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2011年3月

2011年3月29日 (火)

この空を飛べたら

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このごろ、リヴィングの掃除が終わるとほっと一息ついて、自分で淹れたエスプレッソを飲みながらヴェランダの窓越しに向かいの梨谷池をしばし眺めるのが日課だ。今朝はマガモたちが「ゲッゲッゲッ、グェー」と、<たぶん>上機嫌で鳴いていた。

コガモは「ピーヨッ、ピーヨッ」と小鳥のように鳴く。それに比べるとマガモの声はいささかにぎやか過ぎる。マガモとコガモ、似たような姿なのに、どうしてこんなに違った声なのかしら。「造化の妙」「摩訶不思議」としか言いようがない。

掃除を始める前から対岸でじーっと動かずに佇んでいたアオサギが気になっていた。コーヒーのカップをカメラに持ち替えた。べつにレンズに気がついたわけでもあるまいが、こちら岸のブナの木に向かって飛んできた。アオサギの飛翔を初めてカメラに収めることができた。

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これを書き、颯爽としたアオサギの飛翔する姿をあらためて見ながら、「ああ ひとは昔々 鳥だったのかもしれないね こんなにも こんなにも 空が恋しい」という中島みゆきの歌を思い出している。それこそ、昔々繰り返し聴いたものだった。

このたびの大津波の映像を見ると、押し寄せる黒い波濤の上をたくさんのカモメらしき鳥が狂おしく飛び交っている。鳥たちもパニックに陥っていたのであろうか。彼らのその後の運命は、知るよしもない。それでも、人にも翼があっていたらと、見るたびに思わずにはいられない。(画像をクリックすると拡大して見られます。)

2011年3月24日 (木)

『平家物語』ふうに

天満橋の大手前病院まで健康診断の結果を受け取りに行った。診断書に右耳が「軽度の難聴」と記載されていた。ここ二三年何となく聞き取りにくさを感じていたから「ひょっとしたら」と思ってはいたが、文字でそう書かれてみると苦い味が残った。

帰りに千里東町公園の長谷池でしばしヨシガモを眺めていた。ヨシガモは「愛(を)し鴨」の転音とか。頭部の明るい茶と頬からうなじにかけてのエメラルドグリーンが美しい。尾羽が柳の葉のようにゆるやかなカーブを描いて垂れ、その下にベージュの風切羽が覗いている。

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滑るように移動し向きを変えるその身ごなしが流麗で、名状しがたい気品を漂わせている。

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気を取り直して箕面行のバスで千里川が171号線と交差する「芝西」で降り、千里川ぞいを下った。北緑丘の上水田橋辺りで「ツィツィー、ツィツィー」と高音の澄んだ囀(さえず)りが聞こえた。見上げると高い梢にシジュウカラがいた。「聴くべき程のものは聴きつ。今は何を期(ご)すべき」というのはいささか大袈裟だが、ずいぶんと気が楽になった。

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今日のブログは何だか『平家物語』ふうになったかな?

2011年3月20日 (日)

北の大地に花咲け!

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大地震、大津波の1週間が夢うつつのうちに過ぎた。そして昨日、久しぶりに千里川沿いを小一時間ばかり歩いた。いつの間にか、沈丁花、レンギョウ、早咲きの桜が川べりを彩っていた。

今年は春の訪れが遅い。しかし、季節は確実に廻(めぐ)っている。被災地の凍てついた大地にも、確実に春は廻ってくる。

自然はわたしたちの目には、ときにあまりにも気まぐれに見える。そのふるまいはあまりにも奔放で、あまりにも無残に思える。それでいて、移ろいゆく四季のおりおりに、自然は何と屈託なげにわたしたちに微笑みかけてくることか。

地が裂け、黒い海が人々を飲み込んだ。火が走り、汚れた霧が人々を降りこめた。大自然(宇宙)という巨大な生き物に立ち向かって、家族の、隣人の生命と暮らしを守ろうと懸命に戦うひとびと。大自然を前にしたとき、人間存在の何という無力、何という小ささ。そして、「にもかかわらず」人間の心の何という勁(つよ)さ、健気さ。

この大災害を「天罰」と呼んだ人がいた。その居丈高な「賢(さか)しら」をわたしは憎む。「天罰」などではない。無辜(むこ)の民を罰する「天」などない。苛酷すぎるこの「試練」に今たくさんの被災者たちが凛として寡黙に立ち向かっている。そしてわたしたちは、一人ひとりがこの「試練」を誰よりもおのれ自身に課されたものとして受け止めなければならないだろう。

2011年3月 8日 (火)

デコちゃん

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高校時代クラスにM君というどこかのお寺の息子がいた。ずんぐりして、丸刈りで、度の強い眼鏡をかけた陽気なおしゃべりで、ときどき授業をサボっていなくなった。大の映画好きだったから、たぶん映画を見に行っていたのだと思う。口を開くと大人びた口調で「映画?そりゃデコちゃんでしょう、デコちゃんに決まっている」と言っていた。そのころ、わたしはまだデコちゃんを名前でしか知らなかった。

昨年末にデコちゃんこと高峰秀子が亡くなったとき、真っ先にM君のことを思い出した。デコちゃんなしにM君の青春はなかったろう。そんなM君は全国にいっぱいいたにちがいない。

『カルメン故郷に帰る』、『浮雲』、『二十四の眸』、『女が階段を上るとき』、『張り込み』など、その後デコちゃんの映画をたくさん見て、わたしもデコちゃんが大好きになった。「勝気」「一本気」というのがデコちゃんの持ち味とされているが、言うのなら「ひたむき」と言うべきだろう。自分の「弱さ」を知るがゆえの「哀しみを秘めた強さ」が、彼女の比類ない魅力だ。

「国民的大女優」と言うらしいが、デコちゃんなら「どうだっていいわよ、『国民的』など。好きにすれば」と鼻にかかったアンニュイな声で啖呵を切ったことだろう。

2011年3月 7日 (月)

ミモザ

自宅マンション前の畑地に植えられたミモザが満開だ。だんだんと数が減ってきたが、それでもまだ10本くらいの林をなしている。このミモザの花は出荷されて花屋さんの店頭を飾るのだろうか?しかし、取り入れ(?)の風景を見たことがない。

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私が小学生の頃まで、桜井谷地区は花卉栽培が盛んだった。いたるところに桃とミモザの木が植わっていて、冬菊が終わる早春にはピンクと黄色の絨毯が広がっていた。今はどこも宅地に変わってしまった。

その頃はミモザの花に振り向きもしなかったが、今はミモザの季節が楽しみだ。よく見ると、黄色いぼんぼり状の美しい花が房咲きしている。本当はフサアカシア(またはギンヨウアカシア)というらしい。しかし、ラテン系の国ではミモザ。早春のこの季節、街角にミモザ売りが立つらしい。男性が女性に「愛の証」として捧げる花だそうだ。明日、3月8日は「ミモザ・デイ」とか。

2011年3月 5日 (土)

「月日星」という「聞きなし」

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「イカルの美声」の記事で、イカルが「ツーヒーホー」と鳴いていたと書いた。本当に「ツーヒーホー」と鳴いていたかどうか?(記事を読まれた方には申し訳ないが)いささか怪しい。耳にした野鳥の鳴き声をそのまま記憶によみがえらせることは至難の業、ましてやそれを文字化することはほとんど不可能だ。

したがって<意味のある文字列>として<聞きなす>ことが古来行われている。イカルの鳴き声の「聞きなし」は、「月日星」「お菊二十四」だと本山賢司氏の『鳥類図鑑』に書かれている。「月日星」という「聞きなし」を知っていたから、私には「ツーヒーホー」と聞こえたのだ。

ちなみにメジロの「聞きなし」は「長兵衛・忠兵衛・長忠兵衛」、フクロウの「ホーホー」という声の「聞きなし」は「ボロ着て奉公」。ウグイスの「ホーホケキョ」、スズメの「ピーチクパーチク」は有意的な文字列ではないから「聞きなし」とは言わない。*「ホーホケキョ」は「法・法華経」の「聞きなし」という説もある。

「聞きなし」自体は楽しいが、いったん「聞きなし」を知ってしまうと、そうとしか聞こえないところが悲しくもあれば、怖くもある。「聞きなし」に似た習俗は、人事万般にも及んでいるからだ。

今度は鳥の姿を見ずに鳴き声だけを<虚心に>聞いてみよう。

私のハンス・ハンゼン

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「輝け 風と光 / 清明 なんぞ白き わが校」と母校豊中高校の校歌は始まる。北原白秋作詞、山田耕作作曲.。ベスト・コンビの手になるものだった。ただ、在校時に歌った記憶はあまりない。「質実剛健 これわが精神」というフレーズがあって、私の(軟弱な?)体質、というか気分に合わなかった。「今さら」という気もした。両親は「爪に火をともす」ような明け暮れに憔悴していた。

「鬱屈した」高校時代だった。貧しくなくても、高校時代なんてたいてい鬱屈したものだろうけれど。

あの頃、毎日昼休みになると生徒会主催のフォークダンス会が開かれ、男子生徒、女子生徒が手を取り合って楽しげに踊り、笑いさざめいていた。その輪の中に、私はどうしても入ることができなかった。二階の教室の窓辺に立って、その光景を見下ろしているだけだった。「コロブチカ(行商人)」や「マイムマイム」のメロディーを聞くと、今も<切なさ>がこみ上げてくる。

踊りの輪に加わりたくても加われなかったのは、何のことはない自分の着ている制服が恥ずかしかったのだ。二人の兄からのお流れだったから、私の体格に合わせて母が制服の裾を切り詰めていた。だからポケットが上半分しかなかった。そんな屈辱的な制服で踊ることはできなかった。

その後トーマス・マンの『トーニオ・クレーガー』を読んだとき、「そうだよな、トーニオ!」と思わずうなずいた。近所から一緒に通っていた級友たちがいつの間にかバスで通学するようになって、私は2キロの道をひとりで歩いた。歩きながら、「白馬にまたがった騎士」がダンスする「俗物たち」をなぎ倒す情景が眼前をちらちらした。

「白馬にまたがった騎士とはまた!」と今なら笑うこともできる。他愛のない「鬱屈」だが、その当時は地面にめり込むような「鬱屈」だった。

トーニオにとってのハンス・ハンゼンのように、私も憧れの級友がいた。長身の美少年、澄んだ目をして優しかった。彼の父親は大会社の重役で、母親は大柄な美女だった。私たちは親友同士。二人でよく語らい遊んだ。淡路島のお母さんの実家に招かれて、二人で神戸港から洲本まで船で行ったとき、夜の甲板で星を見ながら、「宇宙の無限」について時を忘れて語り合った。わがハンス・ハンゼン君の<存在>は、ともすれば崩折れそうになる私の心をよく支えてくれた。

別々の大学に進んでからしばらく続いていた手紙のやり取りはいつの間にか途絶えた。数年前に同窓会報に偶然ハンス・ハンゼン君の訃報を発見した。むしょうに寂しかった。

同じ学年にインゲボルク・ホルムもいたが、遠目に見るばかりでついにことばを交わすこともなかった。

2011年3月 4日 (金)

イカルの美声

イカルはそのいかついご面相に似合わない美声の持ち主だ。高く澄んだ声で「ツーヒーホー」と鳴く。最初に聞いたときはウグイスが鳴いているのかと思った。しかし、あんな高い梢の上でウグイスは鳴かない。よく見ると、イカルだった。通行人も皆、声のする方を見上げていた。2ヶ月ほど前、千里川の川べりでのこと。

今日は久しぶりに北緑丘でイカルの姿を見た。川岸の草地で餌を探していた。緑地公園では見ていたが、北緑丘ではここ一月ほども見かけなかった。「よくぞ戻ってきたな」と声をかけたくなるほどだった。

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その場をいったん去って、戻ってくると「ツーヒーホー」の声が聞こえた。高い梢にイカルがいた。このごろよく出会う野鳥好きのおじさんが寄ってきて、「何ですかね、あれは?」。私は「イカルですよ」と胸を張って答えた。

2011年3月 3日 (木)

風花(かざはな)

今日三月三日は雛祭り。センター試験が始まる以前、国立大学入試はこの時期に行われた。どの新聞も階段教室での入試風景を、「雛壇(ヒナダン)」と洒落(シャレ)て写真つきで掲載したものだ。この日には毎年決まって寒さが戻ってきた。

今日も寒の戻りで、朝がた「風花」が舞った。日が照っているのに、どこからともなく運ばれてきたわずかな雪片が所在なげに風に舞っていた。

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「風花」ということばを知ったのは、中学生の頃。阪急豊中駅近くの映画館で『風花』という題の映画を見たときだ。どうしてあんな大人向きのメロドラマを見に行ったのか、映画の粗筋もあらかた忘れてしまった。ただ、大きな川の土手道を取り乱して歩いていく女主人公のまわりに雪片がはかなげに舞って、女が「風花だわ」と言ったことだけ記憶している。

ネットで検索してみると、映画『風花』(1959)は監督木下恵介、主演岸恵子だった。地方の旧家(大地主)が舞台で、古い因襲と差別に翻弄される男女の純愛を描いた映画だそうだ。そうだったかも知れない。小作人の娘が生んだ子どもに地主が「捨吉」という名をつける、そんな挿話があったことは、今ふと思い出した。「捨吉」という名は忘れていたが、無茶な話だとそのとき思ったことは憶えていた。

こうやって書いて見ると、私の記憶もまるで「風花」のようにはかなげだ。

構造色 - カワセミの瑠璃色

カワセミの羽毛の美しく輝く瑠璃色は、「構造色」と呼ばれる色彩らしい。見る角度(当たる光の角度)によって緑から藍まで色彩が多彩に微妙に変化する。いわゆる「玉虫色」だ。川筋にそって一直線に飛ぶカワセミの青は、まことに「色」というより「光」だ。

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「構造色」を持つものはカワセミだけではない。蝶などの昆虫類、イワシやサバなどの体色、CDディスクなどなど。モノが持つ固有色(色素)ではなくて、モノを蔽う皮膜の<多層的な構造>によって入射光、反射光の複雑な干渉が生じ、そのために色彩が刻々と変化するそうだ。

振り返ってみれば、「人間の心」の色もまた「構造色」かもしれない。人の心は何層にも重なった薄い皮膜に蔽われている。歳月が経つにつれてその層の数は次第に増えていく。思い出、過去の記憶、歴史だってそうかもしれない。そして、私たちは「構造色」を「固有色」だと<早とちり>してはならないのだろう。

2011年3月 2日 (水)

石楠花(シャクナゲ)

ヴェランダだから、わが家の植物はみな鉢植えだ。この木、この花くらいは土植えにしてやりたいとな、と思うことがしばしば。放っておいてもすくすく育つ植物もあれば、人手のかけ具合がむつかしい植物もある。水や肥料のやりすぎでダメにしてしまうものも少なくない。その点やはり、自然(の地面)は偉大な培(つちか)い手だなあ、といつもしみじみ思う。

そんなわけでわが家のヴェランダは、年ごとに花の種類が大幅に入れ替わる。今年は石楠花が見事に咲いた。と言っても、自慢できるわけではない。つい一月ほど前に、蕾の膨らんだ鉢を買ったのだから。それでも、こんなにきれいに咲いたら、ついつい他人(ひと)にも見てもらいたくなる。

シャクナゲはもともと漢語の<石南>花で、南向きの岩間に咲いたところから来た名前らしい。日当たりのいい山の南斜面に置いてやりたいものだ。

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恋の予感

おじゃままさんからアオサギのくちばしは繁殖期にはピンク色を帯びると教えていただいた。そして昨日の午後、雨が上がったので北緑丘まで散歩すると、早くも黄昏(たそが)れ始めた千里川にアオサギがいた。アオサギのまわりにはいつものほっとするような静謐が漂っていた。見ると、確かにくちばしが心もち赤みを帯びている。この静かな鳥にも<生命のざわめく時>が訪れようとしているのだ。

アオサギは彫像のようにほとんど動かない。歩くときには抜き足差し足だから、足もとにはほとんど波紋も立たない。アオサギが踏んでいるのは水面にくっきりと映った自身の影である。いつもおのが孤影と語らっているアオサギだが、彼にもよき恋の訪れを!

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2011年3月 1日 (火)

アオサギ幻想

頭上で突然「ギャウオー」という凄まじい鳥の鳴き声がした。驚いて見上げると、一羽の巨大な鳥が高い松の梢の頂き近くに降り立った。まるで身もだえすくかのように、灰白色大きな翼を羽ばたかせた。赤いくちばしのついた長い首をぐるぐると回している。あっけにとられて見入ってしまった。服部緑地公園でのこと。

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アオサギかなと思ったが、大き過ぎる。こんなに赤いくちばしのアオサギは見たことがない。それに、この激しい動き。私がこれまで見てきたアオサギは、風の強い、凍るような寒さの日にも、流れに突っ立ったままじーっと動かない。きょろきょろしない。「仙人」のようにも「老翁」のようにも見える。「頑迷なストイシズムのようなものを感じる」(本山賢司『鳥類図鑑』)まったく同感。

家に戻って、いろいろ調べてみたが、やはりアオサギ以外に該当の鳥はいない。とすれば、「大き過ぎる」と思ったのは迫力に気おされた私の錯視だったのだ。赤いくちばしは、光線の具合だったのだ。と納得しようとするが、あの白昼の幻想は<ただごと>ではなかった。

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