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2011年3月29日 (火)

この空を飛べたら

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このごろ、リヴィングの掃除が終わるとほっと一息ついて、自分で淹れたエスプレッソを飲みながらヴェランダの窓越しに向かいの梨谷池をしばし眺めるのが日課だ。今朝はマガモたちが「ゲッゲッゲッ、グェー」と、<たぶん>上機嫌で鳴いていた。

コガモは「ピーヨッ、ピーヨッ」と小鳥のように鳴く。それに比べるとマガモの声はいささかにぎやか過ぎる。マガモとコガモ、似たような姿なのに、どうしてこんなに違った声なのかしら。「造化の妙」「摩訶不思議」としか言いようがない。

掃除を始める前から対岸でじーっと動かずに佇んでいたアオサギが気になっていた。コーヒーのカップをカメラに持ち替えた。べつにレンズに気がついたわけでもあるまいが、こちら岸のブナの木に向かって飛んできた。アオサギの飛翔を初めてカメラに収めることができた。

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これを書き、颯爽としたアオサギの飛翔する姿をあらためて見ながら、「ああ ひとは昔々 鳥だったのかもしれないね こんなにも こんなにも 空が恋しい」という中島みゆきの歌を思い出している。それこそ、昔々繰り返し聴いたものだった。

このたびの大津波の映像を見ると、押し寄せる黒い波濤の上をたくさんのカモメらしき鳥が狂おしく飛び交っている。鳥たちもパニックに陥っていたのであろうか。彼らのその後の運命は、知るよしもない。それでも、人にも翼があっていたらと、見るたびに思わずにはいられない。(画像をクリックすると拡大して見られます。)

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コメント

私はずーっと小田和正が流れてます…
心の平衡を保つのに、何がしかの音楽を必要とする…文学もそうです、避難所の子供たちが一心に本を読んでいる姿に、神戸の震災の時に無性に音楽を聞きたくなった、という方に、心の糧、の姿を見た思いがします。
被災した方々は言うに及ばず、誰しもが心にある種の傷を負っているのでしょう…。

人間は生まれたときからずーっとすり鉢状の斜面の上を覚束ない足取りで歩いている、そんな気が私にはします。両手を上げてしりもちをついたら、すーっとどこまでも落ちていってしまう。
咄嗟の時に掴むことのできる出っ張り(取っ掛かり)がたくさんあればあるほどいい。凸凹だらけのそんな人生、そんな社会がいい。
音楽でも絵画でも映画でも小説でも、趣味でも人間関係でも、何でもいい。そんな人生の取っ掛かり(命綱と言ってもいいのでしょうか)をたくさん持つことの大切さ。

お久しぶりです。キャンパス内では桜が咲き始めました。ウグイスも鳴きはじめました。被災地の桜や草花は悲しいのではないかと思いましたが、現地の方が、咲き始めた桜を見上げて「元気が出る」と言っているのを聞いて、花はすごいなと思いました。毎日被災地も、福島原発も、ニュースを聞くたびに胸がつぶれそうですが、子供たちのために新しい日本を作り直して渡せるように、できることをしていこうと思います。

さっきのコメントに名前を書くのを忘れました。

めだちゃん、こんにちわ。「お花見」の記事に書きましたが、4月から放送大学で再スタートを切りました。月、火がお休みなので、また遊びに来てください。
野鳥たちとも何とか縁をつないでおきたいものです。

お返事ありがとうございます。ご企画をいただくのを口実に(いただきたいものですが)、ぜひぜひまたお邪魔したます。cherryblossom

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