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2011年8月

2011年8月30日 (火)

カラスの幼鳥?

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久しぶりに北緑丘の千里川沿いを散歩していたら、ニレの木の茂みから聞きなれない「キョッキョッキョッ」という声が聞こえた。見上げると、枝の影から黒っぽい中型鳥の姿がのぞいた。ヒヨドリ位の大きさ。一見カラスのようだけれど、くちばしの形がカラスとは違う。尾羽も長い。翼の下から腹部にかけて白っぽい褐色の羽が見える。。「はてな、この鳥は何?」

デジカメに収めて、帰って自宅のパソコンのモニターに拡大してためつすがめつする。何だか貧相で、ちょっと不気味。やっぱりカラスの幼鳥だろうか。鳴き方も飛び方も違っているような気がするのだが・・・

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2011年8月28日 (日)

サルスベリの白

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サルスベリの白い花が好きだ。サルスベリの白い花弁は、触れると溶けてしまいそうに薄くて透明だ。真夏の明るい日差しの下でサルスベリの花の白は、田舎育ちの私には、転校してきたばかりの都会の少女のワンピースの白を思い出させる。さわやかで清々しくて、少し眩しい。

雪のような白さと私の目には映っていたが、しかしよく見るとサルスベリの白には、志野の茶碗のようにかすかに赤が差している。生命の色、火の色が白い花弁のなかにしのび込み、その白さをきわ立たせている。無垢なエロティシズムと言うべきだろうか?あるいは、老いの戯言?

コダカラベンケイソウ

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ゲーテは今から262年前の今日8月28日、ドイツのフランクフルトに生まれた。上の写真はゲーテがことのほか喜びそうな写真だ。彼は友人からもらったセイロンベンケイソウの苗を大切に栽培し、その葉を多くの人に配った。セイロンベンケイソウには「ゲーテ草」の名もある。

ベンケイソウは葉の縁から芽を出す。無性生殖、クローンで増殖する。ゲーテは、植物のすべての部分は「葉」が変化したものという仮説を立てていた。ベンケイソウは自分の仮説が目に見える形で出現したように思ったのだ。

もう10年以上も前、学会の帰りに那覇空港で「愛愛草」と称する数葉の葉を買った。それが件の「ゲーテ草」だと判ったときは嬉しかった。葉の縁から出た芽が見る見るうちに大きく育ってたくさんの葉をつけた。その葉が次々と人手に渡って、「大きくなりましたよ」「花が咲きましたよ」と嬉しい報告をたくさんもらった。

私の手元の原種は冬の寒さで絶えてしまった。繁殖力の強さに、油断してしまったのだ。

写真の植物はベンケイソウの一種でコダカラ(子宝)ベンケイソウというらしい。これはJR天王寺駅の北の悲田院町の路地で見つけた。育て主さんに向かって「ゲーテ草」のことなどさりげなく呟いてみた気がする。びっくりされるか、叱られるか、怪訝そうに見返されるか、ちょっとわくわくする。

写真をクリックして拡大してご覧いただくとわかるが、右端の芽の子葉にはすでに孫葉がついている。すごい!

2011年8月27日 (土)

ゴーヤの花

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一昨年ヴェランダ菜園で育てたゴーヤは次々と実をつけて、家計の足しになったとまでは言わないが、何度か食卓をにぎわせた。

その再現を狙って植えたゴーヤ、今年は次々と花は咲いても、実を結ばない。そんなわけでとっくりと、花を見る。あどけない表情をしている。「実なんかつけなくていいよ」と言いたくなった。

2011年8月26日 (金)

タマシロオニタケ

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モノレール少路駅近くの街路樹シマトネリコの根方にひょっこり出現した、宇宙人の親子。なんともインパクトのある二人です。そばを足早に通り過ぎてゆくサラリーマンを興味深げに(不思議そうに?)見ています。

ネットのキノコ図鑑で調べて見ると、どうもタマシロオニタケのようです。もしそうなら、致死性毒が含まれているとか、絶対に口にしてはいけません。大きい方が高さ10センチ、直径5センチ。小さい方が高さ5センチ、直径2センチ位です。

2011年8月19日 (金)

オオアカウキクサか?

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この不気味な赤は何だろう。7月の初めころから、千里中央の長谷池が一面レンガ色に染まっている。この赤い藻のような植物は、アカウキクサなのか、あるいはオオアカウキクサ(アゾラ)ではないのだろうか。区別はなかなか難しいらしいが、両者が生態系に対して持つ意味は大違いだそうだ。前者なら絶滅危機種、後者なら特定外來生物法で輸入・販売・栽培が禁じられた種。たぶん、後者アゾラではないだろうか。

あっという間に池面を覆い尽くした、その繁殖力は凄まじい。異様だ。バンもとまどいの表情を隠せない。「そんなところにいて大丈夫なの?」と声をかけたくなる。

なぜ異様か。単一種の爆発的な繁殖は、他の多様な種を駆逐するばかりか、当の単一種自身にも死をもたらすのではないか。赤い藻に覆われた水面の下には、光も酸素も届かない不気味な暗黒の世界が広がっているのではないだろうか。杞憂であってほしい。

2011年8月14日 (日)

「青と匂い」についてのひとりごと

「青い花」には「匂い」のあるものが少ないという仮説から出発して、「青い花」と「匂い」の関係を相変わらずいつもぼんやりと考えている。

最近、花粉の運び手として重要な役割を果たす「ハナバチ」(蜜蜂のように花の蜜を餌とするハチ類)は青い花を好むという記事を読んだ。以来、謎はますます深くなった。青い花は「ハナバチ」のために青くなったのか、「ハナバチ」の方がその目の構造と特性を「青い花」に対して進化(特化)させたのか。

「青い花」を「ハナバチ」へと引き寄せる何か特別なメカニズムが存在するはずであろう。そのメカニズムに「匂い」はどう関わっているのか。これは昆虫学、植物学の難問に違いない。(下の写真は紫陽花の蜜を吸うハナバチ)

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それはそれとして、とりあえず「青い花」と「匂い」の媒介項として「ひとの心」を挟み込んでみる。すると・・・

遠ざかってゆくものを、私たちは「青い」と感じることが多くはないだろうか。車窓をよぎって通り過ぎてゆく風景。青空の中に吸い込まれてゆく鳥の影。青霞む山々。青は、私たちの心の奥深くで「遠ざかる距離」の感覚と結びついている。

他方、「遠ざかってゆくもの」ではなく「近づいてくるもの」に向けられる感覚は嗅覚、すなわち「匂い」の感覚だ。食物を捕獲し、敵ないし性愛の相手の接近を察知する感覚は、人間を含めた動物の感覚のうちでもっとも生命本能に近い。食と性と死に関わるもっとも重要な感覚が「匂い」。「青」と「匂い」は同じく距離の感覚であっても、まるで逆方向を向いている。

ところで「青い花」には本当に匂いがないのだろうか?私たちが匂いを感じないだけなのではないのだろうか?ちょうど「紫外線」や「赤外線」が見えないように。あるいは「超高周波」や「超低周波」が聞こえないように。

人間は文明化の過程で、匂いの感覚をかなりな部分失ってきたのではないだろうか。「遠ざかりゆく色」である「青」が危機のシグナルとして感受されなくなったときに、つまり「青いもの」に対して私たちが「嗅覚」を働かせる必要を感じなくなったとき、「青」は私たちにとって「匂い」を失ったのかもしれない。

逆に、例えば「ハナバチ」は「青い花」の「匂い」に誘引されているということがあるのだろうか?

2011年8月12日 (金)

うしろ姿

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8月8日(火)夕刻、ひさびさに千里川沿いを少しだけ歩いた。野鳥の姿はなかった。岸からのぞくと、白ユリが4本、川面を向いて咲いていた。おじさんに背中を向けて座っている4人の女高生みたいだなと思った

この妖しい魅力

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六甲山頂の「ホール・オブ・ホールズ」(オルゴール博物館)で見たこの美女は、カラクリ人形仕立てのオルゴール。それにしても、この妖しい魅力。手にしている扇には、蓮の葉の上で踊るカエルが描かれています。扇の下からのぞいているのは、ヴェネチアのカーニヴァルの仮面。扇の縁に乗っかっているのは、日本の紙風船。ジャポニスム風味のキッチュ。どんな音楽を奏でるのか興味津々ですねぇ。

2011年8月 9日 (火)

ルリマツリ

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去年は南側のヴェランダに置いていたルリマツリは、どんどん枝(蔓)を伸ばし次から次へと青い花房をつけて、しおれて落ちた花びらがヴェランダの床や別の鉢植えの花の上にさかんに落ちかかるものだから、少々もてあました。

今年は北側のヴェランダに置いたら、明らかに枝の伸びが遅く、花房の数も減った。しかし、その少ない花房の青は去年より美しく感じられる。邪険に扱ったうしろめたさかも知れない。

芙蓉(フヨウ)

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芙蓉の赤い花と白い花。真夏の突き刺すような日ざしを浴びて咲いています。とは言え、薄い花弁、濁りのない色彩、雄しべ雌しべの繊細な色彩、真っ直ぐな咲きっぷり、何とさりげなく凛(りん)としていることでしょう。考えてみれば、夏の木の花は、サルスベリもネムノキも夾竹桃もどれもそんな「しなやかな強さ」を秘めているような気がします。

トルコ映画 『路』を観た日

トルコ映画『蜂蜜』について書きながら、かれこれ30年も昔に、これもトルコ映画『路』を観た日のことを思い出した。

じつはその日の朝、人間ドックのエコー検査で「胆嚢にポリープあり」と診断された。緊張した検査技師の顔(緊張していたのは技師さんでなく私の方だったのだろうが、技師さんの顔が凍りついたように見えた)を見ながら「癌ですか」と上目づかいに訊くと、「主治医とよくご相談なさってください」との返答だった。そして、その日はそのまま引き取ることになった。

.今ならポリープについて少しは知識もあって、冷静に受け止められただろう。しかしその日はじめて聞く「ポリープ」に、私は存在の根底をはげしく揺すぶられた。家にも帰りあえず、私は「大毎地下劇場」の闇に身を沈めた。

さて、『路』。1980年マルマラ海(黒海とエーゲ海とをつなぐ海)の監獄島から5人の囚人が5日間だけ仮出所を許された。映画は、5人の囚人が辿る、短い、それぞれに苛酷な旅路を描いた映画だった。(ユズマル・ギュネイ監督1982年)

そのうちのひとり。妻と子が待つはずの故郷の町に帰ってくると、妻は生活苦から別の男に身を売ったかどで実家に戻されていた。実家を訪ねると、家名を守るために「娘に死を」というのが、妻の親族の要求だった。「拒むなら、われわれが殺す」と言う。逃げるように妻を連れ、激しく吹雪く酷寒の山を越えて町へと帰る道行。衰弱し雪の中で動けなくなり赦しを乞う妻の声を背に、男はじっと前を見すえたまま遠ざかってゆく。少年になったばかりの息子は背後の母を振り返り振り返りしながら父の後を追うのだった。 

映画館の闇の中で、私は嗚咽をこらえることができなかった。映画を見ての嗚咽ははじめてのことだった。しかし、それは感傷ではなかった。今なら、「何という酷薄な因襲、何という男性支配」という憤りが先に立ったかもしれない。しかし、そのとき私は、いっさいの感傷を峻絶する人間の根源的な姿、魂の原風景と言えるものに向き合っていたのだった。席を立ったとき、平静に<自分の死>と向き合えるような気がしていた。

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2011年8月 8日 (月)

「みょうが」は花だった!

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8月のある朝、鉢植えの「みょうが」の根もとに薄いレモンイエローの花が咲いていた。日本の食材の中で、それなりに重要な位置を占めている「みょうが」、そして私自身大好きな「みょうが」が、じつは「花穂」だったことをはじめて知った。うかつなことだった。

食している「花穂」の中には、こんな繊細な花弁が幾重にもたたみこまれていたのだ。美味しくないわけがない。

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2011年8月 7日 (日)

ネムノキとハナイカダ(花筏)

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六甲山頂の昼下がり。ネムノキは夏の明るい日差しの下でいちばん映えるようです。まぶたをそっとやさしくさすってくれるようなハケ状の花。眠気を誘うようなたたずまいから「眠りの木」、そして「ネムノキ」になったと思っていたら、じつは日が暮れると、その葉がまぶたのように閉じて眠るからだそうです。

真夏の燃えるような日差しの中で涼しい顔をしながら、じつはどんどん水蒸気を発散して耐えていたのが、夕刻、陽が翳り始めると葉裏を表にして気孔から 夜の冷気と水分をせっせと取りこんでいるのではないでしょうか。智恵のある木です。

「高山植物園」ではじめて見たハナイカダ。葉の上に実を乗っけています。なぜ、葉の上に花をつけ、実を結ぶのでしょう。どんな進化の道を辿って、こんな姿になったのか、不思議ですね。

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それにしても、「ねむの木」も「花筏」も美しい名前ですね。

2011年8月 5日 (金)

涼を求めて六甲へ

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勤めの連休に有馬温泉に湯治としゃれこんだ。有馬の古い和風建築の宿は、土壁の匂いがした。都会のホテルの無機質な匂いと違って、心が落ち着いた。新人らしき若い従業員のお嬢さんは、シナリオをひとことも言い間違えまいと緊張気味だったが、ワンフレーズ終えるたびに、私の目を見てこぼれるような笑み。「がんばれ、がんばれ」と、こちらも笑顔で声援した。

ヒグラシの声は、汀に寄せる波のように高く低く大きく小さくうねるように寄せてくる。それに身を浸していると、体の内側から「涼しさ」が広がって来るようだった。

翌日は、ロープウエイで六甲山へ。杉木立の向こう側から次第にせり上がって来る中国山地の山並み。眼下の急峻な山膚に、青とピンクの山アジサイの花、そしてねむの木の花。「高山植物園」では、ヤマユリ、ニッコウキスゲ、フシグロセンノウが花ざかりだった。(下の写真は裏六甲の景観とフシグロセンノウ)

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2011年8月 1日 (月)

スズメも夏痩せ?

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野鳥を観察する機会はめっきり減ったが、歩いていて野鳥に出会うとついじっと見てしまう。たいていは、スズメたちだ。

以前なら私の目が知らず知らに、スズメ以外の野鳥を探していたが、今はスズメに目がとまる。いつもいつも屈託なさそうにはしゃいでいるばかりのスズメたち。

すずめ すずめ 私の心
あなたのそばを 離れたくない
なのに なのに ふざけるばかり
すずめのように はしゃいでいるばかり

むかし、中島みゆきにはまっていたころ、『すずめ』のこのフレーズを知らず知らずに口ずさんでいることがよくあった。

しかしこの頃よく見ると、スズメたち、この暑さで「少し夏痩せ?」という気がする。冬場にため込んだ皮下脂肪を夏場に落とす戦略のようだ。暑さをビールで紛らわせて、ますます暑苦しくなる人間より、スズメの方が「本来的にまじめ」かも。と言っても、ビール、やめられませんよね、この暑さだもの。

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