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2013年11月

2013年11月29日 (金)

命の朱赤

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11月26日、夕日が六甲山の向こうに落ちた時刻に、モノレール少路駅のホームから撮った西の空。陽が落ち夕闇が降りてくると、西の空の低い位置に金星が明るく輝くき始める。晩秋(初冬)の夕焼けは、天空が炎上しているように豪奢でドラマチックだ。

それにしても、色づいた柿の実のつややかな朱赤、紅葉したソメイヨシノや楓の朱赤、そして夕焼けの朱赤。晩秋から初冬にかけてのこの時期、この朱赤がどうしてここまで世界を領し、そしてひとの視角も心も魅了するのだろうか。

朱赤は炎だ。新たによみがえるためにいま燃え尽きようとする命の色なのだ。

2013年11月27日 (水)

相楽園(神戸)

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神戸三宮の県庁に近い相楽園、平日の午後は訪れる人もまばらで、大都会の真中とはとても信じられない静謐に包まれていた。池泉回遊式の日本庭園のモミジは今ちょうど紅葉のまっさかり。

三宮で二人の人とそれぞれ別の時刻に待ち合わせた。ふと思いついてその時間差を利用して相楽園を訪ねることにした。この秋、たぶん最後の「紅葉見」になるだろうと思ったからだ。多分前日までにぎわっていたはずの「菊花展」の後片付けが行われていた。黙々と働く植木屋さんたちの鋏の音が静けさをいっそう際立たせていた。

直径50メートルばかりの小さな池を起伏のある遊歩道がめぐっている。せせらぎ、石橋、飛石、滝、岩の潜り抜け、灯篭、茶亭が配置され、歩むにつれて次々と移り変わってゆく景観が身体の奥深くに潜む感覚と共鳴し、快いリズムを刻むのが感じられた。

こんなにも小さな空間にこんなにも広大な宇宙を凝縮して見せる美意識と技に感動しながら、微小なもののなかに大宇宙の波動を聴きとる感性を失ってはならないなと自戒を込めて思うことしきりだった。

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2013年11月26日 (火)

皇帝ダリア

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松山城下の古い通り(秋山好古・真之生誕の地)に背丈2メートルはあろうかという切り花が甕(かめ)に活けられていてビックリ仰天。「何、これ?」と思わず口に出てしまった。花の主らしきおじさんが家の奥から出てきて、「ダリアですよ。大きくなると丈4メートル、茎は直径10センチにもなる」とちょっと得意気。

そのあと砥部を訪ねたが、窯元集落のあちこちに植わっていて、薄紫の花が風に揺れていた。

心にダリアの余韻を残して自宅に戻ってくると、まさにその日ご近所のバーダー(野鳥好き)仲間のAさんからメール。貼付されていた写真が、同じこの花。「箕面への道の脇で見つけて驚きました。この花は何?」という質問。

同じ日に遠く離れた場所で同じ花を初めて見てびっくりしたというシンクロ(共時)体験に、その日2度目のびっくり。信じられないような出来事がやっぱりあるものだ。

1週間ほどたった数日前、箕面まで散策。教えられた場所で撮ったのが、このダリア。大きい!実際4メートルほどの高さ。丈の高さと花の繊細な風情が何だかアンバランスで、そのせいか「この世ならぬ」という印象が否めない。

ウェブの画像を検索してみたら、この「木立ダリア」は「皇帝ダリア」という俗称があるそうだ。

2013年11月24日 (日)

クラリンドウの花

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これは今わが家のベランダをにぎわしているクラリンドウの花です。リンドウの仲間ではありませんが、なぜかクラリンドウ。その名はギリシャ語の「クロデンドルム」が転化したもの、cleros(運命)+dendron(樹木)から来ていて、スリランカで同属の2種を「幸運の木」と「不運の木」と呼んでいることによるとか。

純白の5弁の花の中心から下方に向かって伸びる4本の雄蕊(おしべ)の放物線がまことに優美だ。10から20くらいの花が房をなして下垂する。緑濃い葉との対照がハッとするほど美しい。

クサギと同じ属らしい。言われてみれば、花は確かにクサギの花に似ている。花も樹も名づけによって、それぞれが辿る"cleros"を大きく左右されるのであろう。「クラリンドウ」と呟いてみる。「クラリンドウ」はやはり「幸運の木」だと思わずにはいられない。

2013年11月21日 (木)

坊ちゃんの町

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市電の道後温泉駅前に立つカラクリ時計。1時間ごと定時に3層の楼閣の窓が開いてからくり人形がせり出してくる仕掛け。2層目の正面は坊ちゃんとお清さん。3層目がマドンナ。1層目は道後の湯につかる湯治客たち。たそがれ始めるころには、各層に裸電球が灯って、風情がある。下の写真は、道後温泉の元湯館。観光客まで、明治か大正の人たちに見えてくるから不思議だ。道後温泉は伝統とモダン、ほっこり感とハイカラをうまくミックスさせて成功しているように思った。

いちばん下の写真は、松山城から瀬戸内海を望んだもの。時雨と晴れ間がせわしなく入れ替わるあいにくのお天気だったが、松山はおっとりして、おもてなしの心に溢れて、歴史と伝統に培われた文化の奥行も感じさせて、町と人とが互いに愛情とプライドを交換しながら快適な暮らしを守り育んでいることがよくわかった。「好いところじゃなもし。」

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2013年11月13日 (水)

りんどう峠

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島倉千代子さんが亡くなった。私と同世代の人たちは、この世界がずいぶんと寂しくなったような気がしているのではなかろうか。彼女の歌では、「りんどう峠」「からたち日記」がなつかしい。

「りんりん りんどうの花咲くころさ 姉さは馬こでお嫁にいった りんりん りんどうは濃むらさき 姉さの小袖も濃むらさき ハーイノ ハーイノ ハイ」 花嫁を乗せた馬の轡(くつわ)を取る娘の掛け声が峠道に響き、ゆっくりと青い空に消えてゆく。お千代さんの声が、馬につけた鈴と響き合った。

「この世の花」というラジオドラマが一世を風靡した、と思っていた。ウェブで調べてみたら、そんなラジオドラマはなかったらしい。『明星』という雑誌の連載小説が大ヒットし、松竹で映画化された。その映画の挿入歌が小説よりも映画よりも大ヒットしたのだった。

個人的な思い出で恐縮だが、小学生だったか、中学生だったか、『この世の花』を映画館で一人で見た。(昭和20年代から30年代のころ阪急の豊中と岡町に間に「松竹座」という映画館があった。)小学生が何でまた一人でそんな映画を見ていたのか。奇異な感じもするが、事実だ。ストーリーなどはまったく憶えていない。お千代さんの声だけ、今も鮮明に記憶している。

たまたま昨日のこと。間もなく消えようとしている近くの里山の風景を、せめて瞼の裏にでも残せるものならと、だんだん畑の畦を見て歩いた。冷たい風が吹いていたが、畑のすみにりんどうの花がたくさん咲いているのを見つけた。野生のりんどうではないと思うが、野におかれたリンドウはこんなにもたくましく艶やかなのだと、今さらのように驚いた。

2013年11月11日 (月)

不思議な再会

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休みを利用してバードオウッチングを兼ね箕面まで散策しようと家を出た。歩き出した途端、薄日の射す空から細かい雨が降ってきた。狐の嫁入りだ。北緑丘の千里川では、カルガモ、マガモたちが雨を楽しんでいた。木々の高い梢からは雨やどりをしているらしい小鳥たちのさかんな囀(さえず)りが聞こえてくる。しかし、姿はいっこうに見えない。

やがて雲が切れて明るい日差しが色づき始めた木々を照らした。赤と橙と黄と緑、色彩のグラーデーションが鮮やかだ。するとさまざまな小鳥たちのシルエットが枝から枝へといっせいに飛び交った。小鳥たちはやっぱり太陽が大好きなのだ。灌木の茂みに潜んでいたシジュウカラが水を飲みに川原に下りていった。

青い光の筋を残してカワセミが川筋を上流に向かってとび、川原の石ころに一瞬止まって、さらに上流へと飛び去った。再び雨が降り出した。カワセミの姿を急ぎ足で追ったが、どうやら橋げたの下の巣に入り込んだようだった。雨脚が強くなったので、箕面に行くのは諦めた。時雨と晴れ間のめまぐるしい交替。

帰る途中のレストランで食事をしたあと、やっぱり心残りでもう一度野鳥のエリアに引き返した。またカワセミが飛んだ。「いた!」と声に出すと、川上の方から歩いてきた老人が「いたでしょう!」と言う。彼もカワセミを追っていたのだ。老人が「ホラ、あそこ」と指さす川向うのアカメガシワの葉陰にカワセミの姿が見えた。目の良い老人だ。それにカメラも立派。私の方はカメラにカワセミの姿を収めて、ルンルン気分。お礼も言い忘れてしまった。

その老人の顔に見覚えがあった。小学校の2年下の子だった。同姓なので何となく気がかりな子ではあったが、小学校以来何度も出会いながら、しかしことばを交わしたのは、今日がはじめてだった。彼のことを、「老人」と言うのが正しいのか、「子」と言うのが正しいのか。何だか不思議な気がした。

2013年11月 9日 (土)

和歌山城のリス

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一昨日センターのバス旅行で出かけた和歌山城で、リスさんに再会しました。今年の4月サクラの季節に出かけたときには、びっくり仰天で写真はNG。今回はリスさんがサービス精神を発揮して、餌づけのおじさんから受けとった木の実を持って、ポーズ。ありがとう、リスさん。

2013年11月 4日 (月)

イワシャジン

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ロマンチック街道をはさんだ自宅マンションの向かいの丘陵地は近所に残るほんのわずかな里山。その畑の畦(あぜ)にはイワシャジンの花が咲く。

この時期にはイワシャジンを見るためにその里山に足を向ける。今年も、忘れずに咲いていた。(ひとからは忘れられて。)このイワシャジン、今年が見納めになりそうだ。そのあたりで上水道、下水道、道路の整備が始まった。来年の秋には、宅地に変わっていることだろう。

ここ20年で雑木林も消え、キジも姿を消した。私有地とはいえ、さびしいことだ。

花二題

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上はリーガスベゴニア、下はモミジアオイ。

リーガスベゴニアの下方に寄り添っているピンクの花はゼラニウム。(自宅のベランダで咲いています。)モミジアオイは散歩の途中で見つけた庭の花。色といい、形といい、それぞれに個性的で「草いろいろ おのおの花の手柄あり」(芭蕉)ですね。

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コカモの翼鏡(よくきょう)

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翼鏡(よくきょう)とは、「次列風切」のこと。コガモのメス(幼鳥?)が二羽。オスの成鳥に比べてだんぜん地味な装いだが、風切り羽を見てほしい。一羽は鮮やかなグリーン、もう一羽は鮮やかなブルー。個体の意思とは全くかかわりのない「天の配剤」。

光の反射で、グリーンだったりブルーだったりするのかしら?空の青を映してブルー、木々の緑を映してグリーン、だったら神様の「オシャレ心」のゆかしさ。

「翼鏡」の役割について書かれたウェブの記事を見つけた。「次列風切のこの特徴的な輝きは、翼を畳んでいる状態では隠れて見えないことも多いが、飛行中には後続によく見え、群をなして渡るさいに仲間に対して目じるしの役割を果たすものといわれる。」(上野隆史:多摩川の汽水流)

すごい研究をしている人がいるものだ。

2013年11月 3日 (日)

秋の深まり

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色づいた蔦の葉に絡みつかれてひとつ目の老いたる妖精王「フウの木」は、満更でもなさそう。

今年は秋の深まりが早いのか、遅いのか?例年なら10月初旬にひんやりとした空気を満たす金木犀が、今年は今頃になって匂っている。

クヌギのどんぐりは公園の遊歩道にたくさんころがっているが、アラカシ、シラカシのどんぐりはまだ青い。10日ほど前には真夏日があったが、今日など裸足で部屋にいると足先が冷える。足ぶみと駆け足を繰り返す季節に、木々も野鳥も虫たちもとまどっているみたいだ。

下の写真は近所で見つけた野茨の実と、ハゼの木の紅葉。

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2013年11月 1日 (金)

エナガ

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エナガは「チッチ、チリリリリーン」と鈴虫のように鳴く。スズメよりももっと小型で、手にひらを結ぶと、そのなかにすっぽりと収まりそうなほど小さい。眉斑の黒が背中の方まで長く伸び、胸からの黒い縞に尻尾の部分で合流している。腹部はかすかにピンクを帯びた白。目元が愛くるしい。

昨日のお昼にお隣のマンションの木立に、エナガの群れが来ていた。自宅のこんなに近くでエナガを見るのは初めて。心が騒いだ。夏中、高い山にいた群れが、気温が下がり始めた今、人里にまで下りてきたのだろう。

モズやカラスに襲われることのないようにと、祈るしかない。

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