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2011年5月 5日 (木)

古代残照 ― 二上山

近鉄南大阪線で大和路を往くと、列車の右手に二上山の二つの頂きが互いに寄りそうように並んで姿を現わす。それを見ると、いつも大和に来たなと思う。惻々と胸に迫ってくるものがある。

そういうわけで、天王寺の放送大学の学舎の窓から南の方角にうっすらと二上山(にじょうざん)のシルエットを望むことができるのを発見したときは、むしょうに嬉しかった.。

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現身(うつそみ)の人なる吾や明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟背(いろせ)と吾が見む(大来皇女)

天武天皇崩御のあと朱鳥(あかみとり)元年(686年)十月三日、天武天皇の第三皇子である大津皇子は、謀反の嫌疑により死を賜り、二上山に葬られた。大来皇女(おおくのひめみこ)は大津皇子の異母姉である。

わが背子を大和に遣ると小夜更けてあかとき露にわが立ち濡れし(大来皇女)

大津皇子が伊勢神宮に赴き、斎宮であられた大来皇女にひそかに逢われた。皇女は大和に帰る弟君を夜通し門口に立ち露にしとど濡れるまで見送られた。「遣る」の語に「名残惜しいけれども帰してやるという意志があり、そこに強い感動がこも」っていると茂吉は評している。皇子の伊勢下向がいつか確定はできないが、悲劇の予感は否みがたかったのであろう。

二上山を見ると、心の隅々まで古代の仄暗い残照に浸されるような気がする。

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