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2009年12月 9日 (水)

カラス

晩秋のある日、ガラス戸越しにヴェランダ前の木立を眺めていると、ヒヨドリのような中型鳥が二羽、三羽しきりに中空で急角度の上昇と降下を繰り返していた。その奇妙な動きは明らかに不安を示し、(無力な)示威行動のように思われた。カメラを手に取って木立の方を見ると、クヌギの高い梢にカラス一羽がとまっていた。微動だにせず、中型鳥のあわただしい動きを無視して虚空を睨んでいた。ほとんど威厳に満ちたと言っていいような、その圧倒的な存在感に思わずシャッターを切った。

カラスは今や都市近郊の嫌われ者の代表者だが、この写真を撮ってからカラスに対する私の見方が少し変わった。「やっぱりただ者ではない」という少しばかり畏怖に似た気持ちが湧いてきた。まして況(いわん)小鳥たちにおいておや、である。

古代ゲルマン(北欧)の神話では、カラスは主神オーディンに仕える聖なる鳥とされている。オーディンは毎朝、フギン(思考)とムニン(記憶)という名の二羽のカラスを世界に送り出す。彼らは一日の旅を終えて帰ると、その日見聞した一切をオーディンに告げるのである。オーディンは戦さの神であり死の神でもあるから、カラスはつねに戦士に連れ添い、戦士の屍を啄(つい)ばむ死の鳥でもあるという。(谷口幸男、福島正純、福居和彦 『ヨーロッパの森から―ドイツ民俗誌』 NHKブックス)

カラスの両義的象徴性(生と死、知恵と邪悪など)は、古代以来どの神話にも共通しているようだが、カラスの<底知れぬ闇の如き>たたずまいを見ていると、それもうべなるかなという気がする。

Dscn0917

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