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2011年11月

2011年11月29日 (火)

ヨシガモ

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自彊術教室の帰り、千里中央の長谷池に立ち寄った。ヨシガモたちが戻ってきていた。まだ3羽だけ。長谷池はオオアカウキクサが枯れ色になり、少しばかり黒ずんだ水面にヌルデの紅葉が照り映えていた。

水面が暗いせいか遠くのヨシガモにカメラのピントを合わせるのが難しくて、不鮮明な、しかし何となく幻想的な写真になった。これは他人には通用しない自画自賛だ。(画像をクリックすると、拡大して見られます。)

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2011年11月23日 (水)

サザンカの咲く道

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夕方、自宅近くを散歩。ご近所の秋を楽しんだ。上の写真は、サザンカの咲く道。のんびりと家路を辿る小学生たちは、咲き競うコスモスやキク、サザンカやヒガンザクラに目もくれずに、友達との会話に夢中だ。しかし、親しい花々を全身で感じていることは、背中に弾むランドセルが語っている。

下の写真は、羽鷹下池に集うカモたち。石の上にいるのはマガモのつがい、うしろにコサギ。水面に浮かんでいるのはマガモとヒドリガモ。まあ、池の小学生みたいなものですね。(写真をクリックすると拡大して見られます。)

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2011年11月16日 (水)

映画 『ゲーテの恋』を見る

ゲーテの恋 ~君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」~

センターの学生さん、といってももう80歳をとうに超えたご老体のNさんだが、「『ゲーテの恋』を見てきました」と弾むような大声。そういう映画がどこかで今上映中らしいことは知っていたが、表題の大仰さから少しばかり敬遠していた。「よかったですよ。ドイツ語ですわ。これは先生にご報告せな思いまして」と、まるでお孫さんでも生まれたような嬉しそう顔。こちらもついつい釣られて「そら、ぜひ見に行かな」と応じてしまった。

そこで昨日の朝いちばんに梅田のテアトルに出かけた。「朝イチ」、というのも9時半から1回だけしか上映しないというので仕方がなかった。「お客さんは6人だけで、貸切みたいなもんでしたわ」とNさんも。何といってもゲーテではいまどき客足は期待はできまいと、興行主さんも考えたのだろう。

やっぱりドイツ映画だ。テーマに真正面からガチンコ勝負。「ひねり」も「すかし」もない。映画のゲーテは一本気で感傷家、やや鈍感なKY。演じる俳優はハンサムで、ゲーテのそっくりさん。恋のお相手ロッテは、朗らかでお茶目で健気で積極的。能天気なお二人さんだが、まあなかなかよくできた映画で楽しめた。中部ドイツの風景もきれいだった。お薦め。

問題は、映画が終始ヴェルテル・イコール・ゲーテで押し通しているところだ。ゲーテはじつはもっと複雑な人物で、ヴェルテル陶酔者であると同時にヴェルテル批判者でもあるからだ。

ケストナーとゲーテの決闘場面が出てくる。そんな伝記的事実はもちろんないが、「フィクション(詩)」は「事実」よりも「真実」を伝えるということらしい。そんな自分を見たらゲーテは顔をしかめるだろうな。ゲーテは決闘するくらいなら、とっとと一目散に逃げ出すタイプだ。血を見ることが何より嫌いなのだから。

ゲーテ君は決闘騒ぎで放り込まれた監獄で『ヴェルテルの悩み』を執筆。送られてきた原稿をロッテが出版社に持ち込んで陽の目を見ることになり、ゲーテ君は一躍時代の寵児に。これではケストナー氏は永劫に浮かばれまい。ロッテの「勇み足」というものだ。そんなことがあろうはずはないと思うが、「まあいいか!」。映画には映画の行き方がある。

2011年11月14日 (月)

ハクセキレイとゴイサギ

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自宅マンションからロマンチック街道をひとつ挟んだ向丘(私が里山と呼んでいる傾斜地)でつい最近見かけたハクセキレイ。全体に色が薄くて、普段見ているハクセキレイとはずいぶん印象が違っていて驚いた。目の色も赤い。幼鳥だろうか、それとも雌だろうか。野鳥は、同じ種でも個体によってずいぶん変異があることが分かってきた。

そして今朝、自宅のヴェランダ前の梨谷池のそばを9時に通ったとき、岸の茂みにゴイサギがいるのを見つけたが、そのまま通り過ぎて10時過ぎに戻ってくると、同じ場所にそのままじっと動かずにいた。そばを車や人がひっきりなしに通っているはずなのに。

早速カメラを取りに戻って、2度ばかりシャッターを切ると、ゴイサギはすばやく飛び去った。無関心な騒音と自分に向けられた関心を敏感に区別しているのだ。かすかなシャッター音でゴイサギの憩いをかき乱したことをちょっと悔いた。

晩秋から春にかけてが野鳥の季節だ。身近に野鳥の姿を見かける機会が増えてきた。

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2011年11月11日 (金)

魂の折り合い -内山節 『文明の災禍』

10月中旬に宮城の被災地を訪れた。名取市の閖上(ゆりあげ)浜では、今は廃墟となった閖上中学の校舎と、ひかがみを折られてがくっと膝を屈したように前屈みになっている数軒の住宅のほかは、宅地の跡を示すコンクリートの土台だけが海の方まで続いていた。海辺の松並木は灰褐色に変わり、晴れた日なのに靄(もや)っているように見えた。

名取川の河口付近に広がっていたはずの宅地と、そこで営まれていた市民生活はまるでかき消されたように跡かたもない。トラックターとクレーン車で瓦礫の撤去をしているヘルメット姿の作業員以外は、人影もない。遠目に海がきらきら光っていたが、吹く風は冷たかった。

「この一本だけが残ったんですよ」とタクシーの運転手さんが指さしたのは、小高い丘の上に立っている松の木だった。そまつな鳥居をくぐって十段ばかりの階段を上ると、残った石碑の台座にたくさんの花束が供えられていた。祠か社があったと思われるが、流されたらしい。急ごしらえの小さな花壇らしきものが作られていてマリーゴールドが咲いていた。

そこに「ありがとう 自然のすべてに愛と感謝を」と書かれたまあたらしい木札が挿してあった。胸を衝かれた。いつ、どんないきさつで置かれた木札なのかわからないが、頭のなかで「愛と感謝」ということばが、冷たい風のなかの風見のような音をたてた。

その後もそのことばが心に刺さったトゲのように気になって仕方がなかった。内山節さんの『文明の災禍』を読んで、トゲがすっと抜けたような気がした。

内山さんの本に、気仙沼の唐桑地区でカキの養殖をしていた畠山重篤さんのことが紹介されていた。畠山さんは「森は海の恋人」と言い、仲間とともに山に落葉広葉樹を植えてきた漁師として知られている。森と川と海は一体で、よい森とよい川が豊かな海をつくるというのだ。

その畠山さんは今度の津波で母親を失い、船も養殖施設もすべて失った。それでも、津波から何日もたたないうちに畠山さんは「それでも海を信じ、これからも海とともに生きてゆく」というメッセージを出した。

内山さんは書いている、「どう考えても折り合いがつくような事態ではない。しかし、と私は思う、どこかで折り合いがついたのだ。そうでなければ『これからも海を信じて生きる』というメッセージが発せられるわけがない。とすると、どこで折り合いがついたのか。おそらく、魂の次元でだ。海とともに生きてきた、そして自然とともに生きてきた漁師の魂がそう言わせ、そう感じさせているのだろう」と。

畠山さんは「海はときどき海底を掃除した方がいい。そうすると海底の沈殿物が一掃されて、海の生態系はより豊かになる。この海底の掃除をしてくれるのが津波である。今回の津波によって唐桑の海はこれまで以上によくなってゆくだろう」とも言っているらしい。内山さんはそこに「自然とともに社会をつくり、死者とともに社会をつくる」という明確な意思表示としての「死者への供養」を読み取っている。

とてつもない災禍をもたらした海に向かって「愛と感謝」を捧げることが、死者への何よりの手向けとなるような生き方、それを支える共同体を美しいと思った。

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2011年11月 7日 (月)

モズ

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モズは群れない。梢や杭の尖端のいちばん目立つところに止まって、自分の縄張りは自分で守るぞと言わんばかりに、あたりを睥睨(へいげい)する

夕刻ヴェランダから、隣のマンションのテレビ・アンテナに止まっているモズのシルエットが遠目に見えた。この秋はじめて見たモズだ。

2011年11月 2日 (水)

カラスウリ

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今日は肺炎球菌のの予防接種を受けての帰り、ちょっと足を伸ばして千里川ぞいを少しだけ歩いた。カラスウリが鮮やかな朱に色づき始めていた。彼岸桜がちらほら枝先に綿毛を散らしたように咲いていた。

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