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2012年8月

2012年8月25日 (土)

近江塩津まで

8月13日、お盆休みの初日。ぶらっと遠出がしたくなって、湖北にでも出かけてみようかと思い立った。計画も予備知識もガイドブックもなしに、湖西線で近江塩津へ。そこから余呉湖、賤ケ岳に足を伸ばそうか、そして湖畔で鮒鮨でも食おうかと、まことに気安く考えていたのだった。

正午、近江塩津の駅前に立つと燦々と照りつける真夏の日差し。路面も草木も燃え立つようだ。「余呉湖まで行きたいんですが?」と、ただ一人の駅員さんに訊く。「ひと駅先ですが・・・。次の列車は1時間後です」とそっけない。「バスは?」「ありません。」「タクシーは?」「ありません。」「レストランは?」「ありません。そぉー、2キロほど歩いたところに一軒あったかな・・・」駅の休憩室兼食堂(「一福(いっぷく)食堂」という屋号だった)はお盆で3連休中。お腹がすいた。

列車の中では上機嫌だった家内「どういうつもりで近江塩津だったの?」とぶちぎれ寸前。家内をなだめつつ、「ちょっと駅のまわりでも歩いてみようか。」数軒の民家が駅を囲むように建っていて、その庭先をのぞくようにして、歩いてみた。金魚草、ヒナギク、ケイトウなど子どもの頃なじみだった夏の花々が咲き競っている。短い家並みを抜けると、田んぼの畦。小川の岸にヒルガオが咲いていた。なつかしい昭和の風景だ。

駅に戻る途中、自転車を押して坂道を上ってきた初老の女性と言葉を交わした。「どちらからお見えになったですか?」「大阪です。」「それはまた遠くから。ここは何もないところだから。」 今日が盆の迎えで、寺のお墓まで行って戻ってきたところだと話して下さった。「静かで、いいところですね。私たち、お腹もすいたので、次の列車で長浜に出ることにします」と言うと、ずいぶんと気の毒がって下さった。

戻ると、列車待ちの団体さんで休憩室は大混雑。別々に離れた席を見つけて、所在なく時間をやり過ごしていた。と、先ほどの初老の女性が、人ごみをかき分けて、部屋の入口近くにいた家内を捜しあて、届け物をして下さった。炊きたての黒豆おこわに漬物が添えられた二人分のお弁当だった。手渡すとすぐに帰って行かれた。その方のお名前を訊くのも忘れて、ただただそのうしろ姿に手を合わせたいような気持だった。

団体さんがホームに去ってがらんとした待合室で二人で黒豆おこわを頂いた。おいしかった。おいしさが身体のすみずみに広がってゆく。

ここ近江塩津まで私たちを導いてくれた何かに、感謝でいっぱいだった。

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2012年8月23日 (木)

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この夏はベランダ菜園でキュウリが10本、トマトが5~6個、ナスが2個、「獲れた」。「獲れたて野菜はおいしい」と自慢してみたかったが、それが実現した。特別に手をかけたわけではないが・・・。

あるとき、きゅうりの葉蔭に「手」が見えてびっくりした。五本の指をせいいっぱい広げて、ベランダの垂直の手すりにしがみついているのはヤモリの子だった。幅がほんの1センチにも満たない小さな手。マンション8階のベランダまで、どうやって這い上がってきたのか。その小さな手に、生命の輝きと生命の切なさが同時に感じられた。

2012年8月19日 (日)

アンゲロプロス『霧の中の風景』

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今年1月、ギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスが亡くなった。国道のトンネルでバイクにはねられたという。よりによってバイクで、と思った。

というのも、アンゲロプロスの映画『霧の中の風景』(1988)に、旅する幼い姉弟に寄り添う青年オレステスのバイクが、前に弟、後に姉をのせ、海に向かって大地を蹴る場面があって、心に残っていたからだ。

まだ見たことのない父親が「いるはず」のゲルマニーア(ドイツ)へと国境を越える旅に出た幼い姉弟。姉ヴーラは11歳、弟アレクサンドロスはまだ5歳。無賃で列車を乗り継いで、警察に追われながら、冬のギリシャを北へ北へとまるで「木の葉のように」にさすらってゆく物語だ。

岩壁のそそり立つ山道を徒歩で越える途中、オレステスの運転するバスに拾われた。オレステスは旅廻りの劇団の俳優。彼もまた冷たい風に舞う木の葉のようにギリシャ中を遍歴していた。

拾ったフィルムの切れ端を街灯の明かりにかざしながら、「霧の向こうに木が見えるだろう」とオレステスは言う。フィルムの切れ端を貰い受けたアレクサンドロスは旅の合間合間に繰りかえしのぞいてみるが、何も見えない。

オレステスと別れたあと、豪雨の国道で疲れきったアレクサンドロスのためにヴーラはトラックをヒッチハイクするが、翌朝、荷台に連れ込まれレイプされてしまう。血のついた手をじーっと見つめるヴーラの無表情が哀切だ。

二人はふたたびオレステスに出会った。海に向かって空を飛ぶオレステスのバイク。「怖いかい?」と訊くオレステスに、彼の背中にしがみついて「いつまでもこのままでいたい」とヴーラは答えた。

テッサロニキ近くの海辺で、オレステスがヴーラに「踊ろう」と誘う。二歩、三歩、ステップを踏み出したヴーラはいきなりオレステスの手を振りほどき波打ちぎわにうずくまって泣き崩れた。砂浜に立つラセン階段がヴーラの心を語って美しくも痛ましい。天空に消えてゆくラセン階段。

離散の憂目に会った旅芸人の一座と別れ、テッサロニキで入営するというオレステス。「時間はたくさんあるのに、いつも急いでいる」と彼は言う。「若さ」の悲しみは、そんふうにしか表現できないのだ。

全編が霧と雨と雪に閉ざされたようなギリシャの風景の中で、朝日を受けて輝くテッサロニキの町が美しかった。海辺の街なみをバックに、海の底から迫り上がってくるギリシャの神像の巨大な手の彫刻。やがて空高く吊り上げられ、ヘリコプターで運ばれて遠ざかってゆく手を、オレステスと姉弟が茫然と見つめる。

その手が何を語っているのか、説明は不可能だし、説明する必要もない。ヴ―ラの肩におかれたオレステスの手、フィルムを光にかざすアレクサンドロスの手、深く絡め合った姉弟の手。『霧の中の風景』は、手の物語だった。

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根付の文化 ― 逝きし世の面影

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以前、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』をここで紹介したことがあった。幕末・明治期の庶民の生活を、当時来日した西洋人の目を通して、生き生きと再現した書で、今日の日本では失われた「豊かな貧しさ」を思い出させてくれた。

先日訪れた長浜の骨董店で、見つけた根付。私には別に、根付蒐集の趣味があるわけではない。たくさんの根付が無造作に放り込まれたガラスケースの中の、この根付にふと目がとまった。高さ5センチばかりの黄楊(つげ)の彫りもの。

ちょんまげの男が子どもを桶(籠?)に入れて運んでいる。男の足元のアヒルが桶の中の子どもにちょっかいを出している。それともアヒルは、子どもが差し出す餌に食いつこうとしているのだろうか?親子か、爺と孫か。二人を取り囲むのどかな風景までが、目に浮かんでくる。

江戸時代にはよく見かけた光景だったのだろうか。それとも、この意匠には何か寓意が隠されているのだろうか。

それにしても、爺がこの根付を掌でさすりながら、孫のことを思い出して煙草を一服・・・などと想像してみると、ほのぼのしてくる。逝きし世の面影だ。

ところで、長浜にはフィギュアの海洋堂ミュージアムがある。フィギュアは、日本独自の世界でも稀なユニークな文化だが、ひょっとするとフィギュアの源流は根付かもしれないと思った。

2012年8月 9日 (木)

フウラン(風蘭)

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数年前のことだが、さてどこで手に入れたものやらすっかり忘れてしまっていたラン。そのランの花が「不意に」咲いた。ネットの図鑑で調べてみたら、フウラン。風の蘭と書く。可憐で清潔で控えめ。かすかな芳香。高い木の枝や苔むした岩に着生し、風を好むらしい。「森の妖精みたい」だなあ。

私は清荒神だったと思っていたが、家内は長浜で買ったと言う。よくよく思い出してみると家内の記憶の方が正しいような気がしてきた。そして遂に、売っていたおばさんの顔や表情まで思い出した。「きれいな花が咲きますよ。」

記憶は家内の方が正しかったが、世話をしてきたのは私である。花が開いたとなれば、さっそく澄まして顔で「世話をしてきた」などと言う。我ながら、滑稽だ。じつは世話らしい世話などしていない。普段はぞんざいにほったらかして、ときおりプラスチックのように硬い葉の根元をのぞき込んで、異変がないか確かめる程度。辛抱強く生き延びてきた。

このたびは花柄がするすると伸びて、糸のような蕾が不思議な放物線を描きはじめて、やっと気がついた。うれしい。

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