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2010年11月12日 (金)

ジェリー

ガス・ヴァン・サント監督の映画『ジェリー(Gerry)』(2002)を観た。出演はマット・デイモンとケイシー・アフレックの二人だけ。

冒頭、ハイウエイを一台の車が音もなく疾走して行く。潅木の茂みがところどころに散在する荒野の夕映えの風景。その果てしない広がりの中をゆるやかにカーヴしながらどこまでも続くハイウエイ。等距離を保ちながら、カメラが疾走する車を追い続ける。やがて、アルヴォ・ペルトの単調で静謐な無窮動の旋律(「鏡の中の鏡」)が遠くからのように響いてくる。

画面を見ているうちに、いつしか恍惚として「向こう側」に行こうとしている自分に気づいた。

長い時間のあとようやくカメラが車の前に回り込んだ。中にいる二人の若者の顔は、背後から差し込んでくる赤金色の夕陽のためによく見えない。二人はことばを交わさない。二人だけの世界。ふと、「死の道行」ということばが頭をよぎった。

映画は、アメリカ中西部らしき荒野(砂漠)をさすらった二人の若者の物語だ。「物語」というのも憚られるくらい、筋らしい筋もない。ことば少なに、ひたすら歩き続け、ついに力尽きる。どこまでが現実で、どこからが幻想なのか、定かではない。長回しのカメラが歩き続ける二人の若者の横顔を追う。砂を踏みしめる軋み音と荒い息遣い。

なぜ、何のために、二人がこんな荒野に迷い込み、さすらっているのか。説明はいっさい省かれている。しかし二人の間に吹き通っているやさしく柔らかな風は、観ている者の膚に触れてくるようだ。

無人の荒野の時々刻々に変化する風景は、見事なカメラワークで細部まで鮮明に捉えられている。硬質で、透明で、息を呑むほどに美しい風景。これは、二つの魂の間に広がる「愛と死」の風景だったのだ。

二人はお互いを「ジェリー」と呼び合う。彼らが「ジェリる」と言うとき、それは「しくじる」「どじる」という意味らしい。しかし「ジェリる」は、愛の表現のように響く。

マット・デイモンがいい。節くれだった木から不意に匂い立つような美しい花がこぼれるように咲く、そんな趣きがある。

Gerry_poster

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