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2012年4月 1日 (日)

渡辺京二『逝きし世の面影』

渡辺京二『逝(ゆ)きし世の面影』(平凡社ライブラリー)を読んだ。幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人の目と筆を通して描かれた日本の風景、人びとの姿、暮らしの記録から,、美しくもおおらかだった「逝きし世」の面影を再構成し追体験しようとした書である。「愛惜でも追慕でもない」と著者は書いているが、行間からは今は消え失せた過去の日本の姿が、まるで夢まぼろしのように浮かび上がってきて、ときに胸に熱いものがこみあげてきた。

英国使節団の一員であったオズボーンは、1858年(安政5年)長崎の土を踏み、「この町でもっとも印象的なのは男も女も子どもも、みな幸せで満足そうに見えることだった」と記した。その後日本を訪れたほとんどすべての異邦人が同じ印象をいだき、彼らの目に日本は「妖精の住む不思議の国、小さくかわいらしいおとぎ話の国」と映ったのだった。

幕末、1861年春プロシア使節団のヴェルナーは、長崎の金毘羅様の祭礼に胸を揺すぶられた。「すでに何千という凧が30メートル上空で入り乱れ、うなりを上げていた。少なくとも一万人が集まっていた。大地は豊かな緑におおわれ、そこに家族連れが休息場所をつくり、持参した弁当を広げていた。(私たちは)行く先々で手をひかれ草の上に坐らされた。(・・・)ここには詩がある。ここでは叙事詩も牧歌もロマンも、人が望むありとあらゆるものが渾然一体となって調和していた。平和、底抜けの歓喜、さわやかな安らぎの光景が展開していた」と書く。

1889年英国公使の妻として来日したメアリー・フレイザーの目には「この国の下層の人々は、天が創造し給うたさまざまな下層の人間のなかでももっとも生き生きとして愉快な人々」と映った。

厳しい身分秩序が当時人びとに過酷な暮らしを強いていただろうことは想像に難くない。しかし、1873年(明治3年)に来日したチェンバレンは日本には「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と書いている。

1889年に来日した英国の詩人エドウィン・アーノルドは「生きていることをあらゆるものにとってできるかぎり快いものたらしめようとする社会的合意、社会全体にゆきわたる暗黙の合意は、心に悲嘆を抱いているのをけっして見せまいとする習慣、とりわけ自分の悲しみによって人を悲しませまいとする習慣をも含意している」と記した。

それらの「ユートピアとしての日本」像を、西欧優位のいわば「上から目線」=オリエンタリズムと断罪し、社会の裏面・暗部に目が届いていないとする批判に対し、著者は果たしてそうだろうかと問いかけている。

「(異邦人の目に映ったものが)圧倒的に明るい像だとするならば、像をそのように明るくあらしめた根拠について思いをはせよう。ダーク・サイドのない文明はない。また、それがあればこそ文明は豊かなのであろう。だが私は、幕末、日本の地に存在した文明が、たとえその一側面にすぎぬとしても、このような幸福と安息の相貌を示すものであったことを忘れたくない。なぜなら、それはもはや滅び去った文明なのだから。」

そしてこの「滅び去った文明」の意味を、渡辺さんは次のように解き明かしている。当時来日した外国人の「衆目が認めた日本人の表情に浮かぶ幸福感は、当時の日本が自然環境との交わり、人びと相互の交わりという点で自由と自立を保証する社会だったことに由来する。浜辺は彼ら自身の浜辺であり、海のもたらす恵みは寡婦も老人も含めて彼ら共同のものであった。イヴァン・イリッチのいう社会的な「共有地(コモンズ)」、すなわち人々が自立した生を共に生きるための交わりの空間は、貧しいものも含めて、地域すべての人々に開かれていたのである」と。

藤村の『夜明け前』は私のもっとも好きな書物の一つだが、このたび『逝きし世の面影』を読んでその理由の一半がよくわかった。『夜明け前』に描き出された幕末期の庶民の暮らしを満たしていた「豊かな貧しさ」とも言うべきものに、私は得も言えぬ「懐かしさ」(私自身がそれを体験したわけではないが、身体の奥深くに沁みこんだ歴史の記憶)を感じていたのだろう。そしてまた、そうした「豊かな貧しさ」が急速に失われていったことに心疼くような悲しみを感じていたのだ。『逝きし世の面影』はそのことを私に気づかせてくれた。

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