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2009年11月 9日 (月)

世界に開かれて在ること.

ヴィリー・ワイルダー監督の喜劇『お熱いのがお好き』の最後の決め台詞 「完璧な人間なんていないさ(Nobody is perfect)」はあまりにも有名だ。女装したジャック・レモンが大富豪のプロポーズに汗だくで防戦、「私、じつは男性なんでして」と」告白してしまうと、当の大富豪、どこ吹く風とにっこり笑って、Nobody is perfect。

一見ナンセンスなドタバタ喜劇風だが、そこはナチを逃れてハリウッドに移ったヴィリー・ワイルダーである。<Nobody is perfect.>のひと言に、人間存在の深層を鋭く穿つ批評精神がきらりと光っている。純粋主義、完璧主義、原理主義の仮面のもとに野蛮の限りを尽くしたナチの「排除の論理」を笑いのめしているように思えてならない。

やや牽強付会のそしりは免れないかもしれないが、<unperfectness(未熟さ、未完成)>にこそ人間の人間たる「本来性」があることを生物学の側面から示して見せたのが、スイスの動物学者アドルフ・ポルトマン(1897-1982)だったというのが私流の解釈である。

ポルトマンは人間の「生理的早産説」を唱えた。人間の赤ん坊は約10ヶ月母胎内に留まった後、誕生の時を迎える。これは他の哺乳類に比べると約一年短い。人間の生まれたばかりの赤ん坊は放置されると生きられない。いわば早産で生まれたのだ。他の哺乳類が誕生と同時に自立の道を歩み始めるのは、胎生期間中に本能を形成し終えているからだ。人間は、本能の働きが未成熟のままに生み出され、生まれた環境に本能的に対応することができない。

しかしそこにこそ人間の「本来性」があり、人間の「尊厳」が宿るとポルトマンは考えた。それは「世界に開かれた(weltoffen)」人間の在り方を可能にするからである。

「動物の本能的な行動を<環境に制約された>と呼ぶならば、人間の行動は<世界に開かれた>と言わなければならない。このすばらしいことばが意味するのは、人間の創造的な行動という偉大な能力のことであり、個々人が多かれ少なかれそれ相応に使用することができる宝であり、またそれを浪費したり埋もれさせたりすることもできる財産である。」(『人間はどこまで動物か』)

「世界に開かれている」ことで、すなわち「無力さ・未熟さ・未完成」の代償として人間には「自由な選択と決断の可能性」が与えられたのである。

ポルトマンのこの論文が発表されたのが、1944年(ナチの時代)であったことをしっかりと心に刻みたい。

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