心と体

2014年6月29日 (日)

ミラーニューロン(鏡神経細胞)

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 梅雨空にクチナシの花が匂っている。クチナシの花に出会ったら、両手のひらを思い切り広げて、クチナシのまねをしてみよう。ひょっとしたら、クチナシのように手のひらが芳しく匂いたつかもしれない。

 大井玄さんの「病から詩が生まれる―看取り医が見た幸せと悲哀」(朝日新聞出版)を読み、心を打たれた。

 そのなかの「笑顔と笑うこと」という章に、「ミラーニューロン(鏡神経細胞)」の話が出てきて、「やっぱりそうか!まねすることは生きることの基本の基本なんだ」と膝を打った。

 「あくび」が伝染することはよく知られているし、誰もが一度は体験しているはずだ。それでいいのだ、あくびを見たらあくびをしよう。しかし、なぜだろう。テレビ画面のあくびまでこちらに移ってくるから、感染物質が移動して来ているわけではない。心理学的な現象ではあろうが、厳密に言うと「脳神経生理学」的な現象だそうだ。

 1980年代にイタリアの大脳生理学者がサルの大脳に「ミラーニューロン(鏡神経細胞)」を発見した。サルはすぐにほかのサルのまねをする。その「サル真似」の元凶が「ミラーニューロン」だと突き止められたわけだ。

 むろん、まねはサルよりも間違いなく人間のほうが上手(うわて)。しかし、人間の「ミラーニューロン」がサルよりもいっそう複雑精緻な構造を持つことは明らかだろう。ところが、人間の進化の歴史は、まねを次第に蔑むようになり、「独創」をやたらと持ち上げる方向に進んできた。それによって、共同体の絆が無力になってきた。文化の悲劇である。

 それはそれとして、ヒトもサルも他者の動作を見ているとき、自動的に脳の中で同じ動作をしている。そればかりか、「ミラーニューロン」の振舞いによって心の中にも同じ情動が生まれているのだ。

 他人の笑顔を見ると、それを見ているひとも自然に微笑んでいる。悲しんでいるひとを見て、思わずもらい泣きをする。他者への共感こそ、人間を人間たらしめているもっとも重要な心の働きであるとすれば、「ミラーニューロン」は何にもまして「人間の証し」なのだ。

 赤ちゃんの脳には、きっと働きの旺盛なみずみずしい「ミラーニューロン」が多量に存在しているに違いない。だから、赤ちゃんはまるで「鏡のように」ひとのしぐさをまねする。ひとの笑顔をじーっと見つめて、花のつぼみがほころびるように笑う。赤ちゃんはそうしながら「生きる」ことを学んでいく。

 老いて大脳皮質が磨り減っても、脳内から「ミラーニューロン」が消えないようにしたい。


2010年11月 5日 (金)

希望のつくり方

玄田有史さんの『希望のつくり方』(岩波新書)を読んだ。「つくり方」という表題に惹かれたのだ。『カレーライスのつくり』とか『味ごはんのつくり方』みたいに、これを読めば「おいしい希望」ができますよというそんな感じが、とても好い。

本の中に、Hope is a Wish for Something to Come True by Action.という「希望」の定義めいた英語の文が出てくる。そして、掲載されている写真で、玄田先生が達磨さんのような表情で「H]「W]「S]「C」「T]「A」の6文字を腕文字でポーズされている。「こう来たか!」と思って、思わず笑いがこみ上げた。

私は決して揶揄して言っているのではない。真面目な話、「希望」を、具体的に、こんなにケレン味なく語れるのは、並々ならぬことだと心底感じ入ったのだ。

「ウィーク・タイズ」という考え方が紹介されている。「緩やかな絆」。「自分とは異なった情報を持っている人とのゆるやかなつながり」、「いつも会うわけではないけれど、ゆるやかな信頼でつながった仲間」のことだそうだ。

玄田先生、あるとき若い知人に「ウィーク・タイズできた?」と訊いたら、「先生、ウィーク・タイズをつくるにはお金と時間がかかるんです」という答えが返ってきた。先生はそう言われてみればそうだなと思いつつ、「けれど、本当に必要なのはお金や時間ではなくて、すぐに理解できない相手であっても共感しようとする姿勢です」と書いている。

この何だか頼りなげな物腰が、玄田先生の真骨頂、これがじつは強いのだ。

希望のつくり方 (岩波新書) Book 希望のつくり方 (岩波新書)

著者:玄田 有史
販売元:岩波書店
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2009年12月28日 (月)

ゴイサギの「気配」

散歩の道すがら鳥たちの姿に接することが多くなって、以前は見えなかった鳥の姿、以前は聞こえなかった鳥の声が少しずつ聞こえるようになった。鳥たちの多くは人間の気配に敏感で人が近づくとすっと飛んでいってしまう。そういうわけで鳥の姿を捉えるためには、こちらも鳥の気配に敏感でなければならない。鳥の「気配を感じて」カメラのレンズをそちらに向けるという「咄嗟の身ごなし」も少しずつできるようになってきた(武芸者でもあるまいし、「いつもの大ボラだ」と突っ込みを入れられそうだが)。

こんなふうに書くと、気配って何?と訊きかえされるだろうが、説明できないところが<気配>の<気配>たる所以である。

最近読んだ福岡伸一『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)の中に、「どこからか密かに見つめられているとき、私たちはその気配をすばやく感受できる。誰もが経験的に知っているこの不思議な知覚について、意外なことに生物学は未だ何の説明もできていない」と書かれていて、「そうだよ、そうだよね」と思わず相槌を打った。

福岡先生によれば、どこからか私をじっと見つめている視線は光(多分赤い光)の粒子を放射していて、私は網膜の周縁部(中心部ではない)でその光の粒子を捉えているのだそうだ。

メバチマグロなどの魚の目は、網膜の下部に「反射板」を備えていて、外から目に入って網膜を通過した光をもう一度網膜に送り返すそんな構造になっているらしい。光を増幅しているのだ。深海や夜陰に活動する生物の目は、闇の中でギラリと光る。反射板で照り返された光が目の外へと出て行くからである。フクロウやコノハズク、然り、タヌキやネコ、然り。とすれば、夜行性動物ほどではなくても、人間の目が光ってもおかしくはない。

その光を捉えるのは、目の中心ではないて網膜の周縁であるというところが、まことに含蓄に富んでいると私には思える。

そして今朝、自宅の向かいの梨谷池のそばを通ったとき、私の網膜の周縁が捉え、そして咄嗟にカメラのレンズが捉えたのは、ゴイサギ。日が暮れてから活動する夜行性のサギらしい。黒い瞳を取り囲む深紅の虹彩が印象的。これが<気配>の正体だったのだ。

ゴイサギは以前、地味な体色の幼鳥の写真を掲げたが、成鳥はこのように濃紺の背中と純白の腹部が美しい。

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2009年12月10日 (木)

自己発見としてのバードウオッチング

ここ一ヵ月半ほど「俄(にわか)バードウオッチャー」暮らしの毎日だが、デジカメ片手に散歩していて近頃とみに鳥の気配に敏感になった。これまで目にしていても見えていなかった鳥の姿が見えるようになった。同じカモにも、コガモもいればマガモもいるし、カルガモ等々たくさんの種類がいて、それぞれ少しづつ見分けられるようになってきた。鳥たちとの付き合いは、<未知の自分>とのスリリングな遭遇の連続である。

図書館から借りてきたり、自分で買ったりした鳥類図鑑を十冊近くも机の上に積み上げて、ためつすがめつしている。そして、鳥類の区別がなかなか難しいこともわかった。雄と雌、幼鳥と成鳥、夏と冬で装いを変える鳥も少なくないのだ。

先日、自宅脇の梨谷池のそばを急ぎ足で歩いていると、ふと鳥の気配を感じて足が止まった。これまで見たことのない鳥だった。カラス大の中型鳥で、こちらに向けた背中の模様からとっさに「フクロウかな?タカかな?」と思った。どちらも、こんな都市部の昼間にいるはずのないない鳥で、自分でもおかしいくらいのディレッタントぶりだ。

その鳥が振り向いて横顔を見せた。まっすぐな長い嘴、黄色い虹彩に黒い瞳の鋭いまなざしだ。

カメラに収めたその鳥の種類を同定するために、いつものように鳥類図鑑との悪戦苦闘、そしてついに今日同じ姿の鳥の写真を見つけた。「やった!」という感じ。

これは、ゴイサギ(五位鷺)の若鳥だ。成鳥とはまったく装いを異にしている。羽の模様から「ホシ(星)ゴイ」ともいうそうだ。

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2009年11月 9日 (月)

インターフェロン治療にとりあえずのピリオド

私事にわたることで恐縮。.昨年6月15日の入院以来1年半続いた「C型肝炎ペグイントロンとレヴェトール併用療法」に、この11月3日とりあえずのピリオドを打った。振り返ってみて、よくぞここまで来たものと思う。

3クール(72週)のインターフェロン注射(週一回)とレヴェトール投与(朝1カプセル、夜2カプセル)の間、予想以上に強い副作用に苦しめられた。多くの人の励まし、家族の支えがなければとてもゴールに辿りつけなかった。完治か否かは、6ヶ月経過しないと確認できない。月1度の検査と診察が続く。ウイルス完全駆除の可能性は6割から7割ほどとされている。低い治癒率と副作用から来るQoL(生活の質)の低下を考えると、何度もリタイアの誘惑に駆られた。

副作用には二つがあって、一つは注射後2~3日続くインフルエンザ症状(微熱、全身倦怠、筋肉痛など)、もう一つは持続的なもので一年半の間に変幻自在に現われた。全身に広がる蕁麻疹、気道の炎症による咳と痰、軽い嚥下障害、そしてQoLにとってもっとも深刻だったのは味覚障害による食欲不振。慢性的な副作用は、併用療法が惹き起こす<極度の貧血>から来ているようだ。(まだ残念ながら過去形で語ることができない。)

治療開始前65キロあった体重が今年の5月には48キロにまで減った。貧血の数値も限界を超えたので、主治医の判断で薬の量を約3分の2に減らした。最後の半年間は体力の衰えがいちじるしく、それと比例して気力の衰えもあって辛い日々であった。

しかし、とりあえずはゴールに飛び込んだ。解放感を味わっていると同時に、これから自分の体調がどう変化してゆくのか、固唾を呑んで見守っている心境だ。

併用療法が終わって1週間後の先週末、38度台の熱が出た。幸い翌日には平熱に戻った。インフルエンザではなさそうだ。身体が治療終了という状況の大きな変化に対応できずにいるのだろうか。解放感に冷や水を浴びせられたようで、私の気持ちはややとまどい気味だ。

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2009年10月10日 (土)

ホタル

秋も急勾配に深まってゆくこの季節にいまさらホタルでもあるまいという気もするが、このごろブログ記事を書いていると、自分がまるで中空に浮かび漂っているホタルを捕らえ両掌の隙間に遊ばせて、指の間からもれる光をじっと見つめているみたいに思えて、ふと

 もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂(たま)かとぞ見る

という和泉式部の歌を思い出した。私のホタルも「わが身よりあくがれいづる魂」の一種なのだろうか。

では「もの思ふ」とは何か。大野晋「モノとは何か――ものがたり、もののあわれの意味」というすぐれた研究(『語学と文学の間』 岩波書店 2006年 所収)がある。私たち日本人の心の歴史を考える上で、欠かすことのできない文献だ。

大野氏は「モノとは個人の力では変えることのできない『不可変性』を核とする。(・・・) 具体的には社会の規制・規定のことであり、儀式・行事の運用であり、人生の成り行き、あるいは運命、あるいは道理、また忘れがたい、動かしがたい事実などでもある。今日では、一般にモノといえばまず物体を意味すると思われているが、それは物体も不可変な存在であると見た」からであると書いておられる。

したがって「もの思ふ」とは、一般に受け取られているように「何となく思うこと」ではない。モノとは「自分の過去の記憶の中にある忘れられない事実」をさすことばであり、「もの思ふ」とは「人の世の定めのあわれさ」、「過ぎ去った逢瀬と別れ、その取り返しのつかなさ」を思うことなのである。

「もののあわれ」が、とりわけ「男と女の出会いと別れのあわれさ」を意味するようになったのは、平安中期以降、『源氏物語』に拠るところが大きい。同時代の和泉式部の和歌もそれに与り、日本人の心の歴史に艶な色彩を添えてきた。

とはいえ、「取り返しがつかない」のは男女の仲だけではない。齢(よわい)を重ねるとは、「取り返しのつかない」ことを積み上げてゆくプロセスだ。過去の「取り返しのつかなさ」に気づくとき、魂は「あくがれ」て、つまり身体という本来の居場所を離れてホタルのように中空に漂い出てゆく。

終戦直前南洋のどこかの島でアメリカ軍の総攻撃を待ち受ける夜、青く光る木が闇に浮かび上がる幻想的な光景を見た何人かの日本兵がいた。じつは無数のホタルが群がって光るマングローブの木だったらしいが、ひょっとするとおびただしい戦死者の魂が群がる「ホタルの木」だったのかもしれない、と私にはそんな気がする。

語学と文学の間 (岩波現代文庫)

2009年8月13日 (木)

朝がお

寅さんのマドンナの中に「朝がお」という少女はいなかったかしら?いたような気がするが、家族はいないという。朝の笑顔がすてきな少女だったはずだ。今朝、ベランダで「朝がお」さんに出くわした。

小学生のころ夏休みになると、出欠カードを首にかけ朝露を踏みしめながらラジオ体操に出かけるのが好きだった。そのときの爽快な気分は、青い朝がおの記憶と結びついている。夜の冷気と青い闇を包み込んだ朝がおが、まだ眠い瞼にそっと触れてくると、体の芯の方で急に生命が鼓動し始めるような気がした。朝がおの「青」を何とかしてとどめておきたいと、摘んだ花を白いハンカチに塗りたくったことがあった。少年の初恋のようなものだ。

 朝がおや 一輪深き淵の色(蕪村)

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2009年8月 7日 (金)

ヒメアカタテハの午睡(おひるね)

羽鷹池のほとりでヒメアカタテハを見かけた午後、家に戻ってウトウトまどろみながら考えたのは、荘子の「胡蝶の夢」。

 「むかし荘周(周は荘子の名)、夢に胡蝶となれり。栩栩然(くくぜん:ひらひらと)と舞いて胡蝶なり。自ら楽しみて心に適えるかな。周たるを知らざるなり。にわかにして覚むれば、蘧蘧然(きょきょぜん:まぎれもなく)として周なり。周の夢に胡蝶となれるか、胡蝶の夢に周となれるかをしらず。」

福永光司先生は注解に「夢見れば胡蝶としてひらひら舞い、馬となれば高く嘶(いなな)き、魚となれば深くもぐり、死者となれば墓場に静かに横たわればよいではないか。(・・・)夢と現実の混淆のなかで、生きたる混沌としての道(タオ)を、生きたる混沌として楽しもうというのである」と書かれている。

人の霊魂の蝶への「輪廻転生」説は、その起源がどこにあるかは別にして、広く世界各地に遍在している。そして、今も生き生きと人々の心を支配している。

キュブラー・ロスの『死の瞬間』(正・続・新)は、霊魂の不死を語って慰めに満ちた書物だが、死にゆく子どもたちとの対話を通してロスは、子どもたちの多くが自分の魂はいま蝶になってこの世界を飛び立ってゆこうとしているのだと信じていることに驚いたと述べている。古代ギリシア人は、人間の霊魂はひとつの生命からほかの生命に移るとき飛ぶ虫の姿を借りると考えていた。「生の縛(いまし)め」が解かれようとするとき、人には<未生以前の記憶>が甦るのであろうか。

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2009年7月27日 (月)

耳について ――その3

六十を過ぎてから聴力の衰えを自覚するようになった。一人のときはテレビの音量が大きくなった。とくに多人数の会話で人声が交錯するときなど、聞き取りにいささか難渋するることもある。会話に加わって的外れな口を挿しはさみかねず、勢い寡黙になる。家族に言わせると、「都合の悪いこと、嫌なことには聞こえん振りしてはるだけ」ということになる。「まあ、それもええやん」と開き直っている。

『論語』のよく知られた詞章(ことば)に、「六十而耳順」というのがある。「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲するところに従いて矩(のり)を踰(こ)えず」である。孔子先生とは大違いで、私など四十にして惑乱、五十にして暗中模索、六十にして耳遠しである。七十にして心の欲するままに迷惑三昧とならぬように心せねばなるまい。

それにしても、「耳順」とは何の謂か、以前から気になっていた。順は素直であるということだから、「耳が素直になる」ということだろう。耳が年齢と身体の衰えに素直になり、心のままに聞きたいことを聞くのが私の場合だが、真意はもちろんそうではないらしい。『論語』研究の泰斗加地伸行先生は「(苦悩の道を歩んだ経験からか)六十歳ともなると、他人のことばを聞くとその細かい気持ちまで分かるようになった」と訳しておられる。なるほどと納得し、さすがに孔子様だと思った。「耳順」とは、耳が他者の語ることばに素直に細やかに寄り添うことなのだ。他者のことばだけではなかろう。人籟・地籟・天籟のすべてに幼な子のように聴き入ることなのだ。そのとき、天体(コスモス)が私の身体の奥深くで秘めやかな交響楽を奏でることであろう。

*人籟(人の鬼と笛の関係性で出る音)/ 地籟(風と地上の木々や無数の穴の関係によって出る音)/ 天籟(さまざまなものが相互の関係の中で奏でる音)

論語 (講談社学術文庫)   

2009年7月24日 (金)

耳について

地下鉄千里中央駅に「アストリア」という喫茶がある。そこのトンカツサンドは美味い。先日、娘が「アストリアのトンカツサンド、耳つきのまま食べたい」と言った。息子の場合はマスターが「耳、つけときましょか?」と訊いてくれるらしいが、淑女(?)にはさすがにそんなことは訊かないらしい。「パンは耳が美味しいのに」というのが娘の持論なのだ。

パンに耳があるように、お札にも耳がある。「耳をそろえてお返しいたします」という。人間の耳は何とも寡黙で控えめだ。しかし意外に自己主張しているようでもあり、考えようではまことに扱いにくい身体部品だ。何故なのか?

「耳」とここで言っているのは、聴覚器官の全体ではなく、「外耳(耳介、耳たぶ)」のことである。耳の形状は人ごとに違っている。耳紋というものがあれば、指紋と同じように人を同定する有力な根拠になるはずだ。

犬は聞き耳を「立てる」。外耳を有する哺乳類としてはめずらしく、人の耳はふつう「立ち」も「動き」もしない。人の外耳はいわば退化しているのである。視覚の優位、それに伴う知的能力の発達が耳たぶを何だか無用の長物のようにしてしまったかに見える。しかし、はたしてそうか。

人間の耳たぶもまた、パラボラ・アンテナのように集音装置として機能しているばかりでなく、この精妙な軟骨組織はじつは鼓膜が捉えることのできない音を捉えて、人間の身体全体に響かせているのではあるまいか。それは、「何を」ではなく「いかに」聴くかという、個の存在の根底に関わっているように思われる。

外耳(耳たぶ)は、個の内奥の根底が外部に露出したものなのではないか?そう考えると、「小奴といいし女の やわらかき 耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり」(啄木)という耳のエロティシズムも、デヴィッド・リンチ監督の映画『ブルー・ベルベット』冒頭の切り取られた耳のおぞましさも、耳の造形にこだわり続けた三木富雄の彫刻も、理解できるように思われる。

エウリーディケーを求めて冥界へ下った音楽の神オルフェウスは、耳道の闇を下ったのでははあるまいか。

図版はカミーユ・コローの『冥府のオルフェウス』

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