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2012年9月

2012年9月29日 (土)

ナツメヤシに寄りかかる伯爵夫人

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ナツメヤシに寄りかかる伯爵夫人。このピンクのノウゼンカズラの品種名は、「コンテッサ サラ」(サラ伯爵夫人?)だそうだ。オアシスのロマンスではなく、散歩の道すがら見かけた住宅地の一隅。

ナツメヤシの実は砂漠の民の生命の糧。乾燥した実は貴重な栄養源で、しかも美味しい(一度だけ北アフリカ帰りの方にお土産で頂いた)。このご近所のナツメヤシの実は、はたして食べられる?私は、食べてみたいが・・・

2012年9月28日 (金)

赤とんぼ

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陽が傾き始めたころに近くの公園に出かけると、赤とんぼ(アキアカネ)が群れ飛んでいた。「赤とんぼって、こんなに赤かったんだ」と今さらのように驚いた。

赤とんぼは夏の高温を避けて山に移動していたのが、秋の訪れとともに里に下りてくるらしい。山にいるときは黄色、里での秋の深まりとともに、赤の色を濃くする。鮮やかな赤は、雄。赤は雌を引き寄せるいわゆる「婚姻色」だと考えられてきた。

しかし最近の研究で、体内のオモクロームという色素が赤とんぼの生存戦略に重要な役割を果たしているらしいことが明らかになってきた。オモクロームが紫外線による活性酸素から身を護る働きをしているらしい。

それでは、なぜ雄だけ?強い陽ざしに身を晒して、自分の領域を誇示し、雌を引き寄せるため?人間界の比喩で言えば、女の子を引っ掛けるために突っ張っている?

そんなふうに考えると童謡『赤とんぼ』の風景が違って見えてくる。子どもの頃、「負われてみたのはいつの日か」という歌詞を「追われて見た」と思い込んでいた。群れ飛ぶ赤とんぼに追っかけられているような、無意識の不安が誤解を生んでいたのだろうか。

それに「姉(ねえ)やの背中に負われる子」も、「姉や」という子守女の存在もその頃にはすでに消えてしまっていた。『赤とんぼ』の歌もまた、その頃すでに「逝きし世の面影」になってしまっていた。そこが、私たちの琴線に触れてくるところなのだろう。

2012年9月26日 (水)

足音

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今朝、早朝のまどろみのなかで遠くから弾むような軽快な足音が近づいてくるのが聞こえた。聞き覚えのある足音だと思っていると、そのうち足音が旋律にに変わった。半睡半覚の中では、大好きなその旋律が何の曲のものだったのか、いくら思い出だそうとしても、思い出せなかった。

目が覚めてしばらくしてから、それがアルベニスの『パバーナ・カプリーチョ』だったと思い出した。半ば夢の中で、同一の旋律が何度も繰り返し聞こえてくるというのは初めての経験だった。

昨日の散歩の途中、戻ってきた野鳥たちの姿に出会ったせいかなと、ふと思った。野鳥とともに何かが帰ってきたのだ。

上の写真は、カルガモ。風切羽の青が晴れやかだ。陽が傾き始めた頃、竹やぶの高いところでモズがあたりを睥睨(へいげい)していた。

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2012年9月25日 (火)

チェリーセージの蜜を吸う・・・・

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ホバリングしながら長い口吻(こうふん)を伸ばしてチェリ-セージから吸蜜するのは・・・・? 蜂なのか、蝶なのか、蛾なのか?「蛾 ホバリング」でウェブ検索すると「オオスカシバ」だと判明した。「スズメガ(雀蛾)科ホウジャク(蜂雀)亜科」だそうだ。つい2時間前に撮ったばかり。

ひと昔前だったら、「オオスカシバ」という名前に行き当たるまでにどんなに長い時間と膨大な労力を費やしたことだろう。しかし、その時間と労力の中から、オオスカシバに対するどんなに豊かな愛着と知恵が生まれたことだろうか。それを思うと、今は幸福な時代なのか不幸な時代なのか、わからなくなる。

2012年9月24日 (月)

長谷池の畔で

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長谷池の畔りで見つけたヤブラン(上)とタマスダレ(下)。

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2012年9月22日 (土)

黄色い彼岸花

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毎年この季節になると、ご近所の野鳥仲間の奥さまが「黄色いヒガンバナが咲き始めましたよ」とメールをくださる。

メールをもらってその場所に飛んでゆく。去年よりは株が増えて十数本も黄色のヒガンバナ(ショウキラン)が咲いていた。赤い曼珠沙華が発散する強烈なオーラをさっぱりと脱ぎ捨てた新世代。どなたかが植えられたのだろうと思うが、池畔の雑草にたちまじって、今のびのびと咲いている。

2012年9月21日 (金)

ランタナにとまるアゲハチョウ

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アゲハチョウはランタナの花が好きなようだ。雨模様の午後、ランタナの花と戯れるアゲハチョウに見入ってしまった。ほかの花の方に飛んでいっても、すぐにランタナの花に戻ってくる。

特定の花と特定の蝶(昆虫)との間には私たちが想像する以上に相思相愛の仲があるに違いない。しばらく眺めていて、ハッと気がついてカメラを取り出してみたが、ピントを合わせる間もなく飛び去っていった。おかげでおおいにピンボケ。

翅が破れたみたいに見えるのは、羽ばたいているせい。動きが感じられて、これもいい。というのは、やっぱり自己満足か。

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2012年9月19日 (水)

葛の花

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晩夏から初秋にかけて、どこにでもみられるありふれた葛の花。その花をじっくりと観察することはあまりない。しかしよく見るとなかなか味わい深い花だ。

花色のヴァリエーションは多様だそうだが、基本は紫。そこに、赤・青・ピンク・白などの色が混じる。写真は千里川の岸の雑木にからみついた葛の花房。

葛の花 踏みしだかれて色あたらし。この山道を行きしひとあり (釈迢空)

中学校か高校か、国語の教科書で誰もが一度は習ったこの歌。釈迢空(折口信夫)が壱岐(いき)に旅したときの作とか。歌集『海やまのあいだ』(1925)に収められている。同じ歌集に「人も 馬も 道ゆきつかれ死ににけり 旅寝かさなるほどのかそけさ」の歌もある。

この歌、いろいろと解釈の別れる歌のようだ。実景を歌ったものかどうか?葛の花を踏みしだいて進まねばならないとすれば、深い山の踏み分け道かとも思うが、私の解釈はこうだ。

山道の両側の木の梢に絡みついた葛、その蔓(つた)から落ちた赤紫の花が地面に散り敷いている。落ちた花は踏まれて紫の花色をあざやかに滲(にじ)ませている。それを見ると、この道を通り過ぎて行ったものの<存在と非在>がいっそう心に染み入るように感じられた。あるいはこの道は、ひょっとすると遥かな異域へと通っていそうな、旅ごころの心細さ。

葛は万葉の昔から人々の暮らしと深く結びついた植物だった。葛の根は葛粉として食用にもなり、生薬の原料として重用されてきた。茎から採られた繊維は葛布(くずふ)として利用され、その長く勁(つよ)い蔓は編んで生活用品として役立てられた。そう思って読むと、迢空の歌の背後にも無数の名もなき庶民の暮らし、その生と死とが水底に<沈透(しず)き見え>てくるようだ。

とはいえ他方では、葛の繁殖力は凄まじく、今は世界の侵略的外来種ワースト100の一つだそうだ。

葛が人々の生活を扶(たす)ける必要不可欠な有用植物であったころ、人々はその根をさかんに掘り起こし、茎や蔓をせっせと刈り取っていたから、葛の繁殖は適正に抑えられていたらしい。自然と人との関わりを教えて、示唆に富んでいるように思われる。

ちなみに、葛は日本の在来種で、英語でもドイツ語でも"Kudzu"。日本人と葛のつながりの濃さをうかがわせる。

2012年9月15日 (土)

メジロ

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二十四節気の白露(今年は9月7日。野の草に露が白く光る頃を云う)を過ぎてもなお、猛暑日が果しないぬかるみのように続いている。この日照りのなか野鳥たちはどんなふうに暮らしているのか。スズメとハトとカラスは、それでも身近に姿を見せているが、ほかの野鳥たちはどのこに身を潜めているのか。

2,3日前たまたま通りかかった千里中央の宅地そばの雑木林で、スズメよりも小型で、高い声でさえずる小鳥の群れに遭遇して、カメラを向けた。10羽ばかり、鬱蒼と葉を生い茂らせた梢の高みで、ランダムに交錯する線を描いて戯れていた。「ああ、やっぱり秋が来ていたのだ」と嬉しかった。PCのモニターで拡大して見ると、メジロだった。メジロが秋を運んできたような気がした。

2012年9月14日 (金)

Flamma Vestalis(ヴェスタの炎)

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Flamma Vestalisとは、「ヴェスタの炎」というラテン語だが、ローマ神話のかまどの神ヴェスタの巫女のことを指しているらしい。この小さなエッチング(15X40センチ)はエドワード・バーン=ジョーンズ展(兵庫県立美術館で開催中)で私がもっとも心ひかれた一枚だ。

背景をなす風景の細部に至るまで丹念に描かれた少女像。少女の表情には、レオナルド・ダ・ヴィンチのマリア像を彷彿とさせる高貴な精神性が宿っている。

エドワード・バーン=ジョーンズ(1833-1896)はダンテ・ガブリエル・ロセッティの薫陶を受けたプレ・ラファエリズム(ラファエル前派)の画家で、キリスト教中世への憧憬をテーマに、中世の聖ゲオルギウスなどの聖者伝説、「円卓の騎士」などの中世騎士譚、「いばらり姫」などの伝承説話、そしてギリシャ神話に取材した作品を多く残した

それらはほとんどすべてが寓意(アレゴリー)画で、描かれている人物たちは細密に描かれれば描かれるほどに、リアリティをはぎ取られ、血の通った人間としての厚み・奥行きを失っているように見える。しかし、描かれた素材が美しくも虚ろな器であれば、観る者はそこに自分の想像力を自由に存分に注ぎ込むことができる。リルケの言う「世界内面空間」での自由な飛翔が可能になる。

下のタペストリー(壁掛け)は、バーン=ジョーンズの原画によってウイリアム・モリス工房が制作した「巡礼を導く愛」の一部。「愛」の天使は弓矢を手にしているが古代神話のキューピッドではなさそうだ。沼地を越えて「愛}が「巡礼」を導く先は、キリスト教的な愛の王国であろう。天使の足元にカワセミが描かれている。カワセミは、何の寓意だろう。

冒頭に掲げた「ヴェスタの炎」には、むしろ想像力の自由な飛翔を拒む厳しい美しさがあるように思われた。

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2012年9月 9日 (日)

換羽期のオナガ

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千葉海浜幕張公園で見かけたオナガ(たぶんオナガ。ヒヨドリにしては尾羽の形と色が違っている)。今ちょうど換羽期(羽の生え換わる時期)らしく、全身ボロをまとった落武者のような無残な姿だ。それが、カマキリを捕まえて、口にくわえたまま動かない。凄惨な情景だが、これも生き物の世界の一面だ。

換羽期には、野鳥も体力的、精神(?)的に消耗しているらしい。動きが鈍いのはそのせいだ。オナガは関西では見かけない野鳥でもあり、めずらしい光景なのでカメラに収めた。

それにしても、バード・ウオッチングの時間がほとんど取れなくなって、さびしい。先日出かけたエドワード・バーン・ジョーンズ展では、絵の中にカワセミを見つけて嬉しかった。

2012年9月 8日 (土)

ノウゼンカズラ

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兵庫県立美術館のエドワード・バーン・ジョーンズ展に出かけた。久しぶりの神戸だ。阪急王子動物園駅から南へ徒歩で20分だが、真夏のような強烈な日差しに怖気づいて、タクシーに乗った。展覧会については、別の機会に書く。

帰りはミュージアム・ロードを北へ上って、阪神岩屋駅へ。美術館前のマンションの前に凌霄花(ノウゼンカズラ)が咲いていた。展覧会のあとの高揚した気分には、いっそう美しく見えた。

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