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2012年2月

2012年2月24日 (金)

ノシラン―ウルトラマリンブルーの珠

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服部緑地公園の植物園では「ノシラン」がウルトラマリンブルーの珠をたくさんつけていた。この美しい青い珠、じつは実ではなくて種。実とは果実、つまり種子を包む子房が肥大したものだが、ノシランは早くに子房が剥落してしまって、種子が露出しているらしい。

それにしてもこの青は、フェルメールの「真珠の耳飾りをした少女」のターバンの青、「フェルメールの青」とも言われるウルトラマリンブルーだ。原料のラピスラズリは古代ではもっぱらアフガニスタンで産出した。フェルメールは少女のターバンに、海(マリン)を越えて(ウルトラ)ヨーロッパに届いた貴重な青の顔料を使ったのだ。ラピスラズリのラピスは「石」、ラズリは「天の」を意味するラテン語。拾った珠の一つを切ってみた。ウルトラマリンの薄い皮膜に包まれていたのは半透明のガラスのように硬い子葉だった。

2012年2月22日 (水)

化石木(メタセコイア)

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昨日2月20日(月)、自彊術教室の始まる前にいつものように千里中央の長谷池に足を伸ばした。メタセコイアの冬木立の上に抜けるような青空が広がっていた。30メートルはあろうかという高木。まるで槍のように、あるいはゴシックの尖塔のようにまっしぐらに天の高みをめざして伸び上がっている。

大学時代に仲間と語らって『化石木(メタセコイア)』という同人誌を作っていたことがあった。どうして『メタセコイア』という誌名にしたのだろう。植物事典に拠ると「本種は300万年前に地球上から死滅したと考えられていたが、1945年に中国四川省の奥地で生木が発見され、『生ける化石』と呼ばれた。日本には1949年に苗木が入ってきて、急速に広まった」らしい。私の大学時代は1960年代の半ばだから、当時まだメタセコイアの木は新鮮な驚きで見られていた、そんな記憶がある。

同人たちは<モダン>を気取っていたのか、あるいは<化石人>と自嘲していたのか。いずれにしても、若かった。まっすぐに大空に向かって伸び急ぐメタセコイアの木も、始原のエネルギーを漲らせて、若い。

2012年2月21日 (火)

ツバキの花いろいろ

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服部緑地の植物園で見たツバキの花いろいろ。ツバキはやはり南国の花。明るい陽ざしを照り返すつややかな厚手の葉は、黒いと言っていほど濃い緑だから、葉叢(はむら)の内側は闇。闇の中からぽっと浮かび上がって来る花は、かすかな魔性(あるいは妖気)を感じさせて、重い。

花びらが一枚一枚はらはらと散るのではなく、ツバキは一花全体がぽたりと落ちる。それが忌み嫌われた向きもあるようだが、じつはツバキの「妖艶さ」が忌避されたのではないかと、ふと思ったりした。

昔々、竹薮の中で自生していた(?)乙女椿の一花を手折って歩いていたら、遠目に憧れていた(もちろん言葉をかけたこともない)女性が向こうからやって来て、その花にちらっと冷たい視線を投げかけて去っていった。嬉しいような、悲しいような・・・乙女椿は思い出深い花だ。少年の日の思い出。

今は花をいっぱいつけている藪椿が好きだ。

2012年2月14日 (火)

今日の長谷池

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二週間ぶりに立ち寄った長谷池(千里中央)で。

右肩をちょっとそびやかすようにして小首をかしげているのはハクセキレイです。ハクセキレイとセグロセキレイは、なかなか見分けるのがむつかしい。

顔が白くて、過眼線が黒いのがハクセキレイ。ハクセキレイの方が体色の黒がうすくて、灰色に近い。

「流謫(るたく)の貴公子」(と私が呼んでいる)ヨシガモもいて、いつもながら伏目がちに、みやびな身ごなしで泳いでいた。

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2012年2月13日 (月)

シロハラ

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ツグミの一種でシロハラ。一昨日、北緑丘の千里川で出会いました。小型と中型の中間くらいの大きさ。人怖じしない性格が、面構えに出ています。とは言っても、もちろん、この一羽だけで、シロハラの性格を云々することはできませんが。

去年のこの時期には、エナガやメジロやイカルや、野鳥の姿がたくさんあったのですが、この冬はやはりちょっと寒すぎる?いやいや、当方がちょっと忙しすぎる?のでしょう。

2012年2月 8日 (水)

『博士の愛した数式』

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冬木立が好きだ。勤務を終えセンターの正門を出て、西の方角に歩き出すと、茜色の空に冬木立のシルエットが美しい。その向こうに一番星(金星)が見える。(上の写真は四ツ谷の迎賓館前の冬木立。一番星は私のカメラには写らない。)

小川洋子『博士の愛した数式』の博士も一番星が好きだ。まだ陽が高いうちに、西の空にほかの誰にも見えない一番星を指差すのだ。

『博士の愛した数式』を読んでいると、まるで澄み切った水の中をすいすいと泳いでいるような感覚を覚えた。こんなに静かで、こんなに透明で、こんなに馥郁とした小説(メルヒェン)に出会ったのは久しぶりだった。

家政婦業で一人息子を育てているシングルマザーの「私」。「私」の今度の仕事先は、一人暮らしの老天才数学者。「博士」は、17年前の交通事故の後遺症のために今では80分しか記憶が持続しない。「私」の10歳の息子は野球好きの少年。頭頂部が平らな息子の頭をなでながら、博士はルート(√)と呼んで、慈しむ。愛のトライアングルがとても快い涼やかな響きを奏でる。

ある雨の夕方、「(ルート記号の中に)マイナス1をはめ込んでみるとしようじゃないか。同じ数を二回掛算して、マイナス1になればいいんだ。」 博士は穏やかに決して急(せ)かさないように言う。じっと考え続ける私と息子の顔を見つめるのが、博士は何より好きなのだ。

「『そんな数は、ないんじゃないでしょうか』 慎重に私は口を開いた。『いいや、ここにあるよ』 彼は自分の胸を指差した。『とても遠慮深い数字だからね、目につく所には姿を現わさないけれど、ちゃんとわれわれの心の中にあって、その小さな両手で世界を支えているのだ』 私たちは再び沈黙し、どこか知らない遠い場所で、精一杯両手をのばしているらしいマイナス1の平方根の様子に思いを巡らせた。雨の音だけが聞こえていた。息子はもう一度ルートの形を確かめるように、自分の頭に手をやった。」。

「ああ、なんて静かなんだ」とつぶやきたくなる。餃子をつくる「私」の手もとをじーっと見つめて博士がつぶやくように。

2012年2月 4日 (土)

富士山

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久しぶりに新幹線で東京へ。富士山が麓から頂上までこんなにくっきりと見えたのは初めて。

飛行機から見る富士山は、いつも雲海の中に浮かんでいる。新幹線から見る富士山は、これまで大抵は中腹から上が雲に覆われていた。

日本列島の全体が地殻変動期に入っている気配。富士山のこんなに秀麗なシルエットがいつまで保たれていることだろう。まじめにそんな心配までし始めたこの頃である。

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