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2010年2月

2010年2月27日 (土)

エナガ

今日2月27日、北緑丘の千里川べりでエナガをまじかに撮ることができた。いつも100メートル四方くらいの比較的狭いエリアを10数羽の群れを作って枝から枝を飛び回っている。群れにはメジロ、シジュウカラが混じっていることが多い。どの鳥も雀より小さくて、体色が美しい。とりわけエナガは、白い腹部に淡いピンクを刷いて、眉線の黒い帯が長い尾の方にまで伸びて、その容姿はまことに愛くるしくて、見とれてしまう。しかし、木の枝の高いところにいることが多く、動きが小刻みですばやいものだから、撮影するのは容易ではなかった。

ところが、今日は通りかかったピラカンサの低い茂みで群れが戯れていた。ほんの1メートルくらいの距離で見ることができた。こちらの切なる願いを察して自分の方から近づいてきてくれたのかな、と思わず笑みを返した。「これだからオヤジは困る」とエナガさんは考えたんじゃなかろうか。

(追加と訂正)

エナガの全体像がもっとよくわかる写真を追加します。そして、眉線ではなくは「眉斑」というのが正しいようです。ご覧のように、腹部の横から尾に伸びる黒い帯は、眉斑と一続きではないので、これも訂正させていただきます。

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2010年2月26日 (金)

白梅

このごろ近くを散歩しているとどこからともなく梅の香が漂ってきて、ふと足が止まる。見ると、民家の庭先に白梅が今を盛りと咲いている。陶然として我を忘れる。

呉春の「白梅図屏風」を見たとき、その梅の木が此岸と彼岸の境に咲いているようだと思った。考えてみれば、呉春の白梅に限らない。白梅には何か人の心を異界へと誘(いざな)うような趣きがある。

四十年以上も昔のことになるが、正月にひとりで京都西山の十輪寺、善峰寺を訪ねたことがあった。山道を下ってくると、花ざかりの大きな白梅の木が、林間の広々とした空地に、まるで世界から忘れ去られたかのように立っていた。その情景に気圧(けお)されて、しばしその場を動けなかった。

そのあと方向感覚を失って山中をぐるぐると彷徨(さまよ)った。同じ方向に進んでいるつもりが、どういうわけか元の場所に戻ってくる。何度かそれを繰り返した。午後の陽ざしが傾き始め、焦りから山道をはずれて沢に下りると、沢には雪が残っていた。「このまま行き倒れるのでは」という考えが、ふと脳裏をよぎった。

それ以来、咲き誇る白梅の情景が時おり夢に出て来るようになった。怖い夢ではない。ただ、夢の中でも身動きできずに佇むばかりである。

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2010年2月25日 (木)

野鳥の会

昨日は同じマンションの若い主婦のAさんが「イカルを見た」と鳥類図鑑を手に報告かたがた、拙宅を訪ねてくださった。箕面の稲(いな)のあたりにいたそうだ。「そうか、イカルもいたか」と、興奮もし、妙に感心もした。

イカルという名前が何だか神話の登場人物の名前ようで、鳥類図鑑をめくるといつも「イカル」のページに目が行っていた。名前からしてもうすっかり憧れの鳥だった。近隣のどこかにイカルがいるということだけでわくわくする。

ところで、Aさんとは近々マンション内で「野鳥の会」を発足させることになっている。今のところ参加者は、私たち夫婦とAさんの三人である。まずは豊中北部、箕面南部地区の野鳥エリアマップを作ったらどうだろうなどと話をした。

Aさんの鳥好きは半端ではない。マンション横の梨谷池で無責任な釣り人の捨てた釣り糸に絡まれて木の枝に宙ずりになっいたコサギを、警察のレスキュー隊の出動を頼んで救出に漕ぎ着けた。野鳥観察歴がまだ4ヶ月ばかりの私は、当分Aさん頼みだ。

写真は、昨日撮ったジョウビタキとウグイス。

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リュウキンカ(立金花)とベニシジミ

前回、前々回のブログに書いた花は、おじゃままさんが「リュウキンカ」だと探り当ててくれました。「立金花」と書いてリュウキンカ。湿地に自生し2月に4センチ大の花を咲かせるとのこと。件の花は、まちがいなくリュウキンカです。おじゃままさんの直観力と調査力には、脱帽。

はじめて見た花、しかもとても美しい花なので、その名前と身元がわかってわくわくしています。今日も、リュウキンカを見るために心はずませながら千里川に出かけました。新しい花が次々開きはじめ、ベニシジミが花にとまっていました。春ですね。

3回連続で似た画像になってしまいました。歳甲斐もなく「彼女に無我夢中」と笑ってお許し下さい。

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2010年2月24日 (水)

ツワブキ?

昨日の記事に「福寿草かな?」として掲げた写真、おじゃままさんから「ツワブキではないか」とご教示を受けました。ツワブキの花はこれまで何度も見たことがあったのですが、ツワブキとは思いもかけなくて、ちょっと<虚を突かれた>といった感じでした。「あっそうか。さすがだなあ」と感心しつつ、もう一度ウェブの画像検索で福寿草とツワブキを見比べてみました。

件の花は、確かに福寿草ではありませんね。葉の形がまったく違っています。「春を呼ぶ花」という<観念>に引きずられたのでしょうね。赤面と冷汗です。

とはいえ、花の付き方、花弁の重なり具合、茎の長さ太さなど、花全体から受ける印象がツワブキとは違っているような気もするのですが、どうでしょうか。

というわけで、今日もう一度その場所に行ってみると、花弁が開きすぎて、やや開花の<峠>を越したみたいでした。しかし、傍らに別のつぼみが膨らみ始めていました。河原に下りられないので、遠目にしか見られないのが残念です。

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2010年2月23日 (火)

福寿草?

川筋には宅地よりも一足早く春が訪れるみたいだ。川面を渡る風は冷たくても、川面に照り映える陽ざしはここ数日で急に明るさを増し、せせらぎの音も小鳥たちがさえずる声も心なしかヴィヴァーチェ(急速調)になってきた。

昨日の午後、千里川ぞいを歩いていて、流れをはさんだ向こう岸の河原に大ぶりの黄色い花が一輪だけ、<ぽっかりと>という感じで咲いているのを見つけた。10メートルほども離れていたので正確ではないが、直径4~5センチくらいか。蝋質の花弁が遠目にもつややかで、枯草の茂みのそこだけがスポットライトで照らされたように明るんでいた。

今日、病院の帰りに天満橋のジュンク堂書店で野草図鑑を立ち読みして、あれ(下の写真)は福寿草の花だと思ったが、どうだろう?お正月の飾り物の寄せ植えでは何度も見たことがあるのだが、野生の福寿草はまだ見たことがない。

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2010年2月18日 (木)

あわせ鏡 ― 『イヴの総て』

中島みゆきの歌を夢中になって聴いていたのは1980年代の前半だっただろうか。レコードLP盤を十数枚も買い込んで繰り返し聴いた。そのLP 盤も今は眺めるだけのものになってしまった。その中に「あわせ鏡」という歌があって、

 グラスの中に自分の背中がふいに見える夜は / あわせ鏡を両手で砕く / 夢が血を流す

という歌詞が見える。「グラスの中に自分の背中がふいに見える」とは、中島みゆきならではの秀逸なフレーズだ。背中は「老い」をもっともよく映す。

最近,、ジョセフ・マンキーヴィッツ監督の映画『イヴの総て』(1950)を見たが、その最後の場面に合わせ鏡が出てきて、ふと中島みゆきの歌を思い出した。

『イヴの総て』は、栄光の頂点に立つブロードウェー女優のマーゴ(ベティ・デイヴィス)が崇拝者として近づいてきた若いイヴ(アン・バクスター)に目をかけ、そのあげくイヴに栄光の座を奪われる物語である。すさまじくも仮借ない「下克上」が、一見可憐な女性によって演じられているだけに、恐い。

映画のエンディングで、そのイヴに憧れて彼女の部屋を訪れた<さらに若い女性>がイヴの目を盗んで、彼女のドレスをはおり合わせ鏡の間に立つ。そして、鏡に向かってにっこり微笑みかける。

若さの微笑と老いの背中。無数のイヴ(とアダム)のはてしない連鎖。ため息をつきながら映画を見た。

イヴの総て~オール・アバウト・イヴ・コレクション

2010年2月16日 (火)

君の上にはただ白い花ばかり・・・

スペインの作曲家モンポウに「君の上には ただ花ばかり」という歌曲がある。静謐で、心に染み入ってくるような美しい歌だ。(URLはモンセラート・カバリエの歌っているもの)

http://www.youtube.com/watch?v=Hp5GwyeJQrw

その歌のタイトルを私は「君の上には ただ白い花ばかり」と記憶してしまっていた。そして、そのフレーズがもっとも清澄な愛のメタファーとして、しばしばと脳裏に浮かび上がってきたものだった。

近ごろロス・アンヘレスがモンポウの伴奏で歌うのを聴いて、あらためてその美しさに心を奪われた。と同時に「君の上には ただ白い花ばかり」ではなく、正しくは「花ばかり」だということを知った。

いつ、どういう経緯で「白い花」として記憶されてしまったのか。人間の記憶は、当人が経験した時間(歴史)によっていつしか染めあげられてゆく。歪曲でもあり浄化でもある。あるいは神話化と言ってもいいかもしれない。そして、神話化された記憶が、また人間の経験(歴史)を規定する。

個人史は、記憶と経験が互いに絡まりあいながら螺旋を描いて進行してゆくのだろう。

モンポウの歌の中で愛しいひとの頭上に咲いていた花は、何の花だろう。私は暗い葉蔭に咲く柑橘系の白い花を思い浮かべるのだが・・・

呉春の白梅図屏風

「呉春」というと池田の地酒の名前と思い込んでいた。じつは江戸末期の円山・四条派を代表する絵師の号としての方が、銘酒よりも先だったのだ。

蕪村の愛弟子に月渓という俳人がいて、いっとき池田の「呉服(くれは)の里」に住んでいた。その地名に因んで絵師としては呉春と名乗った。月渓は師の肖像画も何枚か描いている。師に寄せる敬愛がにじみ出ている肖像画だ。

そのことは蕪村関連の本で確かに読んでいたはずだが、両者が結びついていなかった。不明をおおいに恥じるべきところだが、私には大発見だった。

呉春の「白梅図屏風」が池田の逸翁美術館で公開中ということで出かけた。

二隻八扇(八曲)の大きな屏風で、藍染の絹地を貼り合わせた地に左右向かい合って二本の大きな白梅の木が描かれている。早朝の薄やみの中に浮かび上がる老木のたたずまいが、墨の濃淡とかすれで自在に表現され、その筆さばきは繊細にして雄渾。一つ一つ丹念に描き込まれた梅の花の白い花弁、黄色の花芯、薄紅色の苞(ほう)が薄闇の中に星を散らしたように浮かび上がる。

貼り合わされた藍染の絹地は、一枚一枚が染まり具合を異にしていて、それがかえって空間の深い奥行を感じさせる。まるで印象派の絵画を見ているようだ。

白梅の花をつつむ薄やみの向こうにやがて朝の光が射してくるのだろう。呉春は、幽明の境に咲く白梅を描いたのだ。

蕪村は天明三年(1783)六十八歳で没したが、臨終の床に愛弟子月渓を呼び、耳元に辞世の句をささやいた。

  しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり

句の大意は「(初春のころ)夜が明けはじめると白梅の花がまず白々と目立ち、そうして次第に明るくなってゆく、そういう夜明けばかりが続くようになった、暗い長い冬が終わって明るい春が始まった」(大磯義雄『与謝蕪村』)。

蕪村の心に寄りそいながら、呉春は「白梅図屏風」のを完成に十年後の歳月を費やしたそうだ。

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2010年2月14日 (日)

小鳥たちとのおしゃべり

コンピューターがダウンしていて、ブログを更新できないでいました。この間、小鳥たちとの交流を求めて、千里川べりをさまよう毎日でした。

一番上はジョウビタキ(雌)、真ん中はウグイス、三番目はカワセミ。どの写真もここ数日に撮ったものです。自宅を中心にしたわずか2~3キロ四方の空間にも、何と豊かで多様な小鳥たちの世界があるんだろうと、日々驚きと感動を新たにしています。

私たちにごく身近なところで、さまざまな生き物たちがそれぞれに個性的な姿と生き方を競い合いながら共生しています。そのことの大切さを噛みしめながら、今日は千里川清掃のボランティアに参加。清掃を終えたあと、川原で食べた焼き芋のおいしかったこと!

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