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2010年10月

2010年10月30日 (土)

散髪は嫌い

今度ヴァイマルに行ってみて、5年前の活気と輝きがいささか薄れているような気がした。ゲーテ邸前の公園フラウエンプラーンには数台の観光馬車が客待ちをしていた。歩いて1,2時間もあれば主要な見所(?)は見尽くしてしまう、そんな小さなこの町、町全体が博物館か美術館のようなこの町に、観光馬車は無用の長物だろう。

5年前にはかなりな蔵書を誇っていた古書店が今はブッティックにかわっていた。町一番の繁華街(と言うのも憚られるくらい)のシラー通りにも、改築中の板囲いがあって、お馴染みの乱雑な落書きの上に剥がれ落ちそうな張り紙がそのまま放置されていた。日本の地方の中小都市のシャッター通りを思い出した。「貧すれば鈍する」ような不況の波が、じわじわと町を浸食しているのだろうか。ヴァイマルだけは、そんなふうであって欲しくない。

裏町の理髪店のショーウインドウに「痛そうな」版画が掛かっていた。思わずシャッターを切ったが、そのときの私の気持ちがそうさせたのだろう。

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とはいえ、イルム川(ゲーテの言う「イルムの谷」)を挟んで広がる公園(シュテルン)をそぞろ歩く感動は、いつ訪れても変わることがない。朝霧の立ち込めるシュテルンで、ゲーテのガルテンハウスを木の間隠れに見た。なつかしかった。

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イルム川には水鳥たちがたくさんいたが、その中に日本では珍しい(?)コブハクチョウもいた。

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2010年10月28日 (木)

ヴァルプルギスの夜

1777年12月の「ハルツの冬の旅」がゲーテ生涯の大きな転機となったことが、ハルツ地方への旅へと私の背中を押したのだった。

ブロッケン登攀の帰途ゲーテは、夕映えに黄色く染め上げられた雪原で岩影がエメラルドグリーンに輝くのを見た。その鮮烈な体験がのちに『色彩論』研究へと結実してゆく。残念ながら、今回のブロッケン行では、「色づいた影」にも、有名なブロッケン現象にも出会えなかった

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巨岩がごろごろする急な傾斜を幾筋もの渓流がも駆け下ってゆく。濃密な針葉樹林が途切れたところが頂上だった。旧東独時代の殺風景なコンクリート建造物が荒涼をいっそう際立たせていた。

ここが、『ファウスト』に出てくる「ヴァルプルギスの夜」の舞台だった。ファウストとの間に生まれた赤ん坊を抱え錯乱し彷徨するグレートヒェンを尻目に、あろうことかファウストは山中の魔女たちの淫靡をきわめた狂宴の中を物欲しげにうろつきまわっていたのだった。ふと彼の目に、両足を鎖で繋がれた蒼ざめた美しい娘がゆっくりとこちらの方に近づいてくるのが見えた。頸のまわりにはひと筋の赤い糸が巻きついていた。

ブロッケンのいっさいの感傷を峻絶するような景観。ゲーテはこの荒涼たる裸形の自然と向き合ったとき、自身の内なる修羅と向き合っていたのだとそんな気がした。

ヴェルニゲローデの町の背後の丘に、小規模ではあるが風格を備えた城がそびえ立っている。城の脇の小さなみやげ物店は魔女の館風にしつらえられていた。日が傾いて薄闇が広がり始めたころ、一人で店番していたお嬢さんが観光客の中年男性を「ちょっと手伝って」と呼び止めて、店頭の魔女人形がたくさんぶら下がった格子棚を店内に運び込んでいた。「この娘も可愛い魔女さんだ」と、思わず「メフィスト笑い」がこみ上げた。

ゲーテ時代の魔女たちも、素顔はじつはこのお嬢さんみたいだったりして!?

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2010年10月27日 (水)

ブロッケンに登る

中部ドイツ(ハルツ地方)のブロッケン山に登ることが、今回の旅の目的の一つだった。ただハルツ狭軌鉄道(HSB)のSLに座っているだけだから、「登る」などというのもおこがましいが・・・。

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ゲーテは、1777年12月10日雪中のブロッケン登攀を試み頂上をきわめた。ゲーテの影なりと遠目に見たいと思った。

当時としては、ガイドも二の足を踏む大胆な企てで、途中からは単身の登攀となった。若さに任せて、とはいえ苛酷な体験だったが、得るところは大きかった。

ブロッケン山は中部ドイツの最高峰。とはいっても標高1142メートルで六甲山とさして変わらない。ただ、地勢のせいで霧の名所。年間300日は霧がかかっているそうだ。

その朝、麓の町ヴェルニゲローデはからっと晴れていたが、ホテルのカウンターで訊くと「山頂は3℃です」とのこと。「寒そう」と怯む家内を強いて、SLに乗り込んだ。おおよそ800メートルの標高差を登るにつれて、霧が濃くなった。頂上はやはり霧雨があたりを蔽い、山頂駅の周囲には何も見えなかった。冷たい風に思わず肩をすぼめた。ゲーテが登った12月のブロッケンの厳しさを思った。

霧が晴れた束の間、陽に照らされた下界が見えた。「秘密に満ちて くっきりと(geiheimnisvoll offennbar)」とゲーテが歌った景観が眼下に広がっていた。

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2010年10月26日 (火)

恋人たちの距離

長い歴史に育まれた成熟した町には、目にする者にしっくりとなじむ「恋人たちの距離」があるものらしい、とそんなことを感じさせる情景だった。暮れなずむマルセイユの裏町。オリーブの大きな鉢植えがいくつも置かれた広場、古いアパートの蔭に見えているのは、夕映えの旧港と丘の上のバシリカ。声を潜めた静かな語らい。もちろん、ご当人たちに「恋人ですか」と訊いたわけではない。私のまったくの独りよがり、というか、マルセイユに対する私のオマージュだ。

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2日間滞在したが、マルセイユはステキな町だった。バシリカの建つ丘の上から見下ろすと、旧港の向こう側にどこまでも青い地中海。城砦やら寺院やら古代ローマ時代以来のものだろう石造りの建造物の明るい黄褐色が海の青に映えている。

岸壁の海に転がり落ちそうなところで昼寝するおじさんがいた。夕映えの港をいつまでもじーっと眺めているお祖父ちゃんと孫らしき姿もあった。人々の無言のふるまいの中に、歴史の幾層にも積み重なった地層が透けて見えるようだった。

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2010年10月25日 (月)

カササギ ― 旅のバード・ウオッチング 

最初から旅でのバード・ウオッチングは期待していなかったが、「ひょっとしたら」という思いが多少あった。しかし、案の定、野鳥をじっくりと観察できるほどの時間も心のゆとりもなかった。

とはいえ、日本ではほとんどお目にかからない鳥たちの幾種類かに出会えたことは嬉しかった。そのひとつが、この鳥だ。

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この頭と背中が濃紺で腹部が白い中型鳥を、特にイタリアとフランスでよく見かけた。日本では見たことがなかった。カメラに収めたものを見せると、鳥に疎いはずの息子がこともなげに「カササギだ」と言うので驚いた。旅先の韓国でよく見かけて、土地の人に教えられたらしい。

カササギといえば、百人一首に「かささぎの渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける」という歌があるから、古来日本にもいたのだろう。今も佐賀県の県鳥だそうだ。ただ居所は限定されているらしく、近畿地方にはいないのでは?(註:「かささぎの渡せる橋」というのは、七夕に、カササギが牽牛と織女を背に乗せて運んだという、中国の伝説に拠るらしい。)

そんなわけでこの頃、カササギという鳥の名が頭の中をぐるぐる廻っていた。それが昨日の朝、たまたま見ていた「NHK日曜美術館」でブリューゲルの「絞首台上のカササギ」の絵に出くわして、「おやおや、これも因縁かな」と思ったものだ。

ヨーロッパでは、カササギは一般に不吉な鳥とされている。また金属のような光り物をくわえて持ち去る習性から「盗賊」の代名詞にもされるらしい。はたまた、とある事典には「場所柄もわきまえぬ無駄なおしゃべり」のシンボルと書いてあった。このブログなど、さしずめ「かささぎ」だ。

2010年10月23日 (土)

カフェ・トゥルノン

パリでは、レストラン「ポリドール」で食事をするのを楽しみにしていた。オデオン座の近くで、詩人ランボーなどが食事に来ていたという息子お薦めの店だ。探しあぐねてやっと見つけたら休みだった。仕方なく、その日はマドレーヌ寺院のそばのカフェで食事をした。

翌日、満を持して「ポリドール」に出かけたら、何とその日もお休み。どうもヴァカンス休業らしかった。落胆しながら、「もうどこでもいいや」と思って入ったのが、一筋オデオン座寄りの「カフェ・トゥルノン」。

席について四苦八苦で注文を済ませて一息。やおら家内が「ジョセフ、ジョセフ」と言うものだから、小説家のジョセフ・コンラッドでも来ていた店なのかしらと、店奥の隅の席を見やると、何と「ヨーゼフ・ロート」の写真が立てかけてあった。ロートの馴染みのカフェだったのだ。

帰国してから調べてみると、ロートは1938年5月23日に「カフェ・トゥルノン」(その階上のホテルにその年の4月から止宿していた)で昏倒し、4日後の27日に運ばれた病院で亡くなっていた。

じつは、わが家で隔週に開催のシルバー・ドイツ語読書会でつい先頃ロートの短編『駅長ファルメライア』を読み終えたところだった。私たちの間では、ロートとはお隣のシルバーさんのように親しい間柄になっていたのだった。

たまたま何気なく入った「カフェ・トゥルノン」のほんの隣の席で、ロートが酔いつぶれていたのかと思うと、「ロートさん、あなたの小説、大好きですよ」と声をかけてあげられたらよかったのにと、 しみじみ感慨深かった。

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2010年10月21日 (木)

ドイツの子どもたち

9月に3週間ばかり、ドイツを中心にヨーロッパを旅しました。足取りもおぼつかない老夫婦の二人三脚。道に迷ったり、列車に乗り違えたり、ホテルのランプのシェードを壊してしまったりと、てんやわんや。行きずりの人々の親切が身に沁みました。

ニースで、列車予約に30分も付き添ってくれたニュージイランドの奥様。パッサウで、時計を見ながら息せき切って駅への道を尋ねたら、「これ、どうぞ」と焼きたてのワッフルまでくれた屋台のお姉さん。ランプのシェードを壊してうなだれていると、大型の掃除機をもって飛んできて「怪我がなくてよかった」と慰めてくれたホテルの従業員さん、等等。皆さん、ありがとうございました。

旅先で何より慰められたのは、無邪気で屈託のない子どもたちの姿でした。

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