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2013年1月

2013年1月30日 (水)

バード・デイはヒューマン・デイ

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ヒレンジャクがやってきた一昨日は、まことに「バード・デイ(鳥の日)」だった。鳥に出会う日は、不思議に人とも出会う。バード・デイは、その意味でヒューマン・デイ(人間の日)でもある。

その日、午前中からバードウオッチングを兼ねて箕面までウオーキング。千里川の川ぞいを歩いたが、往きはほとんど野鳥の姿を見かけなかった。空に雲の往来が激しく、川すじは風が吹き抜けて行くから、陽が翳ると冷気が膚を刺す。こんな日は野鳥も繁みに身を潜めている。「今日は日が悪いかな」と思った。

箕面駅まで歩いてお昼になったので、駅前のイタリアン『フラグランツァ』でランチ。この店のシェフの腕前は超一流だ。アンティパストに鯛のカルパッチョ、スパゲッティはチキンと茸のクリームソース、それにドルチェ二種とコーヒー。正確に計ったようなタイミングで料理が出てくる。料理の味付けに「これ見よがし」な押しつけがない。さりげなくおいしい。厨房でいつもひっそりと黙々と時間を計り手を動かしている。その手順に寸分の狂いもない。職人技というほかない。

さて、買い物をして二キロの道を歩いて帰るのには気合が要る。タクシーでも拾おうかときょろきょろしながら歩いているうちに、いつの間にか千里川ぞいまで戻って来てしまった。じつは一台、空きタクシーをやり過ごしたのは、どこかやっぱり野鳥を見たい気があったからだ。

いつもの観察スポットまで来ると、ピラカンサの茂みにメジロが群れていた。人が近づいても平気で、もう凋(しぼ)みかけた赤い実を啄(ついば)んでいる。今日はメジロの日だと思いながら、川すじを下って来ると、カメラを提げたおじさんが嬉しそうに近づいてきて、「こっち、こっち」とわたしの手を引くように急ぎ足で橋を渡った五〇メートルばかり川下へと先導してくれた。「カワセミのつがいですわ。もう飛んで行ってしもてたら、ごめんね」と言いながら。

「いた。いた。見える?ほら」とおじさんが指さす対岸の茂みに、確かにカワセミの青い羽が光っていた。しかも、つがいのカワセミ。夢中でカメラのシャッターを押した。上の写真がそれである。下の嘴が赤いのが雌、黒いのが雄。

カワセミも嬉しかったが、親切なおじさんのこんなにも優しい笑顔がもっと嬉しかった。このおじさん、思えば2年前の3月11日の午後、千里川ぞいで野鳥探しをしているわたしに東北大地震の第一報を知らせてくれたのだった。

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2013年1月28日 (月)

ヒレンジャク

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ヒレンジャク(緋連雀)が百数十羽の群れをつくってヴェランダ前の木立にやってきた。私は目を疑った。そしてほとんどパニックに陥った。というのは、ヒレンジャクに見(まみ)えるのはじつに三年ぶり、私の人生で二度目のことだったのだ。しかも、他人の土地とはいえ、わが庭といってもいい場所だ。

「渡り」の途中に「わが庭」を訪れたのだ。私は早速バードウオッチャー仲間にメールを送ろうとしたが、慌てていてうまくいかない。携帯番号を失念していたので、思い余って彼女の職場に電話。何という迷惑!「Aさんを呼んでください!急ぎの用があるので!」「Aさんは今日は遅出でまだ来ていません。」「それじゃ、彼女の携帯番号、教えてください。」ストーカーを疑われたのか。「お宅はどなたでしょうか?」「ハヤシです!ハヤシ マサノリです!」「それじゃ、彼女にハヤシさんにお電話するように連絡いたします。」

すぐに、件のAさんから電話。「私もいま隣の公園にいて見てるんです」との声。私は窓を開けて、公園のAさんに手を振りながら携帯で歓呼の声を上げ続けた・・・という次第。

群れは二時間ばかり冬枯れのクヌギやヤマナラシやら樹上にとどまって、暮れなずむ頃、姿を消した。南の方へと去って行ったのだ。「夢のような」(人が聞いたらきっと「呆れた)」二時間だった。

(追伸)今朝7時半、出勤のため玄関のドアを出たら、緋連雀の群れがまだ樹上にいた。ここで、夜を明かしたらしい。わたしはカバンから携帯を取り出して、その姿を撮り収めた。おかげで、予定の電車を逃した。

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2013年1月25日 (金)

ベッドの中の宇宙、または水琴窟

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水琴窟は日本庭園の仕掛けの一つで、手水鉢の水が地中に埋められた甕の中に一滴ずつゆっくりと滴り落ちるとき、水滴が水面に落下する瞬間に、その水音が甕の空洞に反響してえもいえぬ妙なる響きを奏でる。一つの音が響きやむと、そこに生じた真空に次の水滴が引き寄せられるように落下して次の音が響く。二つの音は絶妙の沈黙を挟んで、連続する。

ところで、本部で会議のあるときたいてい幕張駅近くの中級ホテルで宿泊するが、先日寝入る前にベッドのシーツに耳をつけていると、ベッドの内部から水琴窟のような音が聞こえた。「ルリーン」というような柔らかな金属音が波動となって広がり、一つの音が響きやむくと、しばらくしてベッドの内側の別の場所から、まるで「こだま」が帰ってくるような音の波動が寄せてきた。

不思議な感触に襲われた。宇宙空間で星が墜ちるような音(まだ聞いたことはないが、流れ星が落ちるとき耳を澄ますと聞こえてきそうなそんな音)。一つの星の墜落が何億光年か離れた別の星の墜落を誘い出しているような感じだった。不規則に連続する音を聞きながらやがて寝入ってしまった。翌朝、何だったのだろうと考えていて、やがてあれはベッドのクッション・バネがきしむ音だったのだと気がついた。ベッドの中の宇宙。壺中の天。

ふとドストイェフスキーのことばを思い出した。「一切万物は大海のようなものだ。すべては流れ入り、互いに触れ合うのだ。どこか一箇所で何かを動かしたら、それは必ず世界の別の一端で反響するのだ。」

2013年1月24日 (木)

シロハラ

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この鳥はシロハラ(たぶん、雌)といってツグミの一種。冬にときどき住宅地の植え込みの陰などにいる。あまり動かないし、鳴かないし、何か考えごとをしているみたいにぼんやりと前方を見ている。といっても、心配ごとがありそうでもない。ただ、いつもきかん気な表情をしている。わたしは、意外に気立ての優しい鳥ではないかと見ている。強面(こわもて)だが、威嚇する雰囲気はない。

強面で損をしているのか、野鳥のガイドブックなどでは、いつも無視されるか、簡単に片付けられてしまっている。「そんなこと、どうだっていいさ」といった風情に可愛いげ(コケットリー)がないからだろうか。損な性格だ。

とここまで書いてきて、自分がいつも鳥たちを人間に重ね合わせて見ていることに気がついた。これは、何と言っても「邪道」だ。鳥を鳥として見なければ。

それにしてもシロハラ、まるで戦国武将のようだな。(おっと、いけない!)

2013年1月22日 (火)

ウグイスとメジロ

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これはウグイスかセンダイムシクイか、私にはまだ区別ができない。千里川の枯れ葦の茂みに身を潜めるようにして、すばやく小刻みに移動している。レンズに捉えるのはなかなか難しいが、昨日の午前やっと撮った写真。 白い眉班が凛々しくて、尻尾をぴんと上に立てている姿は魅力的だ。体色は背中が薄茶、お腹が白。保護色というべきか。鳴き声はいまだ聞かず。そのうち「ホー・ホケキョ」と鳴いてくれまいか。

ところで、「鶯(うぐいす)」色をしているのはメジロ。これはひと怖じしない小鳥たちだ。昨日は30羽位の群れを作って、ピラカンサの木に群がって実を啄んでいた。メジロは赤いものが好きだ。少し前なら柿の実、今ならサザンカの蜜、ピラカンサ。そしてこれからは紅梅、サクラ。メジロは「みつすい」とも言うらしい。

「赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」という童謡があるが、「赤い実」を食べたメジロはウグイス色。

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ロウバイやらハボタンやら

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またたく間に松の内も過ぎて、慌ただしい年度末の行事が目白押しの季節になった。そのうえ「ノロだ、インフルエンザだ」とウイルスが跳梁する時期と重なっているから厄介だ。

私は年末くらいから鼻の具合が悪い。鼻腔がやたらと乾燥して、くしゃみが止まらない。空気が乾燥している上に、花粉やら黄砂が舞い始めているらしい。ミクロの敵と渡り合いながら、頭(ず)を低くして春を待つ心境である。

そんな願いを込めて、人毎に「もうロウバイが咲いている」とか「日本水仙が匂っていた」とか「ミモザの枝が明るくなってきた」とか触れまわっている。そんなふうに言うことで、心のうちで春の訪れを既成事実化しようとしている。

しかし、嘘を言うわけにはいかない。そこでこの季節、ロウバイの芳香を求めてご近所を彷徨う。小学校同級生の旧家の庭にロウバイの大きな木があって、高い築地塀(つじべい)越しにロウバイを鑑賞するのが、この頃年中行事の一つだ。今年はしロウバイの花付きが少し悪いようだ。それでも、青空に映えるロウバイの黄色は、やはり嬉しい。

そのご近所で葉ボタンの寄せ植えを見つけた。門松を飾った葉ボタンがすっかり大きくなっている。暮れに迎春用のハボタンが店頭に並んでいるときには、贈答品の熨斗(のし)みたいに疎んじているが、役目を終えて「素」に戻ったハボタン、じつにみごとな造形美だ。縮緬(ちりめん)状の葉の重なりが微妙な色彩のグラデーションを演出して、自然の造形の奥深さを感じさせる。

お定まりの(寓意としての)役割から解放されると、生命はその本来の輝きを取り戻すものだ。

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2013年1月20日 (日)

セグロセキレイ

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読み終わった漫画雑誌を千里川の流れに放り込んだ奴がいる。水を含んで膨れ上がった漫画雑誌の無様な姿が、私には苦になって仕方がない。まくれたページに「♥」マークが見えている。多分、その雑誌に連載中のラブコメだろう。鬱屈と自虐を抱え込んだ思春期の光景がそこに透けて見える。

奴と書いたが、その子は何でもいい「心の滓り」を捨てたかったのだ。きれいな風景の中に。陽ざしにきらきら光るせせらぎの川面に。

川ぞいを散歩していると、川に投げ込まれた様々なゴミが目に飛び込んでくる。ペットボトル、ビニール袋、即席めんのカップ、スナック菓子の袋。木の枝に雨傘まで引っ掛かっている。自転車まで投げ込まれていたことがあった。盗んだ自転車なのか、「いじめ」なのか。この川沿いの野鳥と野草のパラダイスも、たぶん、そしてやはり、今の子どもたち(大人かもしれない)の心の風景の一齣(こま)であることを免れない。

とすれば、「よく目をこらしてごらん、よく耳を澄ましてごらん、君たちの心の中にもこんな美しい野鳥たちが住んでいるんだ。こんな美しい花が咲き、木の実が色づいているんだよ」と教えてやりたい。

セグロセキレイは足元の紙くずに気をとめていないように見える。何かほっとする。

2013年1月 5日 (土)

茶屋町のお正月

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正月の三日目、梅田の茶屋町をぶらぶら歩いていたら、「あん珈琲」の看板を見つけた。初めて聞いた(見た)言葉で、一瞬冗談かと思ったが「あん珈琲」の文字の右下に小さく「も」と書いてある。「も」のリアリズムが奇妙に説得的で、これは本気だと思った。残念ながら閉店中で、味わうことはできなかったが、これは結構いけそうだ。「コーヒーぜんざい」というネーミングなら受け入れやすかっただろうが、それでは面白くないし、いささか胃にもたれそうだ。それにしても「あん珈琲」、一度験してみよう。

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しばらく行くと、ドアに「Closed 営業時間は14時頃から」と書かれた掲示が掛かっている喫茶店があった。これには笑ってしまった。「14時頃」にご丁寧にアンダーラインまで引かれている。「頃って何やねん?」と突っ込みをいれたくなった。大阪人のこの生活確信的なアバウトさは、アジア的というかイタリア的というか・・・

しかし、考えてみれば「頃」というのは、まあ「正直」というか、ある意味で実態に即して「厳密」と言うべきかもしれない。私がご贔屓にしているフレンチのお店は6時開店で、6時前に行くと、きっかり6時までドアの前で待たされる。その「厳密さ」「誠実さ」(?)とは真逆なのだが・・・

いろいろな行き方があるのが、大阪の「面白いところ」と取りあえずまとめておこう。

2013年1月 4日 (金)

イカルとカワラヒワ

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明けましておめでとうございます。新しい年が平和で静かな年となりますように。

暮れに近くの千里川ぞいで撮ったイカルとカワラヒワです。イカルは「ヒーホー ヒーホー」とのびやかな美声で歌います。カワラヒワは無口?あまりその鳴き声に注意が向きません。カワラヒワはニレの木の実が好きで、くちばしのあたりにいつもニレの実の莢(さや)をくっつけています。

今年が野鳥たちにとっても、幸せな一年でありますように!

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