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2011年2月25日 (金)

月のアペニン山

加藤典洋『僕が批評家になったわけ』(岩波書店)に誘われて、深沢七郎『言わなければよかったのに日記』(中公文庫)を読んだ。これが抱腹絶倒。無類に可笑しい。

そこで、遠い昔に読んだきりの『楢山節考』を読み直してみた。ところが、こちらの方はいっこうに迫ってこなかった。かつては強烈な印象を受けたはずなのに。作品の下敷きになっている「棄老伝説」そのものが、昨今もっとわびしい孤老の話を日常的に耳するようになって衝撃力を失ってしまったのか。深沢さんも「こりゃ、まいったな」と頭を掻いているかもしれない。

そのかわり>と言うのも変だが、同じ新潮文庫版に収められている『月のアペニン山』という短編は、『雨月物語』ふうの一種の怪異譚だが、<すこぶる>付きの佳篇であった。

静江(新婚の妻)は豊かな細い髪が美しく、口数少なくやさしすぎる性質(たち)の女だった。ただ一所に住むことができない。新居にも、隣人にもなじめない。引越しのたびに思わぬ困難が、きまって持ち上がる。

三年半で九回の転居を余儀なくされた末、やっと親切な隣人にも恵まれて落ち着き場所を得たと思った。ところが、台風が近づいたとある晩、ハエの大群が不気味なうなりを響かせて壁や天井をまっ黒に埋めつくした。隣人は「台風が来ると決まってこうなんです」と、笑いながらハエ叩きを貸してくれた。ほっと一息ついた途端、後頭部に強烈な衝撃。妻がハエ叩きで「私」の頭を叩いたのだ。振りかえって見た妻の顔には、いつもと変わらぬ静けさ。妻は心を病んでいたのだった。

調停の場で、男は一年半ぶりにドアの隙間から静江の後姿を見た。「前は痩せ形の身体つきだったが、今みると女としては肥えすぎる位ふとっている(・・・)和服で羽織を着て背をそらせて腰掛けている恰好は堂々とした貫禄」で、何かしきりに話している様子。それはまるで「女流評論家が一席ぶっているよう」である。その「気味の悪いほどの変わりよう」を、「私は遠い天体を眺めるように、月の光の中のアペニン山脈を見つめるように見」ていた。

主人公(夫)の「私」が無造作に投げてよこす「月の光の中のアペニン山脈」ということばに思わず笑ってしまった。まるでマカロニ・ウエスタンだと思いつつ、「月のアペニン山」の荒涼たる風景があとあとまで心に残った。

はてさて、心を病んでいるのは妻か夫か?ただ、いっさいの感傷を剥ぎ取られた男と女の風景は、凄愴(せいそう)でもあれば、また爽快でもある

楢山節考 (新潮文庫)

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