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2013年2月

2013年2月28日 (木)

嫌われ者のムクドリと身勝手な人間

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ムクドリはどうやら嫌われ者らしい。先日の朝日新聞朝刊の北摂版に枝を伐り払われて丸裸にされた街路樹の写真が出ていて、その記事に「街路樹に群がるムクドリがギャーギャーうるさくて、糞害がひどいために」と書かれていた。ムクドリはすっかり悪者扱いだった。

自治体が手を焼いているのは、ほんとうはムクドリではなくて、ムクドリのように「ギャーギャーうるさい」クレーマーではないのか。詰め腹を切らされるのはいつも自然の側だ。人間のその時々のご都合で、木々は春の芽吹きと花の季節を俟たずに無残に伐られ、野鳥たちはねぐらを奪われ追い払われてしまう。

ムクドリが田畑の害虫を餌にしていて農耕に役立つ益鳥とされていた時代もあった。田畑が減り、その田畑も農薬の散布で虫がいなくなり、糧を奪われたムクドリは都市住民のまじかにまで餌を求めてやってくる。自動車の騒音や電子機器の電磁波、ありとあらゆるゴミを好き放題まきちらしながら、野鳥の鳴き声や糞には妙に神経質なのが都市住民なのだ。

見放したはずの自然にいずれ見放されるのは、じつは人間だ。人間の心の荒廃は自然に映し出され、また自然の荒廃した姿が人間の心の荒寥を増幅する。

ムクドリのあどけないまなざしを見ていると、「ムクドリに何の罪ありや」と思わずにはいられない。

ムクドリは数十羽から、ときには数千羽の大きな群れを作る。その群れが動くときには、群れはまるで巨大な雲形定規のようにくっきりとした輪郭を保ちつつ、天空を猛スピードで自在に舞う。その壮大・壮麗な景観は神秘的だ。

空の鳥にしても海の魚にしても、生き物のそうした群れの動きがどのようして可能なのかは、いまだ謎らしい。数千羽の群れ全体が、まるで一羽の鳥のように、何分の1秒かの速さで一糸乱れずに方向を転じる。それは、おそらくは個体の意思を超越した宇宙的な意思(「神意」と言ってもいい)によって統御されているとしか思えないのである。

ムクドリの一羽一羽の内にそうした「神意」が働いていることに対する「畏怖」を私たちはいつしか失ってしまった。

2013年2月26日 (火)

アオジ

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今日2月26日、北緑丘の千里川ぞいのニレの木でニレの実の莢(さや)をついばんでいる10羽ばかりの野鳥の群に出会った。最初、逆光だったせいか、スズメだと思った。木の下に立ってしばし観察。カメラを向けてもいっこうに物怖じする気配がない。スズメなら、通りがかりに足を止めただけで、一目散に散ってゆくはずだ。「あれっ」と思って、よく見るとカワラヒワらしい。ニレの莢を喜々としてついばむカワラヒワらしき鳥をカメラに収めようと、私も喜々として何度もシャッターを押した。

自宅に戻ってモニターで拡大して見ると、カワラヒワのように嘴が太くない。以前にも迷ったことのある「あの鳥だ!」と思った。「マヒワ」か「アオジ」か。カワラヒワとアオジとマヒワを区別するのは難しい。ウェブ図鑑と撮った写真を何度も何度も見比べて、「アオジ」だという結論に達した。しかし、まだ自信があるわけではない。

この自信が持てないところに、バードウオッチングの不安と醍醐味があるのかな ・・・私にとっては・・・。「奥深さ」などと言えば、先達の方々に一喝されること必定。

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2013年2月25日 (月)

プリムラ・オブコニカ

プリムラ・オブコニカの花梗が折れたので花を摘んで、水に浮かべてみた。花弁のサーモンピンクと花芯の緑のコントラストがはっとするほど鮮やかだ。

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このごろ花苗を売る店の店頭をいちばんはなやかに飾っているのが、このプリムラ・オブコニカ。サクラソウの一種だ。勤務するセンターに赤いのと紫のと2鉢買って、赤は執務室に、紫は事務室に置いた。

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2013年2月22日 (金)

毎朝のストレッチ

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この頃は早く目が覚める。眠い。しかし、布団から両腕を出して、両掌(てのひら)をぴったりと合わせて36回擦(こす)る。36回が大切だ。36数えながら、掌に注意を集中する。なぜ36なのかは、分からない。「聖数」か「魔数」か。私には信仰心はないが、まあ、「お祈り」みたいなものだろう

やおら、布団の上に上半身を起こして正座し、両腕を水平に肩まで挙げて両掌でゆっくりと額、まぶた、唇の上をそれぞれ10回ずつ、今度はそーっと摩(さす)る。続いて首筋の横、下、後ろを、左右20回ずつ擦る。両手の親指と人差し指を肩に当てがって、両肩を後ろに引っぱるように広げる。これも20回。そこで完全に目が覚める。

立ちあがってカーテンを開ける。東の空が白み始めている。しかし、外はまだほの暗い。今朝は小雪のちらつく冷たい朝だった。

ヴェランダの窓の結露を丁寧に拭き取ると、鉢植えの水仙の花と檸檬(れもん)の黄色い実が目に新鮮だ。

ストレッチ体操は首から背骨、腰から両脚、そしてくるぶしの関節まで数を数えながら丁寧に進めて行く。上から下まで全身の筋肉と関節のこわばりをほぐし、呼吸を整え、血流と気がめぐり始めるまで、おおよそ30分。そのあとシャワーを浴びる。こうしないと私の一日が始まらなくなって、もう約2年。

さて、マンションのごみ置き場まで、ゴミ袋を持っていく役目もできるだけ買って出る。ゴミ捨ての帰りに4階の自宅まで一段飛ばしで階段を上(のぼ)って来れるのが、嬉しい。「嬉しがり」と言われても、続けられるだけ続けようと思っている。

2013年2月21日 (木)

春を探しに行く

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粉雪のちらつく寒い日の午後、それでもこっそりと忍び足で近づいてきているはずの春を捜して近所を歩いた。すると、ロウバイ、白梅、それにもう紅梅も。水仙も気品のある香りを漂わせていた。

白梅の一枝をカメラに収めた。バックのピンクは紅梅。これで真っ青な空が広がったら、春が完成だ。

「白梅のあと紅梅の深空あり」(龍太)

写真は光量が足りなくて、ちょっとピンボケのほろ酔い気分。

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シジュウカラのつがい

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シジュウカラのツーショットはめずらしい(私としては)。というのも、シジュウカラは動きが活発で敏捷、さかんに枝から枝へと移動して、じっととまっていることが少ない。そして、彼らはどうも大きな群れを作らないみたいだ。

そのシジュウカラがつがいで(つまりツーショットで)カメラに収まってくれた。胸元のブラック・タイが細い右が雌、左の太いのが雄のようだ。下の写真は雄。冬枯れの今は餌になる木の実がすっかり少なくなった。やっと手に入れた木の実を両足でしっかりと押さえて、ほっとした表情。

あんなに自由に身軽に空を飛びまわっている野鳥たちにも、生きることはたやすくないことは、日々接しているとよくわかる。だからこそ、彼らはあんなに美しい。

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2013年2月19日 (火)

花屋さんで

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今日通りがかりにのぞいた花屋さんで、あまりにきれいだったので「撮ってもいいですか」と訊いたら「どうぞ」ということなのでパチリ。お花屋さんには悪いことをしたのかな、とちょっと気になりました。

そこでパンジーとデイジーの花苗を買いました。薄闇が降りてきて、シンシンと冷え込んでくるヴェランダで、鉢土の入れ替えと植え込みですっかり凍えましたが、心地よい冷え。というのは、「強がり」?

2013年2月 5日 (火)

友だちの友だちイソヒヨドリ

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このイソヒヨドリは、野鳥好きの友だちAさんの友だちだから、わたしには友だちの友だちというわけである。今日、犬を連れて散歩中のAさんに道でばったり出会ったら、「お友だちを紹介します」という感じでイソヒヨドリに会いに行った。

と書くと、「飼い鳥としてのイソヒヨドリかな」と思われることだろう。そうではない。ちゃんとした野生のイソヒヨドリである。わたしはまだ生まれて二度しか見たことがない。それはいかにも野趣に富んだ鳥で、野鳥のなかの野鳥という感じだった。

「イソヒヨドリがわたしを待ってくれているから」という感じ。「エエッ!そんなのありえない」と思ったが、彼女の「にこにこ」と「すたすた」には有無を言わせぬ力があった。わたしは自宅への道をUターンして彼女のあとについて行った。

「ああ、いました、いました!」とAさん。彼女の指さすマンションのヴェランダの縁(へり)にイソヒヨドリがいた。「わたしが行くと、寄って来るんです。いま、パンをあげるので地面に下りてきますよ。」 彼女がパンくずをまくと、たくさんのスズメに混じってイソヒヨドリも2~3メートル先の地面に下りてきた。妖精が杖をひと振りすると、星がキラキラこぼれ落ちる感じ。信じられない光景だった。

Aさんは会うたびに「今日もイソヒヨドリに会った」と言うのだが、「Aさん、それは別の鳥を見まちがっているんじゃないですか」というわたしの無意識が表情に出ていたに違いない。Aさんはちゃんとそれを感じ取っていたのだった。

そこで、Aさんはイソヒヨドリを餌付けしたのだ。いわば魔法をかけたのだ。Aさんはまことにすべての生きものと友だちになる能力を備えた希有なひとだ。わたしは、完全に脱帽した。

2013年2月 1日 (金)

ヒレンジャク騒動・余話

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ヒレンジャク騒動の余波が続いている。ヒレンジャクが「わが庭」を訪れたのは1月28日のことだった。今日は2月1日。あの日の夕刻には、ヒレンジャクは南へ去ったと思っていたのが、翌朝ヴェランダ前の木立にまだとどまっていたことはすでに報告した。

そして今日。臨時の休日を利用してまた北緑丘までウオーキング。メジロ、シジュウカラ、ヤマガラ、コゲラと、川べりの潅木の茂みは賑やかだ。野球帽をかぶった白ヒゲのおじいちゃんが通りがかりに「何おります?メジロ?メジロはかわいいなあ。人なつっこいなあ。ぎょうさんいるわ、メジロは」と、大きながらがら声で笑う。野鳥たちがいっせいに逃げていった。「おじいちゃんも人なつっこいなあ」と思った。

すると今度は、大きな望遠カメラを提げたおじさんが近づいてきて、「何かおりますか?」「メジロ、ヤマガラ、コゲラ」と私。「ヤマガラ、おりましたか?ヤマガラ、この頃見んようになったな。そこにシロハラ、いましたわ。」と言いながら、おじさん、自分のカメラのモニターを示しながら「これ、シメですかな?お宅がさっき通っていきはったところにいましたわ。」たしかにシメだった。「やられた、残念」と思ったが、口に出しては言わなかった。

そこで私は「3,4日前にヒレンジャクが梨谷池に100羽くらい来てましたわ。」と、さりげなく応戦。「100羽も。そら、すごいわ。さっきそこにヒレンジャクいましたわ。これ」と言っておじさん、モニターを差し出す。鮮やかな体色のヒレンジャクが映っているではないか。「そこの交差点の向こうですわ。」とおじさん。そうなのだ。ヒレンジャクが来ていることは近隣の野鳥好きの間ではもう周知の事実になっていたのだ。私は自分の有頂天を少し恥じたが、まだヒレンジャクが近くにいることが嬉しかった。

自宅の方向に向かっていた足を転じて、川沿いをおじさんの指示に従って下流へと向かった。そして、ヒレンジャクを見つけた。野畑南公園のコナラの高い梢に群がいた。彼らはあまり動かない。ときおり、群の一部が梢と千里川の川原との間をすばやく往還している。その途中、つかの間、川沿いのサクラ並木の枝にとまるものもいる。その瞬間をカメラで捉えることができた。

私があまりにもただならぬ様子でカメラを構えていたからだろう、「何ですか」と通りすがりの何人もの人が訊いていかれた。「ヒレンジャクです。めったに見れない鳥です」と私。多くの人が「よかった。いいもの、見せてもらいました。」と頭を下げていかれる。わがことのように嬉しかった。

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下の写真は、ネズミモチの実に群がるヒレンジャク。

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