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2011年8月14日 (日)

「青と匂い」についてのひとりごと

「青い花」には「匂い」のあるものが少ないという仮説から出発して、「青い花」と「匂い」の関係を相変わらずいつもぼんやりと考えている。

最近、花粉の運び手として重要な役割を果たす「ハナバチ」(蜜蜂のように花の蜜を餌とするハチ類)は青い花を好むという記事を読んだ。以来、謎はますます深くなった。青い花は「ハナバチ」のために青くなったのか、「ハナバチ」の方がその目の構造と特性を「青い花」に対して進化(特化)させたのか。

「青い花」を「ハナバチ」へと引き寄せる何か特別なメカニズムが存在するはずであろう。そのメカニズムに「匂い」はどう関わっているのか。これは昆虫学、植物学の難問に違いない。(下の写真は紫陽花の蜜を吸うハナバチ)

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それはそれとして、とりあえず「青い花」と「匂い」の媒介項として「ひとの心」を挟み込んでみる。すると・・・

遠ざかってゆくものを、私たちは「青い」と感じることが多くはないだろうか。車窓をよぎって通り過ぎてゆく風景。青空の中に吸い込まれてゆく鳥の影。青霞む山々。青は、私たちの心の奥深くで「遠ざかる距離」の感覚と結びついている。

他方、「遠ざかってゆくもの」ではなく「近づいてくるもの」に向けられる感覚は嗅覚、すなわち「匂い」の感覚だ。食物を捕獲し、敵ないし性愛の相手の接近を察知する感覚は、人間を含めた動物の感覚のうちでもっとも生命本能に近い。食と性と死に関わるもっとも重要な感覚が「匂い」。「青」と「匂い」は同じく距離の感覚であっても、まるで逆方向を向いている。

ところで「青い花」には本当に匂いがないのだろうか?私たちが匂いを感じないだけなのではないのだろうか?ちょうど「紫外線」や「赤外線」が見えないように。あるいは「超高周波」や「超低周波」が聞こえないように。

人間は文明化の過程で、匂いの感覚をかなりな部分失ってきたのではないだろうか。「遠ざかりゆく色」である「青」が危機のシグナルとして感受されなくなったときに、つまり「青いもの」に対して私たちが「嗅覚」を働かせる必要を感じなくなったとき、「青」は私たちにとって「匂い」を失ったのかもしれない。

逆に、例えば「ハナバチ」は「青い花」の「匂い」に誘引されているということがあるのだろうか?

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