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2014年8月

2014年8月31日 (日)

噫乎! イワシャジン!

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なぜ「噫乎(ああ)!」か、というと、私が愛する里山の段々畑の畦で、この季節、私の目を楽しませてくれた「イワシャジン」の花も、今年が見納めになるだろうと思うからだ。

私が「我が愛する里山」と呼んでいる辺り、マンション街のほんのわずかな一区画に残された農村の面影がいま消えようとしている。2車線(幅8メートル)ばかりの自動車道路が田畑を横切って造られつつある。

「別の場所に移植すればいい」、「種をまいてまた育てればいい」と言うかも知れないが、そんな話じゃない。毎年この同じ季節に、この同じ場所で、アザミや月見草、タデやミゾソバやミズヒキソウの花の中に立ち混じって、人に知られずに(知るひとだけが知っている)、さりげなく、律儀に咲くイワシャジンが愛(いと)おしいのだ。

この里畑の斜面の竹やぶに隠れて小さなため池があって、秋にはカラスウリの赤い実、野ブドウやイシミカワの青や紫の実が美しかったが、その昔話に出てくるようなため池もいまは埋め立てられてしまった。

2014年8月30日 (土)

アサガオ

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エノコログサに隠れて咲く水色の小さなアサガオ。急ぐ出勤の足がふと止まる。
秋の訪れを実感する。
秋の雑草たちがここ数日急に勢いを得て、公園の空き地を覆い始めた。エノコログサ、チカラシバ、ヌスビトハギ、イヌタデ、ススキ、などなど。
目をとめてよく見てみると、はっとしたり、ほっとしたり。園芸植物にはない「さりげなさ」、「つつましさ」が嬉しい。

2014年8月27日 (水)

セミ異変

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クマゼミがヴェランダ前のケヤキの木で鳴いていた。

ところで、セミの世界にも栄枯盛衰があるらしい。昨年まで北摂で圧倒的な覇権を誇っていたクマゼミがこの夏は少し元気がない。数が減った。かわりに、私が子供だった昭和30年前後に「わが世の夏」を謳歌していたアブラゼミが、ここ20~30年ばかりすっかり姿を見かけなくなっていたのに、この夏、帰ってきた。まだまだ少数派だが

私がセミ取り網を担いで走り回っていた少年のころ、アブラゼミと<セミ>世界を二分していたのはニーニーゼミだったが、彼らは姿をくらましたままだ。そのころ、クマゼミを捕まえようものなら、得意満面だった。クマゼミの透明な翅と緑の翅脈が美しく、彼らは子供心にアブラゼミより貴族的に思われた

そのクマゼミが至るところで見受けられるようになったこの20~30年の間、北摂の夏の暑さはまるで熱湯のシャワーを浴びせかけられているようなその鳴き声のせいだったのではあるまいか。

クマゼミの一匹が「シャー」と鳴きはじめると、近くの木に止まっている数十のクマゼミがいっせいに声をそろえて鳴きはじめる。クマゼミは斉唱する。鳴き声のリズムをシンクロ(同期)させる。「シャンシャンシャンシャン」という声は、「この炎暑は永遠に続くのだ」という妄念に人を誘い込む。

北摂にまた、アブラゼミの時代が帰って来るのだろうか。アブラゼミの発声はシンクロしない。しかし、油の中でものが揚がる音からその名が来ていると聞くと、これも暑そうだ。

セミ種の消長は、環境の変化、特に気温(日照時間)と雨量に関わっているような気がする。データを取ったわけではないが。セミ異変は、環境異変を映しているに違いない。

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昨日、千里川のほとりで「ツクツクボウシ」の声を聞いた。「風立ちぬ」ということばが頭をかすめ、セミの短命と夏のはかなさが交錯した。

2014年8月 7日 (木)

フウセンカズラのレース編み

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わが家のヴェランダでは、この夏はフウセンカズラのグリーン・カーテンが涼しげだ。

フウセンカズラは全体に華奢(きゃしゃ)で、押しつけがない。細い茎がどんどん伸びて、その細い茎からさらに細い蔓が四方八方に糸のように広がり、互いに絡み合ってまるでレース編みのようだ。

そのレースのそこここに白い小さな花が無数に散らばっていて、ふと気づいたらたくさんの薄緑のフうセンが揺れている。フウセンの表面に緑の葉脈が透けて見える。

このフウセン、やがて褐色に色づき弾けて割れると、内部は3つの房(小部屋)に区切られていて、それぞれに一つずつの種子、計3つの種子が納まっている。直径5ミリの黒い種子の表面にハートの猿面が浮かび上がる。

その猿面をうまく活かして、ミニミニ「さるぼぼ」を作って、その9匹を南天の枯れ枝に遊ばせる。それが、「苦難去る」という縁起物になって、いま私の部屋を飾っている。

フウセンカズラの繊細な風情が、こんなすてきなアイデアを呼び寄せたのだろう。

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2014年8月 3日 (日)

ハイビスカスと藤原先生

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ハイビスカスはムクゲと同じくフヨウ属だそうだが、そういえばムクゲの花に似ている。ムクゲの色は白,紫、ピンクが主だが、ハイビスカスは南太平洋の海の青、空の紺碧にふさわしいはなやかな赤、橙だ。花屋の店頭で、上の写真のハイビスカスを見つけたとき、はなやかさの中に「端正ないじらしさ」を感じて買ってしまった。

むかしむかし、高校時代にサマセット・モームの『淵(The Poo)』を英語の授業で読んだ。タヒチの娘が密林の奥の仄暗い淵で水浴びをする場面が出てくる。ハイビスカスの花を髪に挿して。それはこんな花だったに違いない。

英語の藤原先生は老眼鏡の上縁ごしに、教室の生徒たち全体を睨(ね)めまわすように、"hibiscus"の発音は「ヒビスカスだよ」と言われた。クイーンズ・イングリッシュだ。

ほんとうに教育熱心な先生だった。生徒はみんな煙たがっていたが。テストが終わって結果が出た日には、先生は黙ったまま例のまなざしで教室全体を睨めまわして「泥沼だよ、このクラスは」といわれるのが常だった。そうすると、生徒はみんな蓮沼に足をとられて見動きできない受験勉強の現状がひしひしと迫ってきた。

G.オーウェル『動物農園』、ジェームズ・ヒルトン『チップス先生、さようなら』、そしてモーム『淵』など、先生は選んだテキストを丹念に最後まで講読してくださった。その読みは厳密で深かった。その後の私のテキスト読解の指針となった。

ハイビスカスの花を見ると、藤原先生を思い出す。

2014年8月 2日 (土)

コシアキトンボのオスとメスの距離

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久しぶりに昨日の午後、千里川の岸を散策した。うす曇りだったので、強い日差しを避けていた野鳥たちも姿を見せるかなと、はかない期待を抱いて出かけた。川べりにさしかかった途端、川下から川上に向かってカワセミの青い軌跡が視界をよぎった。今日は幸運な一日になるかもしれない、と川面を丹念に目探りしながら歩いた。しかし、それっきりカワセミを再び見ることはできなかった。

そのかわりというのも、トンボには失礼だが、オニヤンマ、シオカラトンボ、アキアカネ、オハグロトンボなどいろんな種類が飛び交っていた。写真は、コシアキトンボ。腹部の白いのがオス、黄色いのがメス。たいていつがいで、しかも少し離れてジーッと動かずに止まっている。

その距離はつねに計ったように一定していて50センチくらい。こんなとき、私たちはどうしても擬人的に考えたくなる。しかし、生き物の生態(行動様式)は人間のアナロジーで理解すると、ほとんどの場合が間違っている。

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