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2017年7月 1日 (土)

土手

私の母校の豊中市立桜井谷小学校は赤坂池(正確には赤坂下池)の「土手」のすぐ下(東側)にあった。土手は高さ10メートルもあって急斜面になっていたから、土手に上がると、赤坂池の広い池面を背に小学校を眼下に見下ろすかたちになった。

登校時は正門に通じる広い道をまっすぐに教室に直行したが、下校時は土手の急斜面を這い上がって、学校を見下ろして「してやったり!」という気分になった。土手の上を歩くのは喜びだった。子供なりの鬱屈からの解放感。心の「背伸び」みたいなものだった。「土手」は幅5メートル、延長100メートルはあったろうか。土手からの眺望だけではなく、様々な野草や灌木が生い茂る土手は四季折々に違った表情を見せた。

赤坂池は桜井谷村の古くからある農業用水池で、下池と上池があった。

農業用水地が埋め立てられて、土手が消え、「土手」という言葉も、都市周辺部から今は急速に忘れられつつあるのではないか。コンクリートやテトラポットや金網フェンスで固められた堤防とか護岸壁とかに駆逐されて。小中学校のクラスメートと顔を合わせることがあると、少年時代に「土手」が持っていた大きな意味と役割を思い出す。

下の写真は「北摂の古写真」というサイトから借用させていただいた。赤坂池の東側の「土手」から望む母校豊中第2中学校(池の向こうの左側の建物)の景観だ。カメラの背後は土手の急坂。写真手前の丈の高い草は土手に生えた野草だ。昔の豊中二中は、白い漆喰と赤い瓦屋根のコントラストがお洒落(しゃれ)な校舎だった。春には通学路の桜が見事だった。

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