿を探しながら歩いていると、雨が降り出した。傘を持たずに出たので、濡れそぼって自宅近くの喫茶店に入った。『幸福論』」を開いて「雨の中で」という章を読み始めた。

「ほら、雨がちょっとふってきた。君はまだ通りにいるので、傘を広げる。それでいい、それだけのことなのだ。「また雨か、なんということだ。ちくしょう!」と言ったところで何の役にも立つまい。そう言ったところで、雨のしずくや、雲や、風が変わることはまったくないのだ。どうせ言うのなら、「ああ!結構なおしめりだ!」となぜ言わないのか。(・・・)そう言うことは君にはいいことなのだ。体中に張りが出てきて、ほんとうに温まってくる。なぜなら、それこそが、どんな小さなよろこびでも、よろこびの動作のもつ効き目なのだから。(下線は筆者)」

幸福論 (岩波文庫)

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