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2011年9月

2011年9月26日 (月)

アベリアの密を吸うモンキアゲハ(紋黄揚羽)

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自彊術教室の始まる20分くらい前に、あたふたと急ぎ足で千里中央の長谷池に足を運んだ。オオアカウキクサのその後が気になっていた。7月頃には水面を覆いつくしていたレンガ色が褪せて、少しづつ緑を取り戻してきていて、ほっとした。

トモエカモがお目当てだったが、やはりまだいない。バンの親子がのんびり泳いでいた。するといきなり、大きなアゲハチョウが視界をよぎった。広げた翅の全長が10センチはあろうかと思われる、びっくりするような大きな蝶だ。ゆっくりと舞い上がり、翅を広げて滑空するかと思うと、再びゆっくりと舞い降りてアベリアの花にとまった。威風堂々たる蝶の王という感じだ。

うろたえて、あわてて何度かシャッターを押したが、碌な写真が取れるわけがない。まあ我慢してもらえそうなのは、これ一枚。心を残して自彊術教室に駆けつけた。

ウェブの図鑑で調べるとモンキアゲハのようだ。日本で最大のアゲハチョウだそうだ。ヤッター!

2011年9月22日 (木)

水都の既視感(デジャビュ) 

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近江八幡の起源は城下町と書いたが、秀次による築城から十年後、秀吉によって廃城とされた。その後、城下は近江商人の町として発展した。わが国の優良企業の数々が近江商人の流れを引く。今はメンソレータムの近江兄弟社、いやいや関西では菓子舗「たねや」の方が有名かもしれない。建築家ヴォーリズの設計になる瀟洒な洋風建築が町のそこここに建っている。

近江八幡はまた水都でもある。八幡濠の端を歩いていると、なぜか既視感(デジャヴュ)がある。そうだ、去年の今頃訪れたベルギーのブリュージュだ。

かつて水運で栄えた「濠(運河)の町」は、今は繁栄から取り残され、往時の景観を守って生きる観光の町。落ち着いた風情の中に感じられる一抹の哀愁は、二つの町の共通の魅力だ。

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ショウキズイセン

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ご近所の野鳥仲間の奥様が、近くの羽鷹上池の岸に「黄色の彼岸花が咲いている」と知らせてくださった。白い彼岸花は見たことがあったが、黄色のはまだ見たことがなかったので、さっそく通勤の途中まわり道をしてカメラに収めた。確かに彼岸花のようだが、ずいぶんと印象が違っている。

彼岸花はたいてい群れて咲いているが、この花はせいぜい2,3本、それぞれが大ぶりで洋花のようなからっとした印象。在来種の赤い彼岸花(曼珠沙華)の妖しさがない。

ネットの植物図鑑で調べてみた。どうも「ショウキズイセン(鐘馗水仙)」らしい。ヒガンバナ科。赤花ヒガンバナは、長崎のオランダ屋敷に出入りする「じゃがたらお春」なら、黄花ヒガンバナは「鐘馗さま」かと、そのコントラストが興味深かった。

2011年9月20日 (火)

近江八幡の秋

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敬老の日を利用して、琵琶湖東岸の近江八幡を訪れた。真夏のような日差しの一日だったが、空気が乾いていたせいか、日蔭に入ると吹く風が快い。空気が澄み切って、明るい日差しの作る影が濃い。NHKの大河ドラマ『江』の舞台ということだが、観光客の姿もそれほど多くはない。

町の発祥は、豊臣秀次の築いた八幡山城の城下町。ほぼ碁盤の目状に広がる通りは一直線に遠くまで見通しがきくが、人の姿は少なく、メインストリートを一筋横に入ると、静まり返っている。芙蓉やコスモスの花の周りを飛び交う揚羽蝶の羽音が聞こえるほどだ。

そういえば、揚羽蝶の多い町だ。門口ごとに花の鉢植えが置かれているし、町を貫く濠が豊かな水を湛えているせいだろう。

八幡山城址に登って、近江平野を見渡した(上の写真)。遠くに光るのが琵琶湖、対岸の山並みは比叡。こんなに広々と見晴らせる風景は久々だった。高層ビルのないのがいい。

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2011年9月17日 (土)

大阪ことば学・続

前々の記事で『大阪ことば学』を取り上げたが、本をめぐるエピソードだけでは、羊頭を掲げて狗肉を売ることになろう。少しだけでも本の中身に触れておこう。著者は日本語学者なのだが、方言学者ではない。したがって、この本は大阪弁を言語学的に客観的に検証しようとの目論見で書かれているわけではない。

著者は、大阪で生まれ、大阪で育った、大阪弁をこよなく愛する大阪人だ。大阪弁を愛する大阪人にしかわからない大阪弁の微妙なニュアンス、屈折が(これは日本語学者ならではの)鋭さで見事に浮き彫りにされていて、私のような大阪人には「我が意をえたり」と思わず膝を打ちたくなるが、これを他郷人に納得してもらうのは容易ならざることであろう。

客観性を放棄しているわけではない。客観性を超えてしまっているのだ。しかし、そのことはこの本の欠点では決してなく、何よりの強みであり、魅力だ、と私などは思う「あばたもえくぼ」というのは、好きにならなければ決して分からない美点・魅力というものがある、ということなのだから。

著者によれば、大阪弁の最大の特色は対人、対自関係における絶妙の距離感覚ということになる。他人との間合いを正確に測りながら、事がもっともなめらかに進むようにことばを繰り出す。ことばを一ひねり二ひねりする。ことばに色を添える。ことばの「身ごなし」の軽やかさ、しなやかさ、そしてしたたかさ。

大阪弁の「当事者離れ」と著者は呼んでいるが、つまり渦中の当事者としての自分から自在に距離を置き、自分を第三者的に見、語る能力が大阪弁には備わっている。他郷人には「無責任」とも受け取られかねないが、そうではない。離れた高いところ(または、低いところ)から自分をつき放して見ることによって、見えないものが見えてくる。自分の可笑しさ、愚かしさ、悲しさも見えてくる。それが大阪の「笑い」になる。

私の紹介がいささか抽象的で、それで「具体的にどうやねん?」と言われそうだが、それは本書を読んで下さい。一つだけ実例として、本書で引かれている島田陽子の「うち知ってんねん」の一節だけを挙げておこう。

あの子 かなわんねん / うちのくつかくしやるし / ノートは のぞきやるし / わるさばっかし しやんねん / そやけど / ほかの子ォには せえへんねん / うち 知ってんねん

そやねん / うちのこと かまいたいねん / うち 知ってんねん

下の写真は先日訪れた比叡山坂本の石垣。不揃いな自然石をそのまま積み上げて、ひょっとしたら千年来(?)ずれることなく揺らぐこともない。

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2011年9月13日 (火)

十六夜(いざよい)の月

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これはホオズキではありません。今日の満月。昨日9月12日が「中秋の名月(十五夜)」だったので、今日は十六夜(いざよい)の月ということになるのでしょうか?(少し自信なさげですが。というのも月齢で言うと今日は15ということになるようで・・・)

わが愛機ニコンCOOLPIX P90の24倍ズームで撮った写真。望遠で近づくと、月面の明るさで手振れを起こさずに撮れるのです。とはいえ、やっぱりちょっとピンボケですが・・・・

大阪ことば学

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通勤電車で尾上圭介『大阪ことば学』(岩波現代文庫)を読んでいたら、隣に座っていたおじさんが「お宅、大阪のひとでっか?」と訊いてきた。他人の読んでいる本を覗き込むのは、まあちょっとしたルール違反だが、私の方も前に座っているおじさんの新聞の大見出しをしげしげ見て楽しんでいるのだから、愛想よく「面白いですよ、これ、ほんまに。目から鱗ですわ」と言って、本の表紙を見せた。

「知ってま。それ、学問的な本やけど。大阪弁のことやったら、若木えふのんがおもろい。若木えふ、知ってはる?」この大阪のおじさん、なかなかの教養人だ。

「わたし、商売してましてな、東京や名古屋や、よう行きまんねんけど、あきまへんわ。最初の3、4年は、商売になりまへんでしたわ。大阪弁しゃべってるだけで信用してもらえまへんでしたわ。・・・」難波から天王寺までおじさんの話は延々と続いた。

天王寺で「私ここで下りますので」と話の腰を折ることになったが、「私もですわ。ほな」と、背中で手をふってさっさと下りていった。「大阪ことば学」実習篇みたいだなと可笑しかった。

写真はロマンチック街道沿いのヒマワリ花壇。陽気で、能天気で、ずうずうしいような、それでいてちゃんと気配りができている、大阪人とヒマワリ。これはちょっと牽強付会!?

それにしても『大阪ことば学』、大阪人の心の襞(ひだ)に迫って類書の追随を許さない。たくさん買い込んで、親類、友人、知人に配りたいくらいだ。

大阪ことば学 (岩波現代文庫) Book 大阪ことば学 (岩波現代文庫)

著者:尾上 圭介
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2011年9月 9日 (金)

「こけました」続々報、そしてオーシャンブルー

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今朝、勤めに出て部屋でひと仕事をして、事務室に顔を出すと、みんなが異口同音に「顔の左がはれている。」 確かに今朝起きて鏡を見たとき、自分でもそう思ったが、「こんなこともあるさ」と気にとめなかったのだ。しかし、言われてみて、「やっぱりそうだったか。」それに少し頭痛もする。

職場のみんなが「一度きちんと調べてもらったほうがいい」と言ってくれた。その忠告に従って、かかりつけの大手前病院で頭部のCT検査を受けた。輪切りになった頭蓋の写真を脳外科の先生が一枚一枚モニター画面に目をこすりつけるようにして調べてくれた。ニッコリ笑って「だいじょうぶですよ。」これで明日から高松に出張できる。傷だらけの眼鏡は仕方がない。

上の写真は、初夏から晩秋まで、そして朝から夕方まで、この頃いたるところで目にするようになったアサガオに似た花、ノアサガオ(野生のアサガオ)、琉球アサガオ、または通称オーシャンブルーと言うそうです。

熱暑の昼日なかにも涼しげに元気に咲いている。まことに旺盛な繁殖力だ。一方、繊細ではかなげな在来種は最近とみに見かけなくなった。朝が白み始める頃、夜露にぬれたアサガオの花の風情がなつかしい。

わが果樹園

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「わが果樹園」などと書くと、どんな豪壮なお宅にお住まいかと訊かれそうだが、じつはヴェランダ果樹園。これまでずいぶんいろんな果樹(の鉢植え)を育ててきた。柑橘類いろいろ、ベリー類いろいろ、無花果も桜桃も。悔しいかな、なかなかヴェランダにはなじんでくれない。いまも残っているのはレモン、キンカン、キーウィ、グミ、マルべりー(山桑)、そしてブルー・べりー。

そのうちレモン、キンカン、キーウィはいま実をつけているが、まだ「青い」。熟するまでたっぷり2ヶ月はかかりそう。

ブルー・ベリーだけは、たくさんの実が緑から赤へ、赤からダーク・ブルーへと色づき始めている。いっせいに色づくのではなく、枝についた十個ばかりの実のなかの一つだけが急に大きくふくらんで黒くなる。あちらで一つ、こちらで二つ、三つという具合。

さて、先頭を切って大きく黒くなった一つの実を、旅行に出るという娘にあげた。「こんなに甘くておいしいブルー・べりーは、生まれて初めて」という感想を洩らして旅立った。

次に数日遅れで大きく黒くなった実は、息子にあげた。顔をしかめて「ブルー・ベリーって、こんな酸っぱいんや!」 三つ目は私が食したが、甘くてかすかな芳香に、思わず笑顔。四つ目は大きくなるのを待って家内にあげる予定。わが果樹たちは、それぞれにこんな物語を用意してくれるところが楽しい。年ごとレモンにはレモンの物語、キンカンにはキンカンの物語があった。さて、キーウィはどんな物語を連れてくるのだろうか?

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2011年9月 6日 (火)

「こけました」続報

昨日の晩は、「こけた」衝撃となでしこの快勝もあって、奇妙にハイな気分で、氷枕で左目を冷やしながら寝た。今朝は自分の顔を見るのが怖かったが、案の定見るも無残ことになっていた。左目の周囲が腫れ上がって黒ずみ、白目の部分が充血して真っ赤。唇がはれて歪んでいる。とりあえず、すべての絆創膏とガーゼをはがして顔を洗った。唇の裂傷をのぞいては、打撲と擦り傷だ。痛みはほとんどない。

朝イチでお医者さんへ。「目が腫れましたね。念のために、眼科で見てもらってください」とのこと。しかし、まずはメガネだ。メガネがなければ動きが取れない。応急修理を施したメガネで、千里山のなじみのオプト・ガレ(メガネ店)へ。あまりの顔にご主人はうろたえていた。しかし、そこはプロだ。目の状態を見て「これなら大丈夫」と、新しいメガネの調整をてきぱきとやってくれた。ひとまずほっとした。

帰り、モノレールの山田駅から、今日はくっきりと晴れ上がった秋空を背に太陽の塔を撮った。落ち込んでいた気分が少しだけ、上向いた。

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2011年9月 5日 (月)

こけました

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台風一過、さわやかな秋空。とは言いかねるこの2,3日。今日は小雨のなか涼しいので、歩いて自彊術へ。そこまではじつにルンルンだったのですが、帰り道、比喩的にではなく、文字通り「こけました」。

お隣のマンションの駐車場を横切ろうとして、車止めに足を取られてこけました。右手にカメラ、左手に買ったスチールの組み立てラックの箱を持っていたものだから、顔から駐車場のコンクリート面に激突。吹き上げるような出血。メガネが吹っ飛んでどこかに。鮮血でハンカチが見る間に真っ赤。リュックから携帯を取り出して、自宅にSOS。飛んできた家内と共に近くの医院へ。唇の裂傷、左目の周りの打撲とすり傷、左肩の打撲。これだけで済んだのは奇跡的。今は左目がほとんどふさがって、KOされたボクサー状態です。

ともかく、こんなこけ方は子どもの頃にもしたことがなかったので、ちょっとショック。しかし、ブログを書こうという気になるくらいですから、どうぞご心配なく。

色川武大の『うらおもて人生録』によれば、人に与えられている「運」の量は誰でもだいたい同じくらいだそうだ。ツキが続いているときは「やばいぞ」と思うべきだし、大マケしたときは「さあ、ツキが来るぞ」と思っていい。さて、今はどっち?

羽鷹池にカモが帰ってきました!

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2011年9月 2日 (金)

アスター

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数日前、散歩の道すがら近所の小学校の庭園にアスターが咲いているのに出くわした。夏休みで、手入れが行き届かないのか、花に交じって雑草が伸び放題だったが、なぜか懐かしさが先に立って嬉しかった。

赤、紫、ピンク、白と多彩な花色、。丈高い茎の先端に花をつけるすっきりとした立ち姿。乾いた印象。洗練のなかにわずかに残る野性味。子どものころよく見た花だったが、この頃あまり見かけなくなった。園芸花にも<はやりすたり>があるのだろうか。

昨年のちょうど今頃、ミュンヒェンの市役所前広場(マリーエンプラッツ)の花屋さんは色とりどりのアスター(ドイツ語では、Sommeraster、夏アスター)で溢れんばかりだった。アスターは晩夏から秋にかけての花。ドイツ人の好みに合っているらしい。ドイツの詩人ベンに『アスター』と題する詩がある。アスターは赫々たる夏の名残りであり、生の頂点から消滅に向かって足踏みしている夏の象徴だ。

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