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2013年3月

2013年3月29日 (金)

高瀬川のマガモ

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京都に所用があって木屋町二条から高瀬川ぞいを四条河原町まで歩いた。3月末だが、京都は冷え込んでいて、川ぞいの桜はまだちらほら。二条から四条へと下ってゆくと、サクラは二分咲から四分咲きへ。京都では北から南へとわかりやすく気温が高くなってゆくらしい。

それにしても、疎水のある街は優しい。そのそばを歩く通行人の足取りが心なし緩やかに閑(しづ)かになる。風とせせらぎの音が体の中を通り抜けてゆく。すると、高瀬川ぞいに立ち並ぶ飲食店の艶なたたずまいに気分がなじんでくるから不思議だ。疎水と色街は相性がいい。

その高瀬川に真鴨が浮かんでいた。モンドリアンみたいな、ポストモダンな(?)装い。嘴(くちばし)の黄、頭部の緑、胸元の焦げ茶、首輪とお腹の白、風切り羽の蒼、尾羽の黒、足の朱。こんな大胆な色彩の取り合わせは、中世ヨーロッパ騎士のコスチュームくらいしか考えられない。

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2013年3月28日 (木)

サクラ

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3月22日、午後の半日を東京小金井公園の桜を見て過ごした。玉川上水を挟む広い公園は、独歩が描いた「武蔵野」の面影を今に残している。大きくて高いケヤキやナラの木立に交じって、樹齢5、60年から100年はあろうかという桜の古木があちこちにあって、ちょうど満開を迎えていた。

大きなソメイヨシノの根元をぐるっと取り囲むように紫アブラナ(花大根)の薄紫の花が一面に咲いていた。そばに椅子を置いて一日眺め暮しているらしき老夫婦の姿があった。のどかな午後の陽がゆっくりと西に傾いていった。

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2013年3月18日 (月)

ミモザの花は金の雨

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自宅マンション裏の空き地のミモザの林。10本ばかりのミモザが大木に育って、いま花ざかり。午後の明るい陽ざしを受けて、ミモザの金色の花房が滝となってなだれ落ちる。あるいは、クリムトの描くダナエーの金の雨。

ギリシア神話では、大神ゼウスはアルゴス王の美しい娘ダナエーに横恋慕し<金の雨>に姿を変えて降り注ぎ、身ごもったダナエーはペルセウスを生んだ。ペルセウスは長じて英雄となり、怪物メドゥーサを退治した、という

そのせいかどうか、南欧の国々では早春のこの季節、街角に「ミモザの花売り」が立つ。ミモザは男性が女性に捧げる「愛の花」らしい。

子どものころはなぜかミモザの花があまり好きではなかった。なぜかしら、と思う。梅や桃や桜のような「温もりのある」ピンクの花が好きだったような気がする。赤系の淡い色(ピンク、桃色)にはそっと包み込むような優しさがある。黄色の花は、どこか自己主張の強さが感じられて、それ自身自足しているからだろうか。

ロウバイに始まって連翹(れんぎょう)、トサミズキ、サンシュなど黄色の花を咲かせる花木たちは、今花ざかり。ひとがどう思おうと我関せずで悠々と咲いている、そんな趣きの黄色い花も、今は好ましく思われるようになった。

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2013年3月12日 (火)

メジロの来訪

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何か覗き見しているような感じですね。メジロさんが?いえ、私の方がです。今日は朝から、ヴェランダ前の梨谷池で鶯のさえずり。先日まではいわゆる「笹鳴き」していたのが、練習の成果が上がってだんだんと「さえずり」の声が澄んできています。(笹鳴き:チッチッチッ、さえずり:ホーホーホケキョッ)

そしてお昼頃には、ヴェランダにメジロさんが連れ立って来訪。カーテンの隙間からそーっと覗いてパチリ。ヴェランダで黄色く色づいたレモンがお目あて?メジロに食べられたら、「まあ、いいっか!?」。家人がカーテンに近づいたら、次々と飛び立っていきました。

ジョウビタキは枢機卿ファッション?

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ジョウビタキ(雄)のファッションは半端じゃない。例えばこんな配色のコートを身につけ、頭に銀色のフードをかぶって歩けるのはニューヨーク、ひょっとしたら16世紀パリの宮廷?

黒と白と濃いオレンジ色の配色。しかし、どこかで見たことがあるような気がしていたが、思い出せなかった。今ふと思い出した。ひょっとしたら、ヴァチカンの枢機卿?

今日から新教皇選出のコンクラーベが始まる。システィーナ礼拝堂にジョウビタキたちが威厳に満ちた華麗な出立ちで居並ぶさまは壮観であろう。アフリカから新教皇が選出されたら、きっと新しい時代の夜明けとなるだろう。

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2013年3月11日 (月)

桜井谷村の早春と「ケ・セラ・セラ」と

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阪大の待兼山キャンパスに所用があって、旧桜井谷村の早春を楽しみながら、阪大グラウンド脇のレストラン『ケ・セラ・セラ』にほとんど5年ぶりに入った。奥さん(普通の家庭の主婦がつれづれの慰みに出してるお店という感じだから、奥さんと呼んでおこう)の顔をなつかしく思い浮かべながら。しかし、カウンターの内側にいつもあった奥さんの姿がなくて、「おや」と軽い失望を覚えた。

席に着くと、大きなガラス窓の向こうのロックガーデンに日よけの帽子をかぶって庭いじりをされている奥さんのうしろ姿が見えて、「ああ、お元気だった」とほっとした。

阪大在職中は学生と連れだってよく来たものだった。ランチはメイン・ディッシュ、小鉢、みそ汁とライスで600円(当時でも学生食堂より安いくらい!今は値上げしていて当然。)。一品一品にこまやかな心遣いが感じられるのが嬉しかった。スペース全体が清潔で、雰囲気がさりげなくおしゃれで上品。何より奥さんがすらりとして美しい。そのころ私はこの人はきっと宝塚歌劇のスターさんだったに違いないと決め込んでいたものだった。もちろん、通い詰めたというわけではないが、まあなじみ客の一人だった。

その日は土曜日とあって、客は私一人。ランチ・セットがなくて、カツカレーを注文した。これもおなじみのメニューだ。調理場を担当しているのは、今日は勤務休みのご主人のようだった。

やがて奥さんがレストランの方に戻ってきて、カレーを運んできて下さった。「やっぱり!そうではないかとすぐに思ったのですが、お名前も存じ上げなかったので、声をおかけすることもできなくて。お久しぶりです。依然とちっともお変わりなくて。ほんとうによくいらっしゃって下さいました。嬉しい!」と丁寧にご挨拶下さった。

庭仕事をされているうしろ姿を見たときには、心もち老いの影が射しているかに見えたが、こうやって正面に顔を合わせて見ると相変わらず美しい。

それからしばし話が弾んだ。『ケ・セラ・セラ』を知って長い歳月になるが、ほとんどはじめての会話だった。聞くと、近くの柴原の在の人で、同じ桜井谷小学校の出身。昔の待兼山界隈のこと、私の同級生のH君やM君のこと、当時の桜井谷小学校炎上事件のことも話題に上った。

話しているうちに、奥さんの表情の翳りがいつしか消えて、以前の晴れやかさが戻ってきた。「歳月の経つのは早いものですね」と互いに言い交わしながら、浮き浮きするような若やぎのひとときを楽んだ。

2013年3月10日 (日)

キセキレイのひとり行進

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キセキレイが「歩いて」いる。キセキレイが両脚を交互に(当たり前?)大きく前へとはねあげて、颯爽と歩いている。意気軒昂という感じもする。しかし、自然体だから見ていてほほえましい。「川辺の貴婦人」はかわいい気どり屋さんなのだ。

小型の鳥たちはたいてい両足をそろえてぴょんぴょん跳ねて前進する。足を高くはね上げて歩く歩き方は、ちょっと兵隊さんの行進ふうだ。

兵隊さんの膝を伸ばしたまま両足を高く上げる歩き方は「ガチョウ行進(Goose-step)」というらしい。キセキレイは、一人「ガチョウ行進」している。

いま、約40年前 の1976年1月に、当時まだ東西に分断されていたベルリンでの光景を思い出している。チェック・ポンイント・チャーリー(ブランデンブルク門そばの検問所)を通って東ベルリンに入ったときのことである。零下16度という気温のなか雪の積もったウンター・デン・リンデン通りをぼんやり頭で歩い行くと、「ノイエ ヴァッヘ(哨兵詰所)」(「戦没者慰霊廟」)がちょうど哨兵の交代時間だった。

哨兵が一列縦隊で捧げ筒をしながら、「ガチョウ行進」してきた。観光客のカメラのシャッター音がひときわ高くなった。「ガチョウ行進」はプロイセン陸軍の伝統で、ナチス・ドイツを経て旧東ドイツで踏襲されていたのだった。いかにも儀式ばって居丈高。そのとき私は鼻白む思いがした。キセキレイの「ひとり行進」を見て、40年前のベルリンの哨兵交代を思い出すなんて!

哨兵さんたちよ、キセキレイの着ぐるみを着て行進したら愉しかろうに。

いやいや、それもいっそう不気味かもしれない。「ガチョウ行進」は鳥さんたちに任せておくのがいちばんだ。

2013年3月 5日 (火)

天王寺ハルカス

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放送大学大阪学習センターの所長室の窓から見た「阿倍野ハルカス」。つい先日までビルの頂上で作業していた最後のクレーンが撤去された。300メートル、60階のビルの躯体が完成した。内装はこれからだ。

300メートルはさすがに高い。この写真は3月初めの夕方5時ころ、夕映えの時刻だが、200メートルくらいから上は霞んでいる。私はどういうことか、高いものが好き。塔があれば、とりあえず登りたい。エッフェル塔もベルリン・アレクサンダー広場のテレビ塔も、ケルン大聖堂の塔も、ローマ・サンピエトロ大聖堂の塔にも、ヴェネチア・サンマルコ広場の鐘楼にも登った。きっと「煙」なみの「阿呆」にちがいない。

ゲーテは旅に出ると、到着した町では真っ先にその町のいちばん高い塔に登ることにしていた。町とその周辺の地勢を俯瞰することが、その町の成り立ちと性格を知るいちばん手っ取り早い方法だと考えていたのだ。私など、そんな高級な意識はまったく持たないが、見遥(みはる)かす遠い地平線に白銀の山なみなどが見えると、むしょうに嬉しい。青い大海原などが見えたら有頂天だ。

東京スカイツリーには登りたくて仕方がない。「阿倍野ハルカス」、今は「フン」と言って平気な顔をしているが、何か心が落ち着かない。開業したら、いそいそと出かけるだろうなぁ。

その「阿倍野ハルカス」、通勤モノレールの窓からも見える。不動のハルカスの手前を群小の高層ビルのシルエットがどんどんよぎってゆく。恒星の前を通過する惑星のように。身近すぎたらわからないが、やっぱり「ハルカス」は大きくて高いんだと感心しながら、短い乗車時間中じーっと見つめている。変なオヤジだ。

2013年3月 4日 (月)

Opt Galleさんのこと

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Opt Galleさんは千里山駅前のメガネ店のことである。今日はそこへ、出来上がったメガネを受け取りに行った。十年来のなじみのメガネ店で、家族全員メガネはここと決めている。家人が作ってもらったメガネは相当な数になるが、誰も一度も不調を感じたことがない。

私の目は近視も乱視も度が強い上に、60歳を越えたころからは遠視も加わってずいぶんと厄介なのだが、Opt Galleさんに遠近両用のメガネを作ってもらって、これまでどんなに救われたことだろう。Opt Galleさんのメガネ調整の技術に私は絶対の信頼を置いている。それは、Opt Galleさんが独自の美意識と自分の技に真摯なプライドを持ち続けているからだ。

そのOpt Galleさんが、近々店じまいするという。そうなると困るひとが、私のほかにも大勢いる。「Opt Galleさん、がんばって下さい」と、切にお願いもし、大いに激励もしてきた。

というわけで、新しいメガネをかけて千里山から緑地公園まで足を伸ばした。視界がすっきりすると、足取りも軽くなった。マンサクの花が咲いていた。

荒野の白梅

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自宅マンション裏の空き地は、開発を待つ束の間の遊休を楽しんでいるかのように草ぼうぼう。そこに「植え捨て」られたかのように白梅の木がいつの間かにか大きくなって今年の花を咲かせている。

手入れの行き届いた梅林の白梅・紅梅は、花数も多く枝ぶりも颯爽としていて見事だが、こんなふうに草ぼうぼうの荒地に人の目を気にせずに、まあ「ぶさいくに」咲く梅には、梅林の梅とは違った「ゆかしさ」が感じられて、心和むものがある。

遠景は射し染めた朝日で明るいが、近景の梅は蔭の中でまだ靄(もや)っている。このままそーっとしておいてやりたいと思った。

「草いろいろ おのおの花の手柄かな」(芭蕉)

更科(北信濃)へ旅立つ芭蕉を見送った美濃(岐阜)の門人たちに贈った句だ。ひとり一人の句作への精進をねぎらったのである。

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