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2010年3月

2010年3月31日 (水)

イソヒヨドリ

今日は箕面市稲の「なぎの木公園」で、なぎの木の高い梢にとまっている青い鳥を見つけた。濃いブルーの背中とオレンジ色の腹部とコンタラストがカワセミに似ているが、体長も体型も飛び方も明らかに違っている。

うしろ姿しか撮れなかったが、ご近所の愛鳥家の奥様に見せたら、「イソヒヨドリ」だろうとのこと。

また小鳥との知り合いの輪が、ひと回り広がった。

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天満の子守唄

病院での検査と診察のついでに、大川沿いの桜を見るために天満橋を渡って天神さんまで歩いた。桜は五分咲き。桜の下に青いビニールを広げて一人ぽつんと座って所在なげにしている若いサラリーマンの姿があった。夕刻からの花見の宴の場所取りを命じられたのだろう。呑気なようなわびしいような。こんな光景は、日本だけだろうなと思った。

その光景のすぐそばに「天満の子守唄」の碑が建っていた。赤ん坊を背負ったねんねこ姿の娘は、子守りというよりお地蔵さんみたいで、ぶつかったら、ドスンと跳ね返されそうだった。

私が知っている天満の子守唄は、碑に刻まれたものとは違う。もう40年以上も前に吉永小百合が歌ってヒットし、私自身今でもよく口ずさんでいる愛唱歌のひとつだ。

「天満橋からお人形投げた 背(せな)のこいさんお人形投げた 川はゆたゆた ついつらされて 橋の上からお人形投げた 泣くかと思ったら 手をふって いんでこ いんでこ」

背負った子に翻弄される子守女の悲しさが心に沁みる。

ところで最後の「いんでこ」は「こっちに帰っておいで」という意味なのか、「自分のお家に帰ってお行き」という意味なのか。

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2010年3月27日 (土)

千里川の春の風景

千里川沿いではハクモクレンが散って、今はコブシが満開だ。コブシの花はハクモクレンの花とよく似ているが、6枚のやや薄手の花弁をグー・チョキ・パーのパーのように大きく開ききる。モクレンよりも無邪気でおおらかな印象を受ける。

川原には上流から流れついたらしい実生のサクラが、白いのやら赤いのやら、とりどりに咲いている。人手が入っていない分、野放図な枝ぶりだ。ミノムシだってぶら下がり放題だ。

サクラのひと枝にカワセミがとまった。その瞬間、雲の切れ目から青空が覗いて、明るい陽ざしが川面を照らした。そんな気がしただけかもしれない。カワセミはしばし川面をにらんでいたが、あっという間に飛び去った。青い軌跡が網膜に残った。

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2010年3月24日 (水)

近衛の桜

用があって京都に出かけたついでに、ふと思い立って、夕刻、御所を訪れた。地下鉄今出川駅を降りて乾御門をくぐると、近衛庭園に山桜、里桜、枝垂れ桜が今を盛りと競い合うように咲いていた。

三月のこの時期、こんな見事な桜に出会えるとは予定も予期もしていなかった。近づく雨を予感させるような日だったせいか、あるいは遅い時刻だったせいか花見客の姿もまばらで、静けさのなか、雲の切れ目から射す薄日を受けて、どの桜のよみがえったようにみずみずしく艶(あで)やかだった。

近衛邸(現在の近衛庭園)の糸桜は「近衛桜」と称されて平安朝の頃から名高かったらしい。今度、初めて知った。

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2010年3月18日 (木)

桜前線の先触れ

今年から気象庁が桜の開花情報をやめた。天変地異の頻発する昨今、余計なサーヴィスに神経をつかった挙句、外れたからといって叱られてはかなわない。お弁当屋さんはお花見客の出を的確につかむことが死活問題だが、一般人には二分咲きであれ、五分咲きであれ、満開であれ、時々の桜を楽しめばいいから、開花情報がなくっても別にかまわない。

しかし、気象庁絡みかどうか知らないが、「桜前線」という言葉は残しておきたいものだ。花の波が日本列島を南から北へと駆け上がった行く様子が目に見えるようだ。

私の住む豊中北部では一週間も前から、桜の開花が始まっている。早くも満開を迎えているものまである。明るい陽ざしのなかで、少し恥らっているような趣きが艶やかだ。

写真は北緑丘の今日のサクラ。

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2010年3月16日 (火)

ウグイスのさえずり

今朝(3月16日)、今年はじめての「ホーホケキョ」という「ウグイスのさえずり」を聞いた。ヴェランダ前の梨谷池の枯れ葦の茂みにウグイスがいて、二週間ほど前から「キョッキョッ」という「地鳴き」(「笹鳴き」とも言うらしい)の声が聞こえていたから、「さえずり」の始まる日を今か今かと心待ちにしていたのだった。

これから初夏までしばらく「ウグイスのさえずり」を楽しむことができる。

ところでウグイスはラジオ時代の歌手のように、私にとっては長らく「姿なき歌姫」だった。

バードウオッチングの<深みにはまり>始めた二月の初めころ千里川の枯れ草の茂みに見つけた「名なし鳥」が、撮った写真と鳥類図鑑を<ためつすがめつ>見比べてどうもウグイスらしいとわかったときは嬉しかった。もちろんまだ「声なし鳥」だったが、その姿には地味でいてきりっとした気品があったからだ。

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飛ぶ夢

むかし(少年の頃)は、鳥のように空を飛ぶ夢、魚のように水の中を泳ぎ回る夢をよく見た。多くがほの暗く、それでいてきらきらと輝くような夢だった。夢の後に水脈(みお)のようなものが長く尾を引いた。

おとといの明け方、久しぶりに「飛ぶ夢」を見た。二枚の透明な青いビニール・ファイルのそれぞれに左右の手をさし入れて(ちょっと可笑しくて悲しい図だが)、それを水平にして上下にふると、おやおや足裏が地面を離れのだった。両腕をもっと大きく振ると、体がふんわりと家の軒近くまで浮き上がった。心が躍った。

一息大きく息を吸い込む。すると、体の重さが消えたように舞い上がり、風に運ばれるようにして屋根の上に降り立った。、「ほら、こうするんだ」と、見上げている人たちに声をかけながら、翼のように両腕をゆっくりと上下に動かした。いつか旅先で見たような古い町並み、屋根の瓦や松の梢が眼下を流れていった。なつかしい風景だった。

フロイト先生の夢解釈にお伺いを立てれば、「所詮ろくでもない下意識」がおずおずと明るみに出てくることだろう。あまり聞きたくもない。

これを書いていると、パブロ・カザルスの「鳥の歌」が聞きたくなった。ホワイトハウス・コンサート(1961)で演奏したものだ。チェロの音にかぶさるようにカザルスの息遣いが聞こえてくる。このときカザルスは、カタルーニャの空に大きく輪を描いて舞う鳥に化していたに違いないと思った。

写真は、偶然ファインダーに入った「飛び立とうとするセグロセキレイ」。私の夢とは、まったく無関係です。

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2010年3月11日 (木)

祈りのかたち

「祈(いの)り」とは、岩波古語辞典に拠れば「イ(斎、忌のイ)」を「告(ノ)る」のこと。すなわち、本来みだりに口にしてはならない<聖なること・もの>を神や他人に対して明かすことだそうだ。

<みだりに口にしてはならない>のだから、祈りはたいてい小声での、あるいは心の内なる<つぶやき>になる。「口にしてはならない」のに「口にせずにはいられない」想いの強さが、手を合わせたり、頭(こうべ)を伏せたり、両腕を挙げて天を仰いだりする(身体の)所作になる。

祈る人が誰であれひたむきに祈る姿には、心を動かされずにはいられない。「美しい」と思う。口に出すことができない分だけ想いの深さが伝わってくるからである。

「祈り」とは何より「祈るかたち」のことだと、東大寺三月堂(法華堂)の月光菩薩を拝するたびに思う。その合せられた両掌(りょうて)に包まれた世界の限りない広さ、静けさ、温かさ。

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2010年3月10日 (水)

梅林のメジロたち

この時節は三寒四温だそうだ。今日は三寒の内の一日。終日冷たい風が吹き、空に灰色の雲が走っていた。とはいえ、時おり雲の切れ間にのぞく青空は深みをましてきた。明日からは四温の日が続きそうな気配。

牧落(箕面)に a bientôt(アビアント)というパン屋さんがあって、ほとんど一日おきにそこまで歩いてパンを買いに行く。片道2キロ、往復4キロの道のりだが、苦にならない。       a bientôtのパンが抜群に美味しいからだが、途中千里川沿いの探鳥スポットを通り抜けて行くからでもある。

今日も、ジョウビタキ、エナガ、メジロ、カワセミ、セキレイ、サギ、カワウなど10種類くらいの野鳥と出会った。そして、午後からマンションの「野鳥の会」の最初の集いがあった。

「カワセミと出会った日は、何かいいことがありそうな気がする」というのが、野鳥仲間に共通した感覚だ。この感覚を大切にしたい。

ところで、a bientôt に行く道ぞいに白梅の林(畑?)があって、人手が入っていないので野放図に伸びた枝が、白い花の雲をまとっているかのようだ。そこに、メジロ、ヒヨドリ、ムクドリが群れていた。楽しげなメジロたちの姿が見えるでしょうか?

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2010年3月 4日 (木)

伊賀上野

一月ほど前、焼物を見るために伊賀上野を訪れた。伊賀焼と忍者と芭蕉で有名な城下町だが、町の知的で端正なたたずまいに心惹かれる。いつ訪れても、その思いを裏切られたことがない。

いつものように、『古陶館』に立ち寄ってから『土味(どみ)』、『一片陶(いっぺんとう)』を回った。『土味』は谷本洋さんのギャレリーだ。お城の大手門前という好立地と瀟洒な構え、訪問者への行き届いた応対が心地よい。もちろん、『土味』の焼物がすばらしいのは言うまでもない。

(あたらし)歓司・学さん父子の『一片陶』もすてきなお店だ。お城の裏手、伊賀鉄道上野市駅からJR伊賀上野に向かう道沿いにある。歓司さんの奥様がお店におられて、遠来の客に気さくにいろんな話題を提供してくださる。

焼締め特有の強さ・重厚さに武家風の豪放磊落さが加わり、さらに濃緑のビードロ釉がかもし出す透明感が、伊賀焼の魅力だ。谷本さんの作品にはヨーロッパ風の明るく洗練された趣きがあり、新父子の陶器には自然の荒々しさがあって、両者は対照的だが、私の趣味では甲乙つけがたい。今回、いちばん惹かれたのが、新歓司の花生け(下の写真)。

それにしても、小さいが品格のあるこの町も、たいていの地方都市の例に漏れず、津波のように押し寄せてくる時代の趨勢(均質化と効率化)を前に、なすすべもなく立ち竦んでいるように見える。人々の生活に溶け込んでいた小売り店舗にシャッターが下り、通りにかつての張りと気合がなくなってきている。

早く手を打たなければ、長い歴史が育んできた大切なものが根こそぎ奪われ失われてしまうのではないか、苛立ちと焦りを覚えているのは私だけではあるまい。

かつてこの町を訪れる楽しみの一つだった蕎麦屋さんがなくなって、おいしい蕎麦がきが食べられなくなった。八幡宮の裏手にある和菓子の「伊勢や」さん(写真、下)の絶品「黒蜜饅頭」もぜひとも残しておいてほしいものだ。

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2010年3月 1日 (月)

心の自彊術 ― アラン『幸福論』

この1年、週に一度千里中央の「自彊術」教室に通っている。インターフェロンの副作用で体力・気力の著しい衰えを自覚したとき、これではいけないと通い始めた。全身のこわばった関節を動かして、「気」(血液、リンパ液、+アルファ)の流れを促進する体操である。教室に通うのは週一回だが、体操は毎日続けている。インターフェロンを1年半何とかやり遂げられたのは、自彊術のお蔭だと思っている。

本当は一日2回するべきところなのだが、今のところ1回しか出来ない。「1日2回を続けたら、元気なままでぽっくりと往けますよ」というのが教室の先生のお言葉。呵呵大笑。この気持ちのゆとりが嬉しい。

このごろアランの『幸福論』(原題は『幸福についてのプロポ』)を折にふれて覗いているが、まことに<心の自彊術>といった趣きがある。邦題は『幸福論』だが、「論」ではなく「術」と訳した方がよかったかも知れない。

今日、自彊術の帰り北緑丘の千里川沿いまで足をのばして小鳥の姿を探しながら歩いていると、雨が降り出した。傘を持たずに出たので、濡れそぼって自宅近くの喫茶店に入った。『幸福論』」を開いて「雨の中で」という章を読み始めた。

「ほら、雨がちょっとふってきた。君はまだ通りにいるので、傘を広げる。それでいい、それだけのことなのだ。「また雨か、なんということだ。ちくしょう!」と言ったところで何の役にも立つまい。そう言ったところで、雨のしずくや、雲や、風が変わることはまったくないのだ。どうせ言うのなら、「ああ!結構なおしめりだ!」となぜ言わないのか。(・・・)そう言うことは君にはいいことなのだ。体中に張りが出てきて、ほんとうに温まってくる。なぜなら、それこそが、どんな小さなよろこびでも、よろこびの動作のもつ効き目なのだから。(下線は筆者)」

幸福論 (岩波文庫)

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