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2013年4月

2013年4月20日 (土)

エビネ

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友人から頂いたエビネが今年も開花しました。2年連続です。

2013年4月12日 (金)

人去って 雉(きじ)鳴くこだま 滝の前

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四月のはじめ、二月に急逝した知人(というより兄事していた畏友)Mさんの霊前に香を手向けるために、友人と連れだって和歌山県有田郡広川町のご自宅を訪れた。リアス式の海岸線を縫って走る紀州路快速の窓からは、満開の桜の花が海辺にせり出した山の斜面をピンクのグラーデーションで彩っていた。

奥さまが湯浅の駅まで車を運転して出迎えて下さった。奥さまとは45年ぶりくらいの再会。ご夫妻がその頃お住まいの兵庫県西宮市のお宅を訪ねたのは、長男さんがまだ3歳くらいのときのこと。その子がわたしの顔を見て「アントン、アントン」と言うので「どうして?」と訊くと、「主人がアントン・チェ-ホフ、アントン・チェ-ホフってしょっちゅう言うものですから、メガネをかけた人はアントンなんです」ということだった。

Mさんはおおよそ私利私欲、名誉や金や肩書とは無縁のひと、つねに弱者、迷っている人、困っている人、下積みの人に寄り添って立ち、他者(ひと)のために面倒な仕事を黙って(というより自分から買って出て)引き受けていた。ご本人がけっして丈夫とも言えなかったが、自分は励ます側、助ける側にいることが<あたりまえ>で、元気な人の何倍も人のために自分に無理を強いた。

他人のことより、自分のことや家族のことを優先して考えることを恥ずかしいことと感じていた。置いてけぼりを食った家族はさぞや辛い思い、ときには悔しい思いもされたことだろう。Mさんは家族のことはめったに口にされなかったが、しかし家族を深く愛しておられたことは、家族のことが話題になる場面での、Mさんの表情の「てれとこわばり」が雄弁に語っていたように思う。

Mさんは自分を「コミュニスト、社会主義者」と公言してはばからなかったが、わたしは「・・・イスト」だったとはけっして思わない。よき「・・・イスト」であることとやさしい「人間」であることの狭間で誰よりも真摯に悩み苦しんでいたのがMさんだったような気がする。

Mさんが亡くなったあと、奥さまが引き出しから偶然に見つけた彼女宛の「日付のない手紙」を読ませて下さった。「あたりまえのことをあたりまえのこととしてする」自分のわがままを詫びることばには、奥さまに対する愛情といたわりが溢れていた。Mさんはイズムで行動する人ではなかった。困っている人があったら手を拱(こまね)いていることができない性質(たち)だった。Mさんの言う「あたりまえ」、それだけのことだった。

わたしがMさんに自分の進路を相談に行ったときも、まずおもむろにワイシャツの腕まくりをしてから身を乗り出して「ふむ、それで?」と真直ぐなまなざしでわたしの顔を覗き込むように見てくれた。Mさんがいなかったら、わたしはドイツ文学を専攻していなかっただろう。Mさんはわたしの3代前の独文助手だったが、わたしが助手に就いてから(そして今日に至るまで)、「こんなときMさんならどうしただろう」と心に問うてみるのが、わたしの行動のいちばんの準則だった。

広川町唐尾(かろ)は日本のアマルフィと言ってもいいような風光明媚な土地だ。そこの半農半漁の家に生まれて、子どもの頃から夜中に漁に出て怒鳴られながら育ったと聞いた。それでも、Mさんは唐毛という故郷を、そして唐尾の人たちを何よりも愛していたにちがいない。奥さまのお話では、漁港の組合長さんはMさんが亡くなってからしばらくして事務所の椅子に座っているMさんを確かに見たらしい。ロシアに隕石が落ちた日、奥さまがMさんの寝ていたベッドで休んでいたら、屋根でこれまで聞いたことのないような大きな音がして、Mさんがベッドの脇に立ったそうだ。「天から降りてきた」と奥さまが笑って言われたが、わたしは「そうにちがいない」と思った。

奥さまが仏壇のロウソクを指さして、「お父さんが喜んでいます。こんなに元気よく燃えているのは初めてです」とまるで幼児のように嬉々として言われたとき、わたしはMさんがいつものように手のひらを顔の前に立てて左右に振りながらてれ笑いをしているような気がした。

奥さまのおっしゃるのに、3年ほど前、Mさんは組織から排除・追放されたらしい。そうしたことはいっさい家人に言わないひとだったので、組織のことも、その経緯もまったくわからないが、どうもそうらしい。委細ありそうな手紙が来たとき、「お父さんひとり黙って裏山に登って、いつまでもこつこつ山を削っていました。それから二月ほど毎日山を削っていました。お父さんのいちばん苦しいときだったと思います。」黙って<山を削り>続けるMさんの姿、そしてMさんを黙って見守り続ける奥さまの姿を思い浮かべると、こみ上げる嗚咽を抑えることができなかった。そして、ご夫妻の愛情の絆の深さを思い、「Mさん、幸せやったね」と呼びかけずにはいられなかった。

奥さまの運転する車で湯浅の駅に出ようとしたら、玄関からほんの10メートルほどの行ったところで、キジが道の行く手を阻んで、それからゆっくりとわきの茂みに入って行った。車を止めてもらって、カメラにその姿を収めた。「Mさん、奥さまのことがそんなに気になるなら、生きているうちに素直にそう言った方がよかったのに」と思った。「キジはおもしろいんですよ。わたしが畑仕事をしていると、わたしのまわりをぐるぐる回って、わたしがヒナに近づかないように警告しているんです」と奥さま。

キジは家族や子どもを思う気持ちの強い鳥なのだ。キジに出会えてよかったと思った。

「人去って 雉(きじ)鳴くこだま 滝の前」(飯田蛇笏)

白花かたくり、またはホワイトビューティー

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友人から球根をもらった白花カタクリが花を咲かせた。カタクリは水辺の木陰に群生し可憐な赤紫の花を咲かせ、うつむきかげんに咲く風情から花ことばは「初恋」。

日本に原生するカタクリは赤紫の花だけだが、アメリカにはさまざまな花色のものがあり、園芸品種も多いらしい。わが家の白花カタクリは、背丈10センチ、花の直径は5~6センチ、ミニチュア・サイズの「カサブランカ(白ユリ)」という感じ。ただし匂いはない。多分、アメリカから移入されたものだ。(学名は、エリトロニウム・レヴォルトゥム)

うつむき加減の「はにかみ」はない。それでも英語の花ことばも「ファースト・ラブ」らしい。ここでも芭蕉の「草いろいろ おのおの花の手柄あり」だ。

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