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2011年5月 5日 (木)

犬養孝先生のこと

二上山のことを書きながら、万葉集の犬養孝先生のことを思い出していた。

大学の1回生のとき受けた犬養先生の万葉集講義は、200人以上入る大講義室で立ち見が出る盛況ぶりだった。先生は折々季節の花にちなんだ歌を取り上げて、その花を手に講義をされた。花をかざしながら朗誦し、ときに舞を舞われた。

しかし2回生になり、「万葉集講義・中級」になると受講生が急に減って、あるとき教室に行くと、学生は私ひとりだった。先生が来られて「今日はあなた一人だから、私の研究室で授業をしましょう」とおっしゃって、先生の研究室に招じ入れられた。先生と一対一の授業で、私は硬くなりっぱなしだった。

一人の私に向かって、先生はいつもの授業と少しも変わらぬ静かで熱のこもった調子で講義をして下さった。そればかりか、そのときも先生は一輪の花をもってきておられて、私ひとりの前でうたい舞って下さった。その講義の万葉歌が何だったのか、何の花だったのか、私は先生の手元を見つめるばかりで、残念ながら今はまったく憶えていない。若さなのか、愚かしさなのか。そのとき、胸に満ちた温かいずっしりとした思いだけが、記憶に残っている。

それから2年くらい後のことだったかと思う。友人のD君が心臓病で亡くなったとき、その遺稿集を作るために、彼の残したレポートを受け取りに先生のお宅を訪問したことがあった。お宅は東粉浜の三軒長屋の一角だった。「この侘び住まいのことか」と、私は驚いた。というのも、あるとき先生が「拙宅の裏に咲いておりましてね」と浜木綿(ハマユウ)の花を授業に持って来られたことがあって、私は勝手に豪壮なお宅を想像していたからだった。

私たちは突然お邪魔したのだったが、用件を述べると、先生は廊下といわず階段といわず山積みされたおびただしいレポートの中から即座にD君のものを取り出して「そうですか、そうですか、亡くなられたのですか、いいレポートでしたよ」と私たちに手渡してくださった。玄関口の薄暗いたたきの向こう側に裏口の矩形の明るみが見え、南海電車が大きな音を立てて猛スピードで通り過ぎてゆくのが見えた。あそこに浜木綿が咲いていたのだと思うと、胸がいっぱいになった。

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(上の写真は、自彊術のお仲間からいただいた花です。名前は、シラユキゲシ(白雪芥子)。本文とは関係ないのですが、あまりきれいなので・・・)

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