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2010年7月

2010年7月12日 (月)

これ、何の花?

自宅マンションと道ひとつ(ロマンチック街道)を隔てた向丘にわずかに残る田園風景を、私は里山風景と読んでいる。見る人が見たら「里山」という言葉の誤用だと叱られそうだ。それを承知で「里山」と呼んで、宅地化の勢いに無駄な抵抗をしている。

二十数年前豊中市北部少路地区の現在のマンションに移り住んだ頃、向丘の里山にはキジがいたが、再開発が始まった十五年前くらいに姿を消した。キジの姿をしばしば見かけた場所に、それでもわずかに段々畑が残り、今レンコンらしきものが栽培されている。レンコン畑の水は、私の住むマンションの前の梨谷池から引かれている。レンコン畑があるかぎり、梨谷池も健在だろう。レンコン、がんばれ!

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このレンコン畑のそばに紫のネギ坊主のような花が咲いていた。知っている花に出会うと嬉しい。と同時に、知らない花に出会うことも喜びだ。それにしても、これ、何の花?ご存知の方がおられたら、教えてください。

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2010年7月 5日 (月)

モナルダ

ずいぶん以前に植木市で買ったハーブが今年花を咲かせた。ところが、その植物の名前がわからない。たくさんある鉢に埋もれてしまって、花が咲かなかったせいか、咲いても目立たなかったせいか、その存在を忘れてしまっていた。自分がほんとうに買ったのかどうかすら、今となっては思い出せない。ましていわんや名前をや、である。

何とかその名を知りたいと検索するが行き当たらない。苛々していたら、pianinaさんが「モナルダ」らしいと言う。pianinaさんの知人の「植物博士」からの情報だという。

さっそく「モナルダ」でネット検索してみたら、まちがいなく「モナルダ」だ。そして、通称として「ベルガモット」の名がカッコ付きで付されていた。そういえば、「ベルガモット」として買ったような気がしてきたが、確信は持てない。

記憶力の衰えは蔽うべくもないが、苦にするとストレスになる。「ことの次第」がさまざまな繋がりやきっかけで「水沫(みなわ)」のように過去の淵から浮かび上がってくる情景を楽しむことだ、というのはやっぱり強がりかしらん。

モナルダの白い花と、モナリザと似た響きの<いわくありげな>その名は、もう忘れない。

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バラ ― なにびとのものでもない眠り

この春は陽ざしが少なかったせいか、バラの季節になってもヴェランダのバラは今ひとつ生彩を欠いていた。ただ一輪、ゆっくりと白んでいく朝の空のような淡いピンクのバラだけが、私の心に寄りそってきた。

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幾重にも折り重なった薄紅の花弁。「バラよ、花弁の奥に秘めているものは何?」と思わず心の中で呟きたくなる。リルケなら、バラに代わって「なにびとのものでもない眠り」と答えるだろう。

「バラよ おお 純粋な背理よ。/ 幾重にも折り重なったまぶたの下で / なにびとのものでもない眠りを眠ることの喜び。」(リルケの墓碑銘)

"Rose, oh reiner Widerspruch, / Lust, / Niemandes Schlaf zu sein / unter soviel Lidern."

Niemand (なにびとでもない者) とは誰?と問うこと自体「純粋な背理」だが、ひとは誰しもときに 「なにびとでもない者」(Niemand)でありたいと思う。

見知らぬ土地を旅する喜びは、現し世の柵(しがらみ)から自由になってひととき「なにびとでもない者」に帰ることだ。旅では「透明人間」になった気がして深呼吸する。旅上で眠る自分の上には、万象が雪のように音もなく降り積むような気がする。

2010年7月 4日 (日)

稲垣仲静・稔次郎兄弟展

ずいぶん以前のことだが、『芸術新潮』で「でろりの美人画」という特集があって、そこで見た「花魁(おいらん)の図」に鮮烈な印象を受け、深く記憶に焼きついていた。このたび、京都国立近代美術館で開催された稲垣仲静(ちゅうせい)・稔次郎(としじろう)兄弟展(6月27日迄)で、偶然その絵に再会したときには、息を呑んだ。

仲静・稔次郎兄弟については、家内の昔の友人から「大叔父に当たる人の展覧会がある」との連絡を受けて、その存在も画業も詳(つまび)らかにしないまま足を運んだのだった。不思議な因縁に導かれているような気がした。

兄の仲静(1897-1922)は大正11年に25歳で急逝しているから、画歴は短く、作品もデッサンなどの習作がほとんどだ。しかし、鳥や獣などの鋭い描線で描かれた克明な写生画の印象は強烈だ。凄まじい凝視と徹底した写生の果てに、写し取られた対象の背後から不気味な世界(おそらく死の世界)が浮かび上がってくる。「花魁の図」は仲静のものだった。

仲静の、デューラーか岸田劉生の自画像を思わせる「デモーニッシュな」自画像を見ていると、自画像と花魁図が重なって、彼が自己凝視の果てに見ていたものを思い慄然とした。

弟の稔次郎は超天才タイプの兄の画業を畏敬し、同時にその圧迫に苦しみながら自分の道を切り開いて行った人なのだろう。画業の中心を「型絵染」に移し、昭和37年に人間国宝に認定され、翌年亡くなっている。その絵の恬淡とした明るさは、やはり一つの偉業であろうという気がした。

大正から昭和にかけて京都画壇で活躍した兄弟だが、二人の資質は対照的といってほど違っている。弟は兄には負けまいと思い、しかし「いつの日か兄弟展の実現を」と長らく夢見ていたそうだ。

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引っ張りだしてきた古い『芸術新潮』に、「花魁の図」を見つけた。

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