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2013年10月

2013年10月28日 (月)

コゲラ

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何年か前、「キツツキはなぜ頭痛(脳震とう)にならないか」という研究がイグノーベル賞を受賞したことがあった。そのキツツキのいちばん小さな仲間がコゲラだ。

このごろ北緑丘の野鳥のエリアによく姿を見せる。ひょっとしたら、今日も会えるかしらと期待して出かけたら、ちゃんといた。スズメくらい小型で、地味な白黒の横縞、木の幹をすばやく駆け上がったり、駆け下りたりする。そして、ドラミング。頭をドラムの撥(バチ)のように前後に小刻みに振動させ、鋭く尖った嘴で木の幹をつつく。気ぜわしい鳥だから、「キネズミ」とも「キバシリ」とも言うらしい。

撮った写真を拡大して見たら、どうやら目をつぶっている。目をつぶったまま、ドラミングしているらしい。目を開いたままでは、やっぱり目が回る?

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チョウたち

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秋の川原は明るい陽射しとチョウチョがいっぱい。キチョウ、モンシロチョウ、シジミチョウ、それにこの頃はツマグロヒョウモンがふえているみたい。モンシロチョウが止まっているのは、コセンダングサ。子どものころからなじみの秋の野草。やっかいなのは、逆茂木のついた刺股(さすまた)状の種子。見た目には、秋らしい風情、しかしセーターなど引っ付くと、一本一本棘を抜くようにとらないといけない。

下のシジミチョウが止まっている花!この鮮やかな朱赤の花は何の花かな?

2013年10月27日 (日)

声―<響き>と化した内臓表情

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写真家の土門拳に「気力は目に出る。生活は顔色に出る。秘めた感情は口元に出る。年齢は背中に出る、悲しみも」ということばがある。土門は、それにもう一つ「教養は声に出る」という一行もつけ加えている。

この声に出る「教養」って、何だろう?と、首をかしげてきた。土門は、「賢さ」とか「知性」と言ってはいない。

鷲田清一の最新刊「大人の背中」を読んで、はたと膝を打った。「口は「内臓の前端露出部」、内臓の触覚のようなものだと言った人がいる。その解剖学者三木成夫は、声はだから、「露出した腸管の蠕動運動」である以上に、「<響き>と化した内臓表情」であるとも言っている。」

そうだ、確かに内臓の病変(体調)は端的に声に出る。声がかすれる、声に張りがなくなるときは、「要、注意」だ。内臓は、知性だけでは統御できないのだ。そこに、声に出る「教養」の真意があるのだろう。

鷲田さんはこんなことも書いている。

「礼をするときには、頭を下げるときでなく、顔をあげるときこそ丁寧にすべし。これはある老舗旅館の女将に教わったことである。(中略)このように、メタメッセージを被せてメッセージを多重化することで、いってみれば独りで語りのポリフォニーを奏でることで、メッセージはユーモアや余剰や凄みのこもった分厚いものとなる。

だからたとえば結婚式の祝辞では、若い人がよくやるように、聴く人の記憶に強く刻もうと一ひねりした話をするのではなく、定型どおりに語るほうがしみじみとした味が出る。ピッチや目つきや声に余情を託すのだ。つまり、行間から滲み出るもので語るのだ。」

声から響き出す「しみじみとした味」、声に倍音を響かせると言ってもいい。そこにひとの「教養」の「深浅」が滲み出てくる。それは、知識の量でも、思考の切れ(賢さ)でもない。無意識、無自覚の内に「内臓」に刻み込まれた叡智、人生の襞(ひだ)なのだ。

人の声は「ポリフォニー(交響曲)」で、それは宇宙の音と共鳴・共振しているのだ。それを「聴きとる」ことができるのもまた「内臓感覚」かもしれない。

2013年10月21日 (月)

ツマグロヒョウモン

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千里川の川原はいちめんにミゾソバの花。ありふれた雑草として通り過ぎてしまうことも多いが、ちょっと目をとめて見ると、可憐な花だ。そのミゾソバの花に止まっているのはツマグロヒョウモン。このごろ、北摂ではよく見るチョウだ。ミゾソバに止まっているのはオス。下の黄色の花に止まっているのはメス。キチョウ、モンシロチョウ、ムラサキシジミ、アゲハチョウに混じって、熱暑の夏を乗り切った今、短い秋を惜しむように秋のお花畑で舞っている。

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カルガモの青い風切り

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シジュウカラのことを書いたから、カルガモのことも書いておこう。カルガモは大柄で、広いくちばしの先端部が黄色、大きな足は鮮やかな朱色。性質は穏やかで、千里川ではいつも2羽から5羽くらいで群を作っている。その静かなたたずまいを見ると、見ているこちらまで静かな気持ちになってくる。川底の苔や水草を食べようとして倒立して、水掻きを水面でバタバタ動かしている。

わたしがいちばん好きなのは、カルガモの明るい青色の「風切り羽」だ。この澄み切った深い青(藍)の「風切り」を、カルガモは普段は茶色の羽の下にひっそりと隠している。

どうして「風切り羽」だけが、こんなにも美しい青になったのか。きっと、どこかにその由来を語り継いで来た人たちがいることだろう。その話を聞ける日が楽しみだ。

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シジュウカラ

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千里川の岸を辿って箕面まで往復した。北緑丘の野鳥のエリアにはそろそろカモ類やメジロ、シジュウカラが戻ってきた。お腹の赤い鳥が茂みに飛び込むのが見えたが、何の鳥か確認できなかった。たぶん、イソヒヨドリだと思うが、お腹の赤い鳥は珍しいので残念だった。

その代わりというのも、シジュウカラにはたいへん失礼な話だが、シジュウカラのペアが目の前のエノキの枝で遊んで(?)いて、存分に目を楽しませてくれた。毛づくろいの時期もすんだらしくて、清潔な装い。とてもきれいだった。木の実の熟れる季節を迎えて、心を弾ませていることだろう。

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2013年10月19日 (土)

棗(なつめ)

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野鳥好きのAさんが、近所の羽鷹池公園そばの韓国喫茶の庭で「ナツメ」の木がいまたわわに実をつけているとメールをくださった。さっそく見に行った。本当に鈴なり。きれいだった。

じつは1週間ほど前に箕面牧落のベーカリー「アビアント」の近くのナツメの木から5つばかりナツメの実をいただいて、Aさんに届けてあげたのだ。Aさんはそれをまたお父さんにおすそ分け。お父さんは懐かしがって食べてくださったそうだ。「ナツメの歌」を口ずさみながら。

ところで、驚いたことは韓国喫茶のナツメは果実が少し小ぶりで、色も少し赤紫(黒っぽい)。ナツメにきっと品種の違いがあるのだ。あるいは、植わっている土壌が異なっているせいか。両方を比べてみてください。わたしの目の錯覚か、あるいは撮影条件の相違か?

Photo

 

2013年10月 8日 (火)

酔芙蓉(すいふよう)

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寒山拾得(かんざんじっとく)みたいです、二つの酔芙蓉の花。酔いでほんのり紅を差した頬にミツバチがとまっているのに、ご両所は呵呵大笑。

朝11時ころ近くの宅地のそばを通りかかったら、酔芙蓉の大きな木がいま花ざかり。ボタンに似た八重の大きな花は、早朝には純白、お昼近くには少し酔いがまわってピンク、午後3時ころにはすっかり赤く染まってへべれけ、ちょっとぐったり。一日花だが、一日のその顔容(かんばせ)の変化が艶(つや)っぽい。

2013年10月 4日 (金)

月下美人(2)

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昨晩はまたまた月下美人の花が四つ(四輪)咲いた。とりあえず、写真でご報告。

2013年10月 1日 (火)

朝のモズ

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毎朝7時40分ころ通勤途上に羽鷹池公園を通り抜ける。一昨日の朝、高い電線に背筋をぴんと伸ばして(?)止まり、じーっとあたりを睥睨している鳥がいた。すぐに「モズだ」と気づいてカメラに収めた。雲ひとつない真っ青な空。朝日に顔を向けている。

モズは留鳥だが、夏の暑い間は高い山にいて、秋が深まると里に下りてくるらしい。餌が少なくなる冬に備えて、採餌のための縄張りを確保しようという、生きるための戦いの始まりなのだ。

白い尾にグレーの横縞がくっきりと浮かんでいた。モズの尻尾にこんな縞模様があったかなと、いろんな画像を調べてみて、これは電線の影だということに気がつくまでにしばらくかかった。

それにしても、秋の日射しはこんなにもクリアな影を作ることに、あらためて驚いた。

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