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2010年11月

2010年11月28日 (日)

風景の切れ端

千里川の川岸から眼下の流れに身を乗り出すようにしてカメラを向けたら、ニシキゴイが空の高みをめざしてまっすぐに昇ってゆくような不思議な構図になった。画面の右上に松の木が横向きに立っている(寝ている?)。じつは、この濃い緑の影は、対岸の松の木が川面に映ったもの。

左下に赤く紅葉したツタ。下中央の黄葉の周辺が朱が染まり始めているのはフウ(楓)。右下の黒い実をつけた常緑の若木はネズミモチ。小さな風景の切れ端の中に、私自身も含めたさまざまな生き物が集っている。こんな出会いに心を躍らせる日々である。

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2010年11月26日 (金)

カワウの手引きでカワセミに会う

市立図書館へ行こうとして千里川の岸を歩いていくと、水面に潜望鏡のように首だけ出して泳いでいたカワウがすぅーっと水に潜った。カワウはかなりの距離を潜ったまま進む。6、7秒もしてから、やおら思わぬ場所に浮かび上がる。「今度はどこから顔を出すのかな」とついつい「釣られて(?)」、川面に見入ってしまった。

と、パシッと水をたたく音がした。「カワセミだ」と思った。川に突き出した潅木の枝先に止まったカワセミが目に入った。カメラを向けた瞬間、カワセミがもう一度ダイビングした。目にもとまらぬ早業で、くちばしにフナらしい魚をくわえて、元の枝に戻った。大急ぎでシャッターを切った。もう一度シャッターを切ろうとしたら、大きなフナはすでにカワセミのお腹に吸い込まれるように消えていた。カワセミはしばし止まった枝先から動かなかった。存分にシャッターを切ったあと、カワセミをその場に残したまま図書館に向かった。

カワウの姿はもうどこにもなかった。カワウがいなければ、カワセミに気づくことはなかっただろう。いつもは出会ってもあまり嬉しくないカワウだが、今日ばかりはカワウに感謝。

図書館は月末金曜日で定例の休館日だった。「迂闊な」自分を「強運だ」と思う身勝手さ。

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2010年11月25日 (木)

ヤマガラ

「いつもの小道で」一昨日出会ったファニーフェイスの小鳥さん、「ヤマガラ」という名だとbulbulさんが教えてくださった。bulbulさん、ありがとうございました。

ピントが甘くてヤマガラさんには申し訳ないが、横顔の写真も添えておきます。今日また、「いつもの小道」に出かけてみたが、ヤマガラさんに会うことはできなかった。

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「そのかわりに」と言っては失礼なのだが、シジュウカラさんに出会って、これはこれで嬉しかった。

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2010年11月24日 (水)

いつもの小道で

箕面から自宅まで千里川ぞいを歩いて帰る途中、ピラカンサの茂みで6~8羽の小鳥たちが遊んでいた(餌を探していたのかも)。その中の一羽に目がとまった。体色からモズかなとも、ジョウビタキかなとも思ったがモズもジョウビタキも群れで行動しない。それに、目も嘴も小さくて、「身ごなし」がいかにも可愛げだ。

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そのうち、エナガが群れの中心メンバーで、そこにはシジュウカラも混じっているのがわかった。そう思ってみると、件の胴が茶色で襟元が黒い小鳥(2羽以上いたが)、顔立ちがエナガとそっくりだ。エナガの群れにいるんだから、エナガに違いないと確信した。

「エナガさんに会うのも半年ぶりだな」と思いながら、ルンルン気分で家路を急いだ。「いつもの小道で 目と目が合った。 いつものように 目と目をそらせた。通り過ぎるだけの二人のデート」という古い歌謡曲が頭に浮かんだ。

ところが、撮った写真を自宅のパソコンで見て、今しきりに首をかしげている。下の写真は、そのとき同時に撮ったエナガ。ご面相は同じだが、体色の配置が全然違っている。鳥類図鑑で調べても、こんな体色のエナガがいるとは書かれていない。

「エナガと見るべきか、見ざるべきか」、今はハムレットの心境である。どなたかご存知の方、教えてください。

* ヤマガラであることがわかりました。

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2010年11月23日 (火)

もみじとメジロ

先週の土日の2日間、放送大学で連続8コマの講義を何とか乗り切った。といっても、「乗り切った」と思っているのは、たぶん当方だけ。聴講生諸君はさぞくたびれたことだろう。

今日は、久しぶりにのんびりと紅葉を見るために箕面に出かけた。聖天閣(西江寺)から箕面山荘「風の杜」まで急坂を登り、ドライヴウエイをかすめて、地獄谷から滝道まで下りて来る、約5キロばかりのいつものコース。このコースのハイライトとも言うべき地獄谷は日陰道で薄暗く、気温が低いせいか紅葉のピークはあと一週間という感じだった。(*「気温が低いせいか」と書いたが、気温が低いと紅葉が進むはずだとあとで気がついた。やはり、陽ざしの少ないせいだろう。)

それにしても、楓の巨木が山峡に描き出す色彩のグラデーションは、まことに壮大な交響曲を聴いているような気がする。

西江寺の境内で赤く色づいたモミジの枝に戯れるメジロを見つけた。

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2010年11月15日 (月)

カワセミ

昨日(11/14)の夕刻、北緑丘の千里川でカワセミを見た。この秋、千里川沿いでは初めて。たそがれが迫っていて、光量不足のためにややピンボケ。カワセミは色も輪郭もシャープなので、ピンボケを補って余りある。

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2週間ばかり前に撮ったハクセキレイと高鳴きするモズの写真も、併せて紹介させていただきます。

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2010年11月14日 (日)

「太陽の塔」を望む

とある夕刻、千里中央に歩いて出ようとして島熊山の尾根を越える峠道(中央環状の脇)で、遠く東の方に「太陽の塔」が夕日をうけて輝いているのが見えた。

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いつもは正面から見慣れている「太陽の塔」だが、こんなふうに遠目に横から眺めると、猫背の背中が一昔前の(今のではない)日本の母親のようだ、と思った。そして驚くことに、頭部が胴体から見事に切断されていることが明らかに見てとれた。

塚原史さん(フランス・モダニズム文学の研究者)の「『太陽の塔』は、首を切断された太陽の像である」という解釈を思い出した。(塚原史『人間はなぜ非人間的になれるのか』(ちくま新書)

1970年、戦後の高度成長に大きな弾みをつけた大阪万博だったが、岡本太郎は<ヨーロッパ近代のコピーとしての日本>の「見せかけの近代化・消費社会の爛熟」に対して「ベラボーな神像をぶったてる」(岡本のことば)ことで、いま一度「未開」の側から「文明」に対して挑戦状をたたきつけた、というのが塚原説だ。隠れキリシタンならぬ「隠れ反万博」だったというのである

「押し寄せ、集う大群衆に捧げる祭りのシンボル」としてのこの「太陽の塔」は、供犠に付されるために白く塗られた母なる太陽の身体なのである。すでに懐胎しているこの母は、いけにえとして首を切断される瞬間に、みずからの死とひきかえに新しい生命である太陽を産み出そうとしている。」塔の下腹部にあたる部分にこの新しい太陽は「すでに幼い顔をのぞかせている。産道を通過してきたせいか、その柔らかい頭蓋は両側から押されて中央部でややずれを見せ」ている、という。

塚原さんは、岡本太郎の芸術的故郷である1930年代のパリにまで遡ってこの仮説を多面的に実証しようとしている。

私は「そうかもしれない」とつぶやきつつ、この「ベラボーな神像」が夕映えの大阪平野を見下ろしながら「ほとんど悄然と」佇立している姿に、感動を覚えた。日が落ち始めると、急に寒さが募ってきた。

2010年11月12日 (金)

ジェリー

ガス・ヴァン・サント監督の映画『ジェリー(Gerry)』(2002)を観た。出演はマット・デイモンとケイシー・アフレックの二人だけ。

冒頭、ハイウエイを一台の車が音もなく疾走して行く。潅木の茂みがところどころに散在する荒野の夕映えの風景。その果てしない広がりの中をゆるやかにカーヴしながらどこまでも続くハイウエイ。等距離を保ちながら、カメラが疾走する車を追い続ける。やがて、アルヴォ・ペルトの単調で静謐な無窮動の旋律(「鏡の中の鏡」)が遠くからのように響いてくる。

画面を見ているうちに、いつしか恍惚として「向こう側」に行こうとしている自分に気づいた。

長い時間のあとようやくカメラが車の前に回り込んだ。中にいる二人の若者の顔は、背後から差し込んでくる赤金色の夕陽のためによく見えない。二人はことばを交わさない。二人だけの世界。ふと、「死の道行」ということばが頭をよぎった。

映画は、アメリカ中西部らしき荒野(砂漠)をさすらった二人の若者の物語だ。「物語」というのも憚られるくらい、筋らしい筋もない。ことば少なに、ひたすら歩き続け、ついに力尽きる。どこまでが現実で、どこからが幻想なのか、定かではない。長回しのカメラが歩き続ける二人の若者の横顔を追う。砂を踏みしめる軋み音と荒い息遣い。

なぜ、何のために、二人がこんな荒野に迷い込み、さすらっているのか。説明はいっさい省かれている。しかし二人の間に吹き通っているやさしく柔らかな風は、観ている者の膚に触れてくるようだ。

無人の荒野の時々刻々に変化する風景は、見事なカメラワークで細部まで鮮明に捉えられている。硬質で、透明で、息を呑むほどに美しい風景。これは、二つの魂の間に広がる「愛と死」の風景だったのだ。

二人はお互いを「ジェリー」と呼び合う。彼らが「ジェリる」と言うとき、それは「しくじる」「どじる」という意味らしい。しかし「ジェリる」は、愛の表現のように響く。

マット・デイモンがいい。節くれだった木から不意に匂い立つような美しい花がこぼれるように咲く、そんな趣きがある。

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2010年11月 9日 (火)

片翼の天使

アイゼナッハのヴァルトブルク城で出会った天使は、右の翼と右腕の先がもがれた片翼の天使だった。「古拙な」という表現が正しいのかどうか自信はないが、その何とも控えめなほほえみにつよく心を惹かれた。

数日後ヴェルニゲローデで、家内の腰痛がひどくなってきたので、簡単なコルセットを求めて薬局に入った。まだ少女の面影を残した若い女性店員さんは、私たちの要領を得ない説明に気長に静かに耳を傾けて、症状に合った品を出して来てくれた。控えめな笑顔を絶やさない女性だったが、別れ際にその女性の右腕の先がないことにふと気がついた。それまで、私たちもその女性もそのことを当たり前のことのように思って、意識に上らなかったのだった。

帰国して写真を整理していて、ヴァルトブルクの片翼の天使とヴェルニゲローデの薬局の女性がそっくりのように思えてきた。いやいや、たしかに「うりふたつ」だった。

ピッティ美術館のラファエロの聖母子像、サン・マルコ寺院のフラ・アンジェリコの受胎告知図の美しさに息を呑んだが、今いちばん忘れがたいのはヴァルトブルクとヴェルニゲローデの片翼の天使だ。

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2010年11月 6日 (土)

コスモス

秋らしい陽ざしに誘われて近くの「里山」を歩いた。コスモス畑の花が満開になっていた。

私は野辺のコスモスの花が好きだ。狂おしいばかりに咲く。咲き乱れる。野放図に咲く。そのくせ、風が吹くとすぐに根元からなぎ倒されてしまう。倒れたまま、まだ咲いている。その風情がいじらしい。

ドストイェフスキーの小説のどこかに「ロシアの女は老いやすい。彼らは愛を与えすぎるから」という一文があったように思う。

取り澄ましたところのないコスモスの花も、老いやすい。愛を与えすぎるからだろう。

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2010年11月 5日 (金)

希望のつくり方

玄田有史さんの『希望のつくり方』(岩波新書)を読んだ。「つくり方」という表題に惹かれたのだ。『カレーライスのつくり』とか『味ごはんのつくり方』みたいに、これを読めば「おいしい希望」ができますよというそんな感じが、とても好い。

本の中に、Hope is a Wish for Something to Come True by Action.という「希望」の定義めいた英語の文が出てくる。そして、掲載されている写真で、玄田先生が達磨さんのような表情で「H]「W]「S]「C」「T]「A」の6文字を腕文字でポーズされている。「こう来たか!」と思って、思わず笑いがこみ上げた。

私は決して揶揄して言っているのではない。真面目な話、「希望」を、具体的に、こんなにケレン味なく語れるのは、並々ならぬことだと心底感じ入ったのだ。

「ウィーク・タイズ」という考え方が紹介されている。「緩やかな絆」。「自分とは異なった情報を持っている人とのゆるやかなつながり」、「いつも会うわけではないけれど、ゆるやかな信頼でつながった仲間」のことだそうだ。

玄田先生、あるとき若い知人に「ウィーク・タイズできた?」と訊いたら、「先生、ウィーク・タイズをつくるにはお金と時間がかかるんです」という答えが返ってきた。先生はそう言われてみればそうだなと思いつつ、「けれど、本当に必要なのはお金や時間ではなくて、すぐに理解できない相手であっても共感しようとする姿勢です」と書いている。

この何だか頼りなげな物腰が、玄田先生の真骨頂、これがじつは強いのだ。

希望のつくり方 (岩波新書) Book 希望のつくり方 (岩波新書)

著者:玄田 有史
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2010年11月 1日 (月)

メタボな魔女

ドイツの魔女さんは、たいてい痩せさらばえてガリガリではなかったのかしらん?そうでないと、ホウキにまたがって空を飛ぶなんてムリ、ムリ。ところが、ドレスデンのフラウエン教会のそばにいた魔女さんは、いささかメタボが気になった。

翌朝早くに同じ場所に出かけると、件の魔女さんが自転車で出勤してきたばかり。教会の正面入口の脇でウオームアップの最中だった。何と、ビヤ樽腹のおじさん、ふうふう言いながら禿頭をふいていた。

昨日は魔女さんの傍らを素通りしたが、今日はおじさんのおなかに見入ってしまった。

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ところでミュンヒェンで出会った魔女さん、これは一転、若くて美しい魔女さんだった。これも紹介しておかないと、ドイツの魔女界に対して礼を失することになるだろう。街角の芸人さんたちが、わたしは大好きだ。

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