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2012年3月

2012年3月28日 (水)

春を待ちかねて

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3月末だというのに、文字通り、「春は名のみの風の寒さよ」である。とはいえ、立て込んでいた年度末の行事も、やっとひととおり終了した。

昨日、久しぶりに京都府立植物園に出かけた。鴨川を渡る風はまだ冷たかったが、白梅も紅梅も同時に満開。やっとほころび始めた早咲きの桜の花に顔を埋めてメジロが花蜜を吸っていた。

確かに今年は春の訪れが2週間は遅れているような気がする。「レンギョウがまだ咲かない」とぼやいているおじさんがいた。しかし、ヒュウガミズキやトサミズキは一足先に満開。こちらでは、ミツバチが蜜を吸っていた。鳥や虫たちにはヒト以上に「待ちかねた春」なのだ。

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帰りに御所の近衛庭園に立ち寄った。おととしの3月25日に所用で京都を訪れて、雨上がりの夕刻に満開の糸桜と夕日が織りなす「この世ならぬ」情景に出くわして以来、この時期になると何か心が落ち着かない。赤らみはじめたつぼみはまだ開くまでには至っていなかったが、近づくと軽いめまいを感じるほどに、妖気を発散していた。

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赤富士

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3月24日NHKホールでの卒業式に出席しての帰り、暮れなずむ羽田空港のロビーから見た富士山。

下の写真は、機上から撮った富士山。めずらしく、「ただ今、飛行機の右手に富士山が見えております」という機内放送があった。いつもより富士山の上空近くを飛んでいた上に、雨上がりの気象条件が幸いしたのであろう。薄闇の中に富士の全容がくっきりと望まれた。こんなに近く、まじまじと見るのは初めてだったが、美しいというよりは、いささか不気味な感じがした。

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2012年3月21日 (水)

ヨシガモは夢中

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ヨシガモは夢中です。(というか、私がヨシガモに夢中かな?) 一昨日、千里中央の長谷池で撮ったヨシガモ。この二羽は<つがい>か、もしくは<気になる間柄>らしい。気があるようなないような、気取ったそぶりのオスガモ。メスガモの表情が何とも愛嬌たっぷり、「はあ?何なの、あなた?」。何かドラマがあるのか、それとも日本の当今の若者風?(画像をクリックしてみて下さい。カモさんの表情がわかりますよ。)

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2012年3月15日 (木)

シクラメン

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手前の赤いシクラメンには匂いがありませんが、奥の白いシクラメンとピンクのシクラメンにはほのかな芳香があります。

シクラメンは地中海西部のトルコやキプロスが原産地。18世紀半ばにヨーロッパにもたらされ、19世紀に園芸品種の開発が競って行われた結果、多種多様な色と形のシクラメンが作り出されたそうです。

しかし、新品種の開発の過程で匂いを失っていき、今は原種(野生種)に近いものの方がかぐわしい匂いを残しているそうです。そうしたプロセスをすぐに人間の文明史にあてはめて教訓めいたことを言いたくなるのは、まあ一種の「文明病」でしょうね。

どちらのシクラメンも、わが家の窓辺で美しく無心に咲いています。

 

2012年3月13日 (火)

ハシビロガモとキンクロハジロ

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自宅近くの羽鷹下池で今朝見たハシビロガモ(上)とキンクロハジロ(下)です。まるで、カモの大魔王と小魔王みたい、どちらも凄いインパクトがありますね。池の水面を縦横に交錯しながら、けんかもせずに泳いでいました。(これもクリックすると拡大して見られます。)

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モズ

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前の記事の「冬木立のモズ」は寂しすぎたので、今日は「芽吹き時のモズ」です。今日3月13日のお昼過ぎ、北緑丘の千里川沿いで。

上は、芽吹き始めた「姫ウツギ」の若枝に止まっている雌のモズです。

下は、同じモズかもしれませんが、楠の若葉に身を潜めていました。(画像をクリックすると拡大して見られます。)

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2012年3月10日 (土)

春を探して

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3月6日(火)、小雨の残る冬木立ちにモズがいた。いつもの精悍さがなく、心なしか穏やかでさびしげに見えた。この冬から早春にかけてのバ-ドウオッチングの季節は、昨年に比べて野鳥の姿が少なかった。新聞の声欄にも、同じ感想が寄せられていて、「やはり」と思った。異常な低温が続いて、野鳥たちの餌になる虫や花の生育が遅れているからだろうか。今は、まだまだ近隣の里山、里川にも春の華やぎがない。

その日の午後、雨上がりに春を探して久しぶりに千里川ぞいを歩いた。そして、見つけた!川原のいつもの場所に、枯れ草のおおいをはねのけて今年もリュウキンカの金色の花が輝いていた。

去年は2月20日前後にリュウキンカの花を写真に撮っていた。去年に比べて、2週間ばかり遅いが、やはり季節は巡っている。ふり返ると、白梅が青空に映えていた。

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2012年3月 6日 (火)

「息はしていませんが、生きています。」

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一昨日のNHKの3・11大災害特番のなかで、大熊町の双葉病院の看護士のことばに深く胸をうたれた。

震災による深刻な被害で病院は混乱状態の渦中にあったが、翌3月12日原発の周辺10キロの区域に緊急避難の命令がでた。入院患者を移送するために自衛隊員が派遣されてきた。その直前に患者の一人が息を引き取った。任に当たった自衛隊員にとっては、生存者の移送を優先するというのが鉄則であったろう。

しかし、その女性看護士は、たった今息を引き取った患者を残していけなかった。真っ先にその患者をバスに乗せるように、自衛隊の要員に迫った。「この方は息をしていませんが、生きています」と彼女は言った。要員は、黙ってうなずいたそうだ。

2012年3月 4日 (日)

吉野通 (2)

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疎開先から吉野通に住むようになって間もないころ、豊中駅西口そばのキリスト教系のA幼稚園(2年保育)の入園テストを受けた。小学校入学が昭和26年だから、逆算してみると昭和24年の2,3月のことだ。担当の先生の前に引き据えられて、図形を選んだり並べ替えさせられたような記憶がある。

テストには見事に(?)に合格したが、入園式の日に園正面の門柱にしがみついて教室に入ることを拒否した。私をそのまま置いて帰って行った母は、思えばさぞ辛かったことだろう。私にはお仕置きが待っていた。真っ暗な物置部屋に閉じ込められて、外から鍵をかけられた。暗闇の中、高いところの小窓だけが仄明るかった。泣けど叫べど、誰も来なかった。どれくらい続いたものか、ほんの数十分のことだったかもしれないが、私には一日中閉じ込められていたような気がする。ひっつめ髪で縁なし眼鏡をかけた初老のシスターの紅潮した頬を今もはっきりと憶えている。幼稚園は一年で退園した。病弱でもあったが、園にはついになじめなかった。

幼稚園には苦い思い出ばかりで、楽しい思い出はほとんどない。こんなことがあった。お弁当のメザシを残したら、それを全部きれいに食べ終わるまで許されなかった。先生が三人くらい私の席を取り囲んで、代わる代わる説諭された。まわりの園児は全員がすでにお昼寝に入っていた。どう決着したか記憶にないが、それ以来大学を終えるころまで、私は魚を食べられなくなった。というより魚を食べることを拒否した。ひ弱でわがままな子だったと言えば、それはそうだが、そのときの苦痛を思い出すたびに、私は「食」で子どものしつけをしようなどとは金輪際思わない。

入園してどれくらいたった頃か、砂場で遊んでいるとき、その様子をそばにしゃがんでじっと見つめていた先生(シスター)の顔を、今ごろはっきりと思い出した。色白のふっくらした丸顔で、髪を左右で三つ編みにした園でいちばん若い先生ではなかったかと思う。私はその先生だけが好きだった。先生の膝頭を上目づかいに時々盗み見しながら、甘えることもできなかった。

幼稚園を中退してから小学校に上がるまでの一年間、ぶらぶら過ごした。肺浸潤を患って、当時は吉野通から遠くないところにあった市民病院に通院していた。医薬品がまだ入手しにくい時代で、父が仕事のつてで塩野義製薬のアンプルが手に入ると、そのつどそれを抱えて一人で注射をしてもらいに行った。病院の玄関の傍らにゼニアオイの花が日を浴びていた。ゼニアオイの花はなぜか今も好きだ。

その頃、近所の駄菓子屋で買った「ベニチョコ」(もちろんチョコなどではない。砂糖を多分有毒な色素で赤く染めた菓子)を食べて、激しく嘔吐した。その苦痛を今も記憶している。あれほど激しく嘔吐したことは、それ以後今日に至るまでない。父はそれ以後、ことあるごとに「口がいやしい」と私を叱った。そうかもしれないと思いつつ、悔しくて仕方がなかった。

当時ラジオでは「尋ね人の時間」というのがあって、戦争で離散した家族を捜す放送が絶えず流れていた。人名と旧満州の地名のリストが淡々といつ果てるともなく読み上げられていた。そのアナウンサーの声が今も耳に残っている。

それが突然中断して、朝鮮戦争勃発の臨時ニュースが流れてきたことがあった。私は庭で遊んでいた。父が離れの机で図面を引いていた。父はいきなり立ち上がって、「戦争だ」と言った。いまその日を年表で確認すると、昭和25年6月25日のことだ。

2012年3月 1日 (木)

吉野通

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先の「面影」の記事に書いた従姉のことを思い出してから、自分の記憶の始まりに向かって深い森に一歩一歩踏み込んで行った。

私は昭和19年8月に疎開先の母の実家(岐阜県海津郡)で生まれた。実家での日々は(思い出す日が来るかもしれないが、今のところは)まったくと言っていいほど記憶していない。豊中に引っ越してきたのは昭和23、4年、私が4、5歳の頃のこと。それが正確に何年何月だったのか、わからない。両親に聞いておけばよかったが、今さら悔いても遅い。

最初に住んだのが阪急豊中駅から2,300メートルばかり西の「吉野通」(今は玉井町)だった。 「吉野通」という地名、私にはどこか遠くへと誘われるような響きがある。私の記憶では、東から西へまっすぐに続く通りで、その西の端が下り坂になったところで「吉野通」はふっと視界から消える。それが「涯しなさ」と「はかなさ」を同時に感じさせる。しかし今、そのあたりの市街図を見ても、「吉野通」がそんな長い通りだったはずはない。<時間の感覚>が<空間の記憶>に影を落としているのだろうか。 (ちなみに「通り」という美しい地番表示をなぜ町に変えたのだろう?「通り」ということばには、「訪れ」と「別れ」の気配が漂っている。)

「吉野通」の住まいは借家だった。たぶん昭和初期の和風建築で、宏壮とは言えないが庭と離れもあってそれなりに風格のある住宅だった。サザンカの生け垣に囲まれて、木戸をくぐると、玄関まで敷石づたいに5,6メートル、小さな庭には築山めいたものもあり、築山の苔の上にキンモクセイの橙色の花が散り敷いていた。母屋に伯父(父の兄)一家が住み、離れに私たち一家が住んでいた。

私は男兄弟4人の3番目だったが、「吉野通」で兄や弟がどんなふうだったか、あまり記憶していない。むしろ、伯父の一人娘で5,6歳年長の従姉のことの方が記憶に残っている。時々、離れに顔をのぞかせた。涼しげというかひんやりとした印象を与える子で、地面から浮き上がって漂っているニンフめいた感じがした。10歳前後の少女というものは、年下の男の子にはそんな不可思議な存在に見えるものかもしれない。

その従姉と弟と私の3人が近くの小川でメダカ捕りに興じていたら、私の裸足の脚にヒルが吸いついた。ヒルは頭を皮膚の内側に食い込ませて血を吸う。従姉が親指と人差し指でヒルとつまんで力いっぱい引っ張って取ってくれた。そのときの従姉の瞳を中央に寄せた真剣な表情が忘れられない。向こう脛に小さな穴があいて、血がたらたらと流れた。気がついたら日が西に傾き、まわりの菜の花畑一面に茜色が広がっていた。後ろも振り返らずに走る従姉の背中を、置いてけぼりを食うまいと必死で追いかけた。

どこかで借り受けたリヤカーに家財道具を積み、それを父が引いて、吉野通から豊中市北部の桜井谷へ引っ越したのが、小学校へ入学する直前のことだった。それ以来、伯父一家と顔を合わすことはほとんどなくなった。

伯父夫婦は溺愛する一人娘を中高一貫制の梅花女子学園に通わせていると聞いた。彼女はその後何度か桜井谷の家に訪ねてきたこともあった。しかし、それも次第に間遠になり、やがてぱったりと途絶えた。梅花の高等科を終え就職した頃、「Tちゃんが会社に訪ねてくれた」と父が何度か嬉しそうに言っていた。それを聞いて、懐かしさと寂しさがこみあげてきた。

鈴を振るような笑い声を残して遠ざかってゆくうしろ姿が、まるで夕暮れの沖に出てゆく小舟のように、私の記憶の風景の中にはかなげに揺曳している。

その従姉が結婚し、男の子が生まれ、その子が警察官になり、本人は心を病んだと、風の便りに聞いたのは何年後のことだろう?

面影

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先週、放送大学広島学習センターを訪れた。廊下に幕末・明治の日本の風俗を写した写真のパネルが10枚ばかり展示されていた。そのうちの一枚に「煙管(きせる)を吸う女」と題されたものがあって、目が釘づけになった。

放送大学付属図書館所蔵の古写真の複製で、明治20年代のもの。モノクロ写真に淡彩が施されている。法被の襟の「日下部」の銘は、この写真を撮った写真師の日下部金兵衛に由来している。右手に煙管、左手に煙草入れ、頭にのせた手拭という<いなせな若衆>のポーズは、<コスプレ>らしい。

まだ17、8歳の、<うぶさ>を残してはいるが、気品に満ちて清らかな面ざしの娘は、百数十年前の日本をどんなふうに生きていたのか?どうしてこの写真のモデルを務めることになったのか。あるいは、彼女は実際に煙管でタバコを吸っていたのか?30分ばかりでいい、並んで歩いてみたい気がした。

じつは、学齢に達する以前に2年ばかり一つ屋根の下で暮らした従姉の面影を私はこの娘に見出した気がしたのだ。

今回の広島行きは、この女性のお蔭で奇妙に感情のさざ波立つ「幻想行」となった。

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