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2012年1月 4日 (水)

宮山の森と春日神社

20120102_002

正月二日、地元の春日神社に恒例の初詣。こじんまりとして地味な神社だが、豊中市北部の桜井谷旧六ケ村の鎮守の神様として千年以上の歴史がある。普段は地元の人が通りすがりに拝礼するだけで、ひっそりとしている。社殿の後ろに広がる森が、四季折々に美しい。

お正月の三ガ日にはおみくじや破魔矢も売られ、初詣客で結構な賑わいを見せる。数年前にはふるまい酒も出たし、参道の狭い松並木には縁日の屋台も軒を連ねたが、今はなくなった。規制が厳しくなったのだろうか。

余談だが、ハレ(晴)とケ(褻)が綯い合わさっていてこその祭り(祀り)だが、衛生やら防犯やら安全やらが優先で、生活臭というか泥臭さが失われて行くのはいささか寂しい。写真の青いコートのおじさんは警備員さんだ。おじさんにはもちろん「ごくろうさま」と言いたいが、こんな小さなお社には似つかわしくない。

この春日神社と宮山の森は、小中高の子ども時代を通じて、私にはもっとも広い意味での「遊び場」だったし「隠れ家」だった。春には全山で薄紫のヤマツツジが咲き、初夏にはヤマモモの10メートルを超す大樹が濃い赤の実をつけた。

昭和30年代に森が宅地として切り売りされる以前は、広さが今の1・5倍はあった。原生林の植生は多様で、中に踏みこむと暗いほどさまざまな木々が生い茂っていた。森はすり鉢状で中央が窪地になっていて、積もり積もった落ち葉の下に湧水がキラキラ光っていた。

友だちと連れだって、「探検」と称して森の中をさまよったり、集めた木切れや縄で木の上に「小屋」を作ったりした。お気に入りの大きなサルスベリの木があって、よく登った。木肌がなめらかで枝はしなやか、折れないから木に抱きついたりぶら下がったりして遊んだ。「木に甘えた」と言ってもいいかもしれない。森は包容力があって、訪れる子どもたちを抱きしめてくれた。

さまざまな昆虫や小動物もいた。刺されたり咬まれたりもした。夜になると真っ暗闇の奥からフクロウの声が響いてきた。怖かった。それでも子どもたちはみんな「森」が好きだった。森が主役で、神社は脇役みたいなものだった。夏祭り、秋祭りの賑わいも、森の闇を意識しているからこそ、心が躍った。

上級生の腕白が神社の灯篭に登って遊んでいて、倒れた灯篭の下敷きになって死んだことがあった。それでも子どもたちにとっては変わらず、森と神社とは心と身体の拠り所だった。私には初詣は地元の春日神社がいちばん心に適う。

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コメント

私たちは3日に行きました。1日に行った義父によれば、
屋台もずら〜っとあったそうですよ。
(元日の混み様は凄まじいので、インフルエンザの予防接種が受けられなかったわが家としては、避けた次第です)
この森からの鳥の声が大好きですが、
最近はカラスが増えて。。。
何ごとかが(カラス上は)起こって飛び立つと、
一気に百羽を越えるんですよ〜空が黒くなります。
(以前、中学校の屋上にずらーっと止まっているのを数えたので、たぶん間違いないです)
いくらなんでもちょっと増え過ぎの気配です。
でも、決して森のせいではない。
カラスの天敵って、いないんでしょうかね〜

小鳥を追いかけるカラスは弱い者いじめをしているようで、いやですね。確かに都市部や都市近郊でカラスは増えています。人間が食べ残しを捨てるからではないでしょうか。餌になるものが少なくなれば、カラスの数は減少し、山間に帰ってゆくのでは。今は、消費文明がカラスの「天友」になっています。
人間とカラスの棲み分けをきちんとすることが大切ではないかという気がするのですが。
宮山の森に今は立ち入れなくなっているのが残念です。いろんな虫や鳥や、あるいは獣(?)たちがいるんでしょうが・・・

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