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2011年2月

2011年2月26日 (土)

シジュウカラ

シジュウカラは潅木の茂みの奥ですばやく小刻みに動き回っていることが多い。めったにじっと止まっていてはくれない。そんなシジュウカラの姿を、折り重なる小枝に邪魔されずに撮ることがこれまでできずにいた。昨日、服部緑地ですぐ目の前の太い木の幹にしがみつくように止まっているシジュウカラをカメラに収めた。小柄、小さな嘴。脚の爪でしっかりと樹皮を掴んでいる。

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シジュウカラと混群を作ることのあるヤマガラやエナガやメジロも、小柄で小さな嘴。しかし、脚爪の握力は強そうだ。彼らは逆さまになって太い枝にしがみついている。同じ小型鳥でもスズメやジョウビタキやモズにはそうした特性はない。おそらく餌の種類による採餌行動の差が、彼らの体躯の差を作ったのではないか。

としても、それぞれの種固有の体色や鳴き声には何という多様性があることだろう。採餌行動の違いだけではとうてい説明できない。この多様性こそが、種を超えた生き物の世界全体を根底において支えているに違いない。(下の写真は、やはり同じ場所で撮ったヤマガラとエナガ)

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古参花粉症患者の言

この春は例年になく花粉の飛散量が多いらしい。花粉前線とか花粉情報とか花粉グッズとかが世の中を賑わすようになったのは、いつ頃からだろう。

20代の中頃から終わりにかけて、「春風邪が長引いているんです」というのが私の挨拶代わりだった。しばらくして「春風邪」が「花粉症」に取って代わった。「春風邪」と称していたものが、じつは「花粉症」であることが判明したのだ。というより、その頃から「花粉症」ということばが世間に広く出回り始めたのだった。1970年代の中頃のことである。

寒気が緩み春霞(じつは黄砂の混じった花粉の塵雲)が立ち込め始めると、もういけない。これが40年続いている。花粉症患者の走りというべきか、古参というべきか。

症状はくしゃみ、鼻水、鼻詰まり、目のかゆみ。40年の病歴を初期、中期、晩期(?)と分けると、初期には喉の痛みも伴った。いちばん辛かったのは、くしゃみ、鼻づまりが毎日きまって眠りのいちばん深い明け方に起きることだった。鼻の奥にいきなり「ピンポン玉を押し込まれるような」(と的確な表現をした人がいた)刺激と息苦しさ。くしゃみを20回ほども繰り返すと、もう眠れない。

抗アレルギー剤の作用も加わって、眠気で一日中頭がぼんやりしている。「花粉症なんです」と言うと、「花粉症・・・ですか・・・優雅な・・・」と言ってたいていの人が微笑む。「花粉症で死ぬわけないだろう」とその顔に書いてある。勤め人だから外出を手控えることなんてできない。マスクをしているとストーカーを見るような視線を全身に感じる。因業な病気だ、心底と恨めしかった。、

といっても、40年も花粉症と付き合っていると、最近になって相手の本性も癖も少しは分かってきた。すると、それに対する対処の仕方もそれなりに身についてきた。

奴さん(とは、花粉症のことだが)は、インフルエンザのような単一ウイルスではない。じつはさまざまな環境物質、環境条件の連合軍なのだ。花粉と黄砂、粉塵と排気ガス、食品添加物と環境に充満している有害化学物質。地球温暖化に伴う天候不順。あるいはストレスやら幻想やらの身内に潜む内通者もいそうだ。敵を殲滅することは今となっては不可能だ。とすれば、敵の連携にこまめに楔を打ち込むゲリラ戦を仕掛けるしかない。

スギ、その他もろもろの花粉が、まるでスズメバチの大群のように襲いかかってくるという幻想は捨てよう。それがストレスを引き起こす。大気が靄って風の吹く日は<できるだけ>外出を控えよう。気温の変化には<そこそこ>こまめに対処しよう。点鼻薬、目薬を<適切に>使用しよう。外出から戻ったら、喉、鼻のうがいを忘れないようにしよう。(鼻うがいはけっこう効果的だ。)詰まった鼻を通すのは「ハッカオイル」(メントール)がいちばんだ。

くしゃみを我慢して抑えるのは最悪だ。出るくしゃみは(もちろんティシューなりハンカチなりをしっかり口に当てて)出し切って、体が温まってきたら忘れてぐっすり眠ることだ。

「余計なお世話」をここまで書いてきて、「もういいか」と思う。要するに敵を見くびってはいけないが、過度に恐れることもない。<そこそこに><ほどほどに><かしこく>向き合うことが肝腎だ。花粉症で死ぬことはない。

ヴェランダの花梨(かりん)が勢いよく芽吹いてきた。

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2011年2月25日 (金)

シクラメンの匂い

1975年にドイツにいる頃、「いま『シクラメンのかおり』という歌がヒットしている」と日本からの手紙に書かれていた。「だから」というわけではないが、私は数あるシクラメンの品種の中でも、「香りシクラメン」が好きだ。

窓辺にいま四鉢のシクラメンを置いているが、どれも「香りシクラメン」だ。「香りシクラメン」として売られていたわけではない。店頭にたくさん並んでいる中から芳香のあるものを自分で選んで買ったもの。

「香りシクラメンありますか?」と店員さんに訊いても、「はあ?」という顔をされることが多い。「香りシクラメン」はまだ一般的には認知されていないようだ。

シクラメンは地中海の東沿岸ギリシャ、トルコの辺りが原産地らしい。原種にはバラやヒヤシンスのような強い芳香があったらしいが、19世紀に品種改良が進み花の形が大きくなり花色も多彩になるにつれて、匂いは失われていったらしい。むしろ悪臭に近いにおいが残った。(なにやら教訓的だ。)

ミニサイズで、花色も薄い清楚可憐な花の鉢を手にとってそっと匂いをかいでみる。エーゲ海の青い海が眼前に広がるようだ。

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月のアペニン山

加藤典洋『僕が批評家になったわけ』(岩波書店)に誘われて、深沢七郎『言わなければよかったのに日記』(中公文庫)を読んだ。これが抱腹絶倒。無類に可笑しい。

そこで、遠い昔に読んだきりの『楢山節考』を読み直してみた。ところが、こちらの方はいっこうに迫ってこなかった。かつては強烈な印象を受けたはずなのに。作品の下敷きになっている「棄老伝説」そのものが、昨今もっとわびしい孤老の話を日常的に耳するようになって衝撃力を失ってしまったのか。深沢さんも「こりゃ、まいったな」と頭を掻いているかもしれない。

そのかわり>と言うのも変だが、同じ新潮文庫版に収められている『月のアペニン山』という短編は、『雨月物語』ふうの一種の怪異譚だが、<すこぶる>付きの佳篇であった。

静江(新婚の妻)は豊かな細い髪が美しく、口数少なくやさしすぎる性質(たち)の女だった。ただ一所に住むことができない。新居にも、隣人にもなじめない。引越しのたびに思わぬ困難が、きまって持ち上がる。

三年半で九回の転居を余儀なくされた末、やっと親切な隣人にも恵まれて落ち着き場所を得たと思った。ところが、台風が近づいたとある晩、ハエの大群が不気味なうなりを響かせて壁や天井をまっ黒に埋めつくした。隣人は「台風が来ると決まってこうなんです」と、笑いながらハエ叩きを貸してくれた。ほっと一息ついた途端、後頭部に強烈な衝撃。妻がハエ叩きで「私」の頭を叩いたのだ。振りかえって見た妻の顔には、いつもと変わらぬ静けさ。妻は心を病んでいたのだった。

調停の場で、男は一年半ぶりにドアの隙間から静江の後姿を見た。「前は痩せ形の身体つきだったが、今みると女としては肥えすぎる位ふとっている(・・・)和服で羽織を着て背をそらせて腰掛けている恰好は堂々とした貫禄」で、何かしきりに話している様子。それはまるで「女流評論家が一席ぶっているよう」である。その「気味の悪いほどの変わりよう」を、「私は遠い天体を眺めるように、月の光の中のアペニン山脈を見つめるように見」ていた。

主人公(夫)の「私」が無造作に投げてよこす「月の光の中のアペニン山脈」ということばに思わず笑ってしまった。まるでマカロニ・ウエスタンだと思いつつ、「月のアペニン山」の荒涼たる風景があとあとまで心に残った。

はてさて、心を病んでいるのは妻か夫か?ただ、いっさいの感傷を剥ぎ取られた男と女の風景は、凄愴(せいそう)でもあれば、また爽快でもある

楢山節考 (新潮文庫)

メジロ三態

このごろいちばん目を楽しませてくれる小鳥は、メジロだ。メジロは小さな体を横にしたり逆さにしたり、伸ばしたり縮じめたり、せいいっぱいいろんなポーズをとりながら、今を盛りに咲いている白梅、紅梅、寒椿の花と戯れている。花の蜜が好物のようだ。

ウメは白梅も紅梅も空の青に映えるが、メジロもまた空の深い藍が似合う。

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2011年2月23日 (水)

万博記念公園

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万博公園の梅を見に出かけた。紅白とりまぜて数百本の梅は今がちょうど見頃だった。梅林のある西側エリア(自然文化園)に入るのは、今回がはじめて。広大な森林公園は今や貴重な文化財だ。40年前に植えられた多種多様な樹木が鬱蒼と生い茂り、深々とした木の下闇が広がっている。JR大阪駅の北側エリアもこんなふうにすればいいのに、と思った。

そんなはずんだ気分が消し飛んだのは、野鳥観察エリアで10人ばかりのバードウオッチャー集団(中高年のオジサン、オバサンたち)の前を通りかかったときだった。親しい仲間に出会ったような気安さで3脚つき望遠カメラの放列にレンズを向けようとしたのは、私の迂闊だった。

シャッターを押す前に、「撮ったんかい?消せ!」といきなりオジサンにすごまれた。「カメラの放列が珍しかったので。スミマセン。」と腰が引けている私。「ゼニ出したら、撮らしたるわ!」と別のオジサン。「どんな鳥がいるんですか?」と、体勢の立て直しを図る私。「小鳥。」とひとこと冷たく言い放つオバサン。周囲で集団がせせら笑っていた。

カメラの放列に黙ってレンズを向けたのは、確かに配慮を欠いていた。それにしても、この居丈高で、まるで敵意を剥き出しにしたような「もの言い」は、いったい何なんだろう。理解を超えていて、私は茫然自失してしまった。

バードウオッチングはもうやめようかと、そのとき思ったくらいだった。しかしそのあと、千里川沿いで出会うバードウオッチャーさんたちの控えめでやさしい笑顔、野鳥たちの無心な眼差しを思い出し、悪夢は一日も早く忘れることにした。

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2011年2月17日 (木)

ボリジの青い花

ボリジについては、昨年6月にブログに書いたことがある。そのボリジ、真冬のこの季節に日当たりのいい窓辺で青い花を次々と咲かせている。こんなに美しい青い花を咲かせるのは、ムラサキツユクサくらいではないだろうか。

ボリジは古代ギリシャ以来、葉に鎮静効果があるとして珍重されたらしい。一度試してみなくてはと思いつつ、いまだ果たせないでいる。青い花を見ているだけで心が安らぐから、葉をむしり取るなんてできない。「ダブルバインド」というか「二律背反」というか・・・

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カワセミ日和

日に日に陽射しが明るくなってきた。昨日はお昼前に、少しだけ千里川沿いを歩いた。「今日はカワセミ日和だぞ」と、内心ひそかに期待していた。思ったとおりだった。一羽だけだったが、30分近くも私の目の前を行きつ戻りつ、ホバリングしたり、ダイビングしたり。カワセミにすれば、「行きつ戻りつしていたのは、お前さんの方でしょう」ということになる。

2枚の写真とも、カワセミの顔の前を枯枝がよぎっている。私のカメラでは、これまでこんな場合は必ず枝の方にピントが合って、カワセミはピンボケだった。最近やっと、枝にではなく、カワセミにピントを合わせる「コツ」がわかってきた。

ところで、同様にカメラでカワセミを撮っていた女性に「うまく撮れましたか?」と訊いたら、「うまく撮ることが目的ではありません。私は記録のために撮っているんです」と言われてしまった。「実は私もそうなんです」と言いたかったが、言えなかった。私にはどこかに「それでもやっぱりうまく撮りたい」という下心がうずいていたからだ。

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2011年2月14日 (月)

イソシギ

千里川(北緑丘)で、遠目にはツグミかシロハラのように見える中型鳥がいた。メモでも取るようなつもりでカメラを向けた。PCのモニター画面で見ると、{あれれ、違う。」 さっそく野鳥図鑑で調べてみる。どうも「イソシギ」らしい。

日本全国どこにでもいて、必ずしも磯に棲むわけではなく、川岸や湖岸に巣を作ると書かれていた。身近な鳥らしい。それにしては、私ははじめて見た。というより、はじめて気づいた。たぶん「見えていて見えず」だったのだろう。

「イソシギ」という名前がいい。身体の奥の方で共鳴するものがある。お腹の純白が美しい。何だか、すごい拾い物をしたような気分だ。

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2011年2月10日 (木)

服部緑地公園

服部緑地には、桜井谷小学校の生徒だったころ(昭和26年から32年)、何度か遠足で歩いて行った。6年生の秋には、放課後に担任のK先生のスクターの前後に乗せてもらってクラスの生徒10人ばかりで遊びに行ったこともあった。先生が何度か往復して運んでくれたのだ。

池のほとりで先生が撮ってくれた写真は、クラスメイトが写っていて大切にしていたはずが、どこに仕舞ったのだろう?秋の午後の明るい日ざしが眩しかった。まだ北大阪急行が敷設されておらず緑地公園駅もない頃の話だ。だだっ広い野原が広がっているだけだった。

その後、一,二度足を運んだことがあったが、それも古い話だ。今日久しぶりに野鳥を見るために服部緑地に出かけた。園内は整備され、木々が大きくなり、池には柵がめぐらされ、ときおり公園利用のマナーをアナウンスするスピーカーの大声が響いていた。公園は少し狭くなったような気がした。

とはいえ、ヤマガラ、コゲラ、ウグイス、イカル、ジョウビタキ、エナガなどなど、わずかの時間にたくさんの野鳥たちと出会った。

コゲラはいちばん小さなキツツキだ。枝の裏側にしがみつき、頭を前後に小刻みにゆすっている。ドラミングと言うそうだが、嘴で木に穴を掘って巣作りをしているのだ。

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ヤマガラは、小さな体で大きな木の幹に止まっていた。その姿がいかにも剽軽(ひょうきん)でかわいい。

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2011年2月 6日 (日)

マヒワの群舞

千里川の浚渫(しゅんせつ)工事の現場で、マヒワの時ならぬ群舞を見た。好物の餌を見つけての狂喜乱舞なのか、天敵の出現によるパニックなのか。風に煽られて舞うイチョウの葉のようだ。それにしても、こんな大騒ぎははじめて見た。(画像をクリックすると拡大して見られますが、中央少し左下に止まっているマヒワがいます。)

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少し川上でキセキレイを撮ろうとしたから、飛び立った。残念と思ったが、PCのモニターには偶然だが飛翔の瞬間が写っていた。

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高速連写で撮ったら、二枚の写真とも飛ぶ鳥の輪郭を静止画像でくっきりと写し取ることができたのだろう。しかし、それも何だかつまらない気がする。なぜだろう?「やせ我慢」かもしれないが、そうでないかもしれない。

まぼろし

ルリビタキに出会ってから、<まなかひ(目な交ひ)>をしきりと青い鳥が飛翔する。虚実の境を横切(よぎ)って飛ぶ「まぼろしの鳥」だ。

「まぼろし」の語源は「目亡(ほろ)ぼし」だとする説が、語源辞典に書かれている。古代人は「まぼろし」を見ると、目が壊れると考えたのかしらん。この語源説、そうかもしれないとも思い、そうでないかもしれないとも思う。なぜなら、まぼろしを見て壊れるかもしれないのは目ではなく、心であろうという気がするから。

「もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出づる魂かとぞみる」(和泉式部)という歌がある。思いの強さに促されて「ほろほろ」「はらはら」「ひらひら」と眼前を揺曳する「まぼろし」の正体は、この「あくがれ出づる魂」ではないか。とすると、「まぼろし」は「まほろし」の転音か?

「しかし」と思い直してみる。大西民子に「かたはらに置くまぼろしの椅子一つあくがれて待つ夜もなし今は」という歌がある。この「まぼろしの椅子」の網膜を焼き尽くすような強烈な実在性(リアリティー)。これは文字通り「目亡ぼし」だ。

そんなことを考えながら、先の月曜日、自彊術教室に出かけたおり、千里中央に着くとまだ15分ばかり時間があったので、あわよくばルリビタキに会えないかと淡い期待に促されて、東町公園の長谷池の畔りを少しだけ歩いた。ルリビタキには出会えなかったが、噴水にかかる虹を見た。

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2011年2月 5日 (土)

つまづき

年をとり「小石につまづく」ようになって、「小石」の方が「岩」よりも「大きな差し障り」であることが身体でわかってきた。大きな岩なら、当たって転ばぬ先によけて通ればいい。小石は見えないから「つまづく」のではない。見えているのに、軽く見ているから失敗する。気軽にまたごうとして、「爪突く」。視覚情報が身体の末端(爪)に届ききらない、または届くのに時間がかかるのが、「加齢」である。

このごろ<掃除機をあてること>が格好のストレッチ体操になることに気づいて、各部屋の掃除は自分から買ってやっている。そんなとき掃除機のコマが机の角に触っていると押しても引いても頑として動かない。

若いころなら、力いっぱいむりやりに引っ張ったり、掃除機を蹴っ飛ばしたりしたものだった。今なら掃除機が壊れる前に肩か膝が壊れる。スイッチをひとまず止めて、掃除機をそっと後にずらしてやるのがいちばんだ。

「つまづき」は漢字では「躓き」と書くが、もともとは「爪突き」(「ツマ」は「ツメ(爪)」の古形)。そして「ツマ」とは「端」とか「脇」のこと、「爪」であり、「妻・夫(古くは男女とも言う)」であり、「(着物の)褄(ツマ)」であり、「(刺身の)ツマ」でもある。いつも端や縁(へり)にあって、脇に控えている。脇役だけれど、欠かすことができないものである。「ツマ」のただならぬ「厄介さ」と、同時にその抜き差しならぬ「重要さ」に気づくのも、これまた「加齢」である。

本文とは何の関係もないが、京都府立植物園で買った青いランの花は、その色に似つかわしい澄んだ匂いがする。

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2011年2月 4日 (金)

京都府立植物園にて

蝋梅には遅すぎ、白梅・紅梅には早すぎるかと思いながら、寒の中休みの温かな日ざしに誘われて京都府立植物園に出かけた。予想していた通り、施肥、花木の枝払い、春の花の植え付けの時期らしく、園内は冬枯れの風情で閑散としていた。

それでも、開き切った蝋梅の花、五分咲きの白梅の花からはほのかな匂いが漂い、紅梅の蕾もほころび始めていた。

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ところで、大温室でラン(蘭)の展示会が行われているというので入ってみた。温室の中は熱帯雨林さながらに高温で多湿、拭いても拭いてもカメラのレンズが曇る。曇ったファインダーの向こうに、大柄の色鮮やかな花々がぼんやりと浮かび上がってきたのは、妖艶だった。

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こんなにたくさんの種類の蘭の花が一堂に会しているのを見たのは初めてだった。ゴーギャンの絵を見、モームやコンラッドの小説を読んで熱帯雨林に憧れた往時を思い出した。

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