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2012年6月

2012年6月26日 (火)

ベランダの混沌

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「ベランダー」とはベランダ園芸家のこと。作家いとうせいこう氏の命名らしい。もちろんいとう氏はベランダーのトップランナーだ。私は驥尾に付して、「ベランダー」のはしくれと自称している。

一昨日の夕食にはわがベランダ産のキュウリの5本目が浅漬けで食卓に出た。ハリハリとした歯ごたえが絶品だった。そして昨晩はついに一つ目のトマトを食した。枝の際まで真っ赤。どこで買ったものよりも、美味しかった。

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というわけでキュウリ二株、トマト一株がいま収穫期を迎えている。トマトはその丈一メートルほどにも大きくなった。20くらいの実がなっている。

キュウリの蔓はトマトの枝や物干し棹にからみつき、トマトの枝はシャクナゲの枝とからまり合い、オリーブの幹に凭(もた)れかかっている。その影でミニ薔薇は気息奄奄。

目を少し横に転じると、赤い奔流となってゼラニウムの花が咲いている。その上の方に控えめに咲いている青い花はオクシペタルム、黄色の花はエニシダ。ベランダの混沌が嬉しい。贅(ぜい)を尽くした部屋など要らない。

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2012年6月19日 (火)

擬態

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これ、何だと思いますか?コナラの木の樹皮が今にも剥がれ落ちそうになっている?よく見てください。左上の方に昆虫の足のようなものが見えませんか?そう思って見ると、右下の方には昆虫の頭部のような輪郭が浮かび上がってきます(じつはこれ、頭部じゃないんですが・・・)。

昨日の夕刻、自宅近くの羽鷹池公園を通り抜けて帰る途中、コナラの木の根元近くに青いものが一瞬見えた。「アオスジアゲハかな」と思ってそちらの方を見やると、もう何も見えない。錯覚だったと思って、目をそらすとまた一瞬青い光。

何度かそれを繰りかえした。これははっきりと見届けねばと思って、目を凝らすと、蛾(ガ)だった。数秒間おきに、閃光のようなすばやさで翅(はね)を開く。翅を閉じると、コナラの樹皮と一体化して姿を消す。完璧な擬態だ。

翅を開いたところをカメラに収めようとするが、あまりのすばやさでうまく撮れなかった。黒い地に青い孔雀紋の連なり、左右の羽根の上部には一つずつ大きな白い楕円の紋。(頭部のように見えたのは、翅の先端部。)

翅を閉じたときと開いたときのその姿のあまりの落差に呆然としてしまった。

昆虫の擬態というものを、これほどまざまざと意識したのは初めてのことだった。

(追記) 中学校の同級生で京都大学の生物学の先生(今は名誉教授)に訊いたら、即行「ルリタテハだ」という返事が返ってきた。ガではなくチョウ。日本の国蝶オオムラサキと同じタテハチョウ科。それにしても、この友人が大変な昆虫博士だということは最近知ったばかり。いい「導師」が見つかったものだ。

(追記2) 導師から「擬態」ではなく「保護色」というべきケースとのご指摘をいただいた。ところで「保護」とは何か?「保身」と言った方がいいかも?また「導師」にお伺いを立ててみよう。

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受難の花

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「パッションフルーツ」という果物、今では近所のスーパーでも時々見かけるようになった。高くて、まだ味わったことがない。その「パッション」が「情熱・情念」の意味のパッションではなく、キリストの「受難」の意味であることは、キリスト教徒でなければ思いつかないかもしれない。

「パッションフルーツ」の実をつけるのが「パッションフラワー」(和名:時計草)だ。散歩の道すがら垣根に蔓を巻きつけて、この頃大きな印象的な花をたくさんつけている。

「時計草」なら、素直に納得できるが、どうしてまた「受難の花」かといぶかしく思って、ものの本を調べてみた。何と、スペイン軍とともに南米に渡ったイエズス会の伝道師がこの花を見て、十字架上のキリストを幻視したというのだ。

「葉はやり、5本の葯はキリストの5つの傷、巻きひげはロープまたはむち、子房柱は十字架の柱、雄しべはつち、3本の花柱はキリストの両手と足に打ち込んだ3本の釘、舌状花は荊冠、がくは円光、花の白い部分は純潔、青い部分は天に似ているからだという。」(加藤憲一「英米文学植物民俗史」)

この類比(アナロジー)の驚くべき執拗さに、初期イエズス会の布教意志の強さが怖いように感じられる。原住民がこの実を食するのを見て、彼らがキリスト教への改宗を熱望している天啓として、伝道師たちは南米の奥地へと分け入ったのだった。

そんなことを思ってあらためてこの花を見ていると、その造形に「息苦しさ」のようなものが感じられてきた。花には何の罪もないのに。

2012年6月14日 (木)

長谷池の花菖蒲

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千里中央の長谷池の花ショウブ(菖蒲)。ショウブ、アヤメ、カキツバタ、イチハツ、どれがどれと区別はつきませんが、彩り鮮やかに咲き競っています。

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2012年6月 7日 (木)

金環蝕の朝

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昨日6月6日金星の太陽面通過が終わって、今年の天体ショウも一巡した。5月25日の金環蝕は、はや遠い昔のことのように思われる。遅きに失した記事で恐縮だが、金環蝕の朝の情景はやはり心に残った。

前日に日蝕メガネを求めて本屋、メガネ屋をめぐったが、「今ごろ何を言ってるの」と、買ったのはただ「失笑」ばかり。まあいいか、というわけで翌朝ネガフィルムの切れはし4,5枚を重ねて金環蝕を見た。

太陽の前を雲がしきりに通り過ぎて行ったが、確かに見えた。驚いたのは日蝕の進行の速さだった。欠け始めたと思ったら、あっという間に金環蝕の状態に。それも見る見るうちに元通りに。

日蝕というのはこんなにすばやく進行するものだとは思ってもみなかった。あっという間のことだった。小学生のころ部分日蝕を体験したが、もっとゆっくり進んだ気がする。もちろん当方の時間感覚の変化であろう。

不思議な暗さというべきか、不思議な明るさというべきか。蝕が始まったとき、すーっと冷気が広がったのには驚いた。そして、地上と空との間の空間が、不思議な微光に満たされた。風景(木々や建物)の表面が光を反射せず、光が風景の内部に吸い込まれてゆく。一瞬のことだったが、心を揺さぶられた。この印象的な光景だけでもカメラに収めておきたいと思ったが、むろん印象などというものはレンズで捉えられない。(画面をクリックして、拡大して見ていただくと、私の受けた印象が多少は伝わるかも。)

そして金環蝕は、案の定、撮り逃がした。

2012年6月 4日 (月)

バンの親子

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今日6月4日の長谷池。左の子どもバンは孵化したばかりのようだ。まだ羽毛も生え揃っていないので、どの写真もまるでピンボケ風になってしまう。

赤ちゃんバンは3羽いたが、この赤ちゃんバンだけが親バンの後をついて回っている。あとの2羽は親から離れたところで遊んでいる。「甘えた」もいれば、「やんちゃ」もいる。人間とちっとも変わらない。

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あじさいの鉢植え

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ヴェランダのあじさいが咲いた。去年は青かったが、今年はピンク。鉢植えだから、鉢土の酸度が変化したのだろうか。あじさいは青い花が好きだが、このピンクもいいと思いたい。

考えてみれば、鉢植えの植物は狭隘な自然環境に生きている。与えられた環境に順応しなければ生き永らえられない。そうだとすれば、そこに切ない生存戦略が見えてくる。小家族の子供みたいなものだ。彼らを広々とした大自然に帰してやりたい。

こころをば なににたとへん / こころはあぢさゐの花  / ももいろに咲く日はあれど / うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて(萩原朔太郎)

この頃の子どもたちの心に耳を傾けてみたら、こんなつぶやきが聴こえるかもしれない。

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