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2011年12月

2011年12月23日 (金)

水と光の戯れ

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今日(12月23日)の昼すぎ千里中央を通りかかったついでに、長谷池に足を伸ばした。お目当てのヨシガモの姿はなかった。バンのつがいがひと組。池の面を音もなく移動するバンの背後に、美しい波紋が広がった。水と光の戯れ。

水鳥の種類によって、さまざまに異なった水尾(みお)を引くのは、水かきの形状や趾(あし)の動かし方の違いによるのだろう。とすれば、これは水と光と生命の戯れが生み出す模様なのだろう。

そばの噴水の水煙に虹が映じていた。「変転する持続」としての虹(ゲーテ)。虹の七色は吹く風にゆらゆらと揺らめきながら、しっかりと色彩の秩序は崩さない。人間の心映えも、このように<たおやかにして>揺るぎなくあれかし。

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2011年12月22日 (木)

植物の奇抜な造形(ディモルフォセカ)

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この名も知らぬ花はどうしてまたこんなに不可思議な形をしているのだろうか。まるで『魔笛』の夜の女王の頭部を飾るティアラにでもしたい奇抜な形。斬新と言えば斬新、奇矯と言えば奇矯。造化の妙としか言いようがない。

何百年かの進化の過程で偶然に生まれた形を今に伝えているのだろう。あるいは、園芸花として人間の作為が生み出したものだろうか?

散歩の途中、ご近所の玄関先に置かれた鉢植えの花。大きさは直径5、6センチ。花芯の配色の鮮やかさ。花弁の中央が絞ったようにくびれているのが、なんとも不可解だ。

☆ この花の名前、デョモルフォセカ(アフリカキンセンカ)だそうだ。

2011年12月20日 (火)

こんなにも美しい鳥たち (2) .水鳥三態

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上はバンの雌。下はキンクロハジロとカイツブリ。これらも昨日撮った野鳥たち。どれもそれぞれに目の色が違うのが不思議です。(画像をクリックして拡大して見て下さい。)

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2011年12月19日 (月)

こんなに美しい鳥たち

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いずれも今日見た野鳥たち。上はハクセキレイ、下はヨシガモ。長谷池で。

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下は、アオサギ。北緑丘の千里川で。

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そして、下は自宅のそばの梨谷池のモズ。身近にこんなに美しい生き物たちのいることの喜び。

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2011年12月18日 (日)

二上山とゲーテ草

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冬の朝、地上に垂れ込めた靄の向こうに寄り添う二つ背のシルエットを浮かべているのは二上山。少路駅を出たモノレールの窓から撮った風景。

出勤日には毎朝少路駅7時40分発のモノレールに乗る。南側のドアの前に立つ。大阪都心の摩天楼が、朝日を受けてきらきら輝いている。その摩天楼の向こうに山並みが見える。右は金剛山系、左は生駒山系。

二つの山系の谷間に、二上山が見えることに気がついたのは夏ごろのことだ。千里中央まで車窓に立ち並ぶマンションの蔭から二上山が出たり入ったりする。体を車両の揺れに任せ、心を二上山の上に漂わせる。ほんの数分間のくつろぎ。

センターの執務室に入ると、ほとんど同じ角度から二上山を望むことができる。空気が澄んでいるときは、麓の紅葉まで見える。窓辺に置かれているのは、センターのグリーン・サークルからプレゼントされたゲーテ草(セイロンベンケイソウ)だ。

二上山にゲーテ草、似合わなくはない。

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2011年12月15日 (木)

幕張のカワラヒワ

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4月に勤めが始まってから、バードウオッチングは思うに任せない。そんなわけで、出張があると必ず小型カメラを携行し、野鳥を見かけるとスズメでもヒヨドリでもレンズを向ける。

幕張は高層ビルが立ち並ぶテクノ・シティー。それだけにビルとビルの間に、できるだけ広い空間を取って緑化に心を配っている。

昨日、幕張テクノ・ガーデン(複合高層ビル)脇の日本庭園ぶらぶら歩いていると、久しぶりにカワラヒワを見かけた。今ごろ北緑丘の千里川ぞいでは群れをなしてニレの実をついばんでいるはずのカワラヒワだが、私にはほとんど一年ぶりの再会だった。

一年前にはひと目でカワラヒワとわかったはずだが、今では何とモニターで拡大してやっと「あっ、そうだった」と額を打つ始末。もうバードウオッチングが趣味ですと豪語するのも、気後れがする。

2011年12月12日 (月)

長谷池の遊歩道

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このブログでしばしば話題にする長谷池。今日もヨシガモの姿を見ようと急ぎ足で立ち寄った。野鳥の声はさかんに聞こえてくるが、姿は見えない。褐色に色づいたメタセコイアの木立、その下にメタセコイアの落葉を敷き詰めた遊歩道。木立を通り抜けた午前の明るい日ざしが美しかった。

堂島川の夕景

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昨日の午後リーガ・ロイヤル・ホテルでパーティーがあり、帰りに北浜まで歩いた。日曜日とあって人通りもまばらな堂島川ぞいの遊歩道。高層ビルの壁面は西陽に赤く輝いているが、川面には早や薄闇が垂れ込めていた。

私は自然派を自称し里山の風景が好きだが、都会の、定規を当てて鋭く引いた線が直交する無機的な風景も嫌いではない。そこに人の姿がなければもっといい。

小学校の5,6年生の頃に友だちから借りて読んだ手塚治虫の漫画の一場面、月からの迎えで地球を去って行く「月世界のプリンセス」が悲しみのあまりロケットから身を投げる、その地上の索漠とした無機的な風景が忘れられない。おおよそ60年も昔に見たその風景、ただ一度だけ見たその風景が、以来おりにふれて繰りかえし私の脳裏に浮かび、切なさで心を満たすのである。

私は書店に行くと手塚治虫の漫画が配架されたコーナーにときおり行って、表題もわからないその漫画を探す。ここ20年ばかりずっとそうだ。いまだに再会を果たすことができないでいる。会いたいと思いつつ、会うのが怖いとも思う。いやいや、じつは会いたくないのかもしれない。心の奥にしまいこまれた風景は、外気に触れたとたんに風化してしまいそうな気がする。

しかし、堂島川の夕景に向かって私にカメラのシャッターを押させたものは、手塚漫画の遠い記憶だったにちがいない。

2011年12月 9日 (金)

大きな柿の実とスズメ

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「木守り柿(きもりがき)」ということばがある。初冬の小雪がちらつく頃、柿の木の高い梢に残された柿の実のことである。垂れこめた暗い空に「木守り柿」の濃い朱紅の色が映えている。その実は、北国の人たちが小鳥に託した天への捧げものとして木に残したものなのだ。

「木守り柿」をじーっと見上げるスズメ。スズメには、この実を美味しくいただくことが天への奉仕なのだ。

「二つ並んで、こりゃえらい立派な柿やな。おおきいな。ちょっとおおきすぎるかいな。こいつが頭の上に落ちてきたら、ことやで。そやけどうまそうやな。色もええ。いっぺんにはとても食べられへん。かとゆうて、食べさしでおいとくわけにはいかんわな。早く仲間が来んかいな。カラスやヒヨドリが来るかもしれへん。そら、くやしいな。とゆうても、担いで帰るわけにもいかへんし、まあしゃないか」というスズメのつぶやきが聞こえてきた。(スズメが大阪弁をしゃべるはずはないが。)

全国的にスズメが減っていると、先日の「天声人語」に出ていた。ムクドリ、ヒヨドリ、ツグミのような中型鳥、ハトやカラスのような大型鳥が町中にあふれて、スズメの棲息場所が狭まっているのだろうか。以前は夕焼け空にまるで墨を流したようなスズメの大群をよく見かけたが、今はそんな光景は見なくなった。

2011年12月 8日 (木)

Old Rose Garden

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「オールドローズガーデン」(今橋4丁目)は地下鉄御堂筋線淀屋橋駅近く、「大阪倶楽部」と道ひとつ隔てたお向かいのイングリッシュ・カフェ。歩道に面した階段をとんとんと10段ばかり下ると、ほとんど鬱蒼という感じのテラス・ガーデン。両側のカフェの前に様々な鉢植えが置かれていて、それらが年中かわるがわる花を咲かせている。今はクリスマス・ホーリーが赤い実をつけて、すっかりクリスマス仕様だ。

緑の葉に覆われた格子窓から、英国小物が所狭しと並べられた店内がまるでアリスの不思議の国のように覗いている。

心斎橋の洋服屋さんに用があって、御堂筋のイチョウの金色の輝きを浴びながら梅田に帰る途中、「オールドローズガーデン」でティー・アワーと洒落込んで、何ともぜいたくなひとときを楽しんだ。

オーナーの角川(すみかわ)さんがちょうど店に来ておられて、いろいろお話を伺った。角川さんがどんなに大きな愛情を持ってこの店(だけではなく大阪の喫茶店の多く)を慈しみながら育ててこられたか、ことばの端々から窺がえた。

「えらいいっぱい雑草が生えとんな」と言い捨てる客がいるらしい。今、喫茶という「文化」が都会から失われようとしている。喫茶は、ものを商っている場所ではない。時間、ゆとり、そこに生まれる「パンセ」を楽しむ場所なのだ。角川さんの「やるせなさ」が痛いほど伝わってきた。

注文したココアとベリーのショートケーキは、やはりここでしか味わえない逸品だった。

2011年12月 7日 (水)

モズ ― アラン模様のセーター

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バード・ウオッチングの季節が到来した。久しぶりに千里川ぞいを歩くと懐かしい顔ぶれとそこここで行きかうことができた。昨日はカワセミ、ジョウビタキ、シジュウカラ、マガモ、カルガモ、それにカワウまで顔をそろえていた。

頭上から「キョッキョキョキョキョキョー」という聞きなれない耳障りな鳴き声が響いた。「はてな?」と思って見上げると、葉を落とした木の枝に見慣れない鳥が止まって鳴いていた。シロハラ(ツグミの一種)かなと思ったが、少し小ぶり。自宅に戻ってWeb図鑑で捜してみると、シロハラはもっとくちばしが大きくて尖っている。どうやらモズの雌らしい。

モズの雄は黒いサングラスをかけて威嚇的だが、それとは対照的に雌の方はこれまでいつも横顔の愛くるしさばかりに目がついていた。白い腹部のうろこ状の模様に今回はじめて気がついた。アラン模様みたいで温かそうだ。

2011年12月 6日 (火)

カワセミ

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今日は千里川(北緑丘)で、川べりの潅木の茂みに身を潜めていたカワセミを見つけた。逸る心を抑えてカメラを向けるが、手前の潅木の枝にピントが合ってうまく撮れない。気づかれないように、カメラの位置を変えようとしゃがんでみたり伸び上がってみたりおおわらわ。何とか一枚撮り終えると、矢のように飛び去った。カワセミ君、じつはとっくに気がついていたに違いない。

サギのコロニー

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今日、自宅マンションそばの梨谷池の岸を通ったら、池畔の木立にサギたちのコロニーができていた。コサギばかりと思ったら、コサギの群に混じってチュウサギもいた。くちばしが黄色で趾(あし)が黒いのがチュウサギ。くちばしが黒くて趾が黄色いのがコサギ。

サギたちはたいてい自分の世界に浸りきって(餌を探しているのか、捕食したものを消化しているのか)、近づいてくるものに注意を向けることなく、彼らのまわりには静謐が支配している。そしてときおり、ゆっくりと翼を広げて、向こう岸へと場所を替える。翼の尖端を少し上に反らせて滑るように飛ぶ、その飛翔の見事さに見とれてしまう。

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2011年12月 4日 (日)

紅葉「狩り」

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先日勤めの休日に箕面へ紅葉を見に出かけた。毎年11月の末か12月の初め頃、紅葉を見に箕面の山に登るのが年中行事の一つになっている。今年の紅葉は、今はまだピークとはいかず、全体として鮮やかさが足りないような気がした。

「紅葉狩り」ということばがある。ずいぶん昔、学生のころ国文学の先生に『伊勢物語』に出てくる「交野の桜狩り」のお話を伺った。交野は奈良時代、平安時代には皇室の御猟場(禁野)で、「桜狩」とか「紅葉狩」ということばは、もともと桜や紅葉の季節に行う狩り(鷹狩)のことだったと教わった。

しかし、すでに万葉の頃から桜や紅葉を愛でることが日本人の美意識に広く深く根づいていたことは万葉集に収めらた歌からわかる。「桜狩」とか「紅葉狩」ということばは、実際の「狩り」とはほとんど無関係で、ことばの「雅び」を愛でるだけのものになっていたような気がする。「狩衣(かりぎぬ)」が平安貴族のファッションとして流行り、いつの間にか下位の貴族、武家の正装になったのと似ている。

今日ではむしろ「狩り」ということばには、どこか禍々しさが潜んでいて、「紅葉狩り」などと言いたくないような気がするのは、私だけだろうか。「赤狩り」などということばは今では死語だが、追い立てられ、狩られるものの痛みの方が先に来る。せいぜい「潮干狩り」「いちご狩り」「ぶどう狩り」くらいにしておきたいものだ。

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