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2009年11月

2009年11月30日 (月)

中山池

阪急石橋駅から通称「阪大坂」を登ってくると右手下方に見えるのが中山池。高校生の頃、対岸の雑木林(里山という言葉をまだ知らなかった)にイーゼルを立てて、「中山池に影を映す白亜のイ号館」を油絵に描いたことがあった。風景画をひとつ仕上げるのが「美術」の宿題だった。

今はピンクに塗られているが、当時(昭和35/36年頃)イ号館はくすんだ白。それより何年か前には空襲に備えた防災色で黒かった。中山池の水面に照り映えるイ号館は、当時も今も阪大を象徴する景観だ。

10年くらい前まで中山池の東に上山池があった。中山池に飛来する白鳥の姿が見られたが、いつしか上山池で飼育されるようになり、私たちの目を楽しませてくれていた。そして白鳥の姿が消えると、上山池の埋め立てが始まった。

かつて二つの池の岸には丈高いアカマツが何本も聳え立ち、現在の広葉樹林とはひとあじ違った古風で重厚な景観を作っていた。その後、アカマツは「マツクイ虫」の被害で次々と立ち枯れ、その後にヤマモモ、サクラ、アオギリなどが植樹されたのだ。

現在、中山池の堰提の補修工事が進んでいる。来年には池を取りまく里山の整備も行われるそうだ。貴重な自然遺産とどう関わり、それをどう活かしていけばいいのか、この機会に「大学と地域と行政が手を携えて」知恵を出し合おうという「中山池の利活用をめぐるファーラム」にお誘いを受け、晩秋の一日、久しぶりに待兼山キャンパスを訪れた。教えられることの多い集いだった。志と夢を共有できる人たちと語り合えるのは、楽しい。

阪大待兼山キャンパスに残る里山は、宅地の灰色の海に浮かぶ「緑の島」だ。その存在が、大学に通う人々は言うに及ばず、地域の人々の心と暮らしにどれほど大きな作用を及ぼしていることだろう。雨上がり葉末から滴る<しずく>のようなものでも、それがいつか大地を潤し、ひとの心を潤してくれる。そのことに気づくことの大切さを思った一日だった。

掲げた写真の上は、待兼山キャンパスの銀杏の葉が散り敷く今の風景。下は昨年の秋に撮った、工事が開始前の中山池。

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2009年11月27日 (金)

「あかん」と「いかん」

久しぶりに乗った地下鉄御堂筋線、「チカンはアカン」という広告が貼ってあった。「それは違うやろ!そんな言い方しとったらイカンやろ!オヤジギャグもほどほどにせい!」と、ほんまの大阪人なら突っ込みを入れたくなろうというものだ。「アカン」という「叱責」には、すでにどこか「赦し」が含まれているからだ。

子どもに向かって「そんなことしたらアカンで。」「そんなこと言うたらアカン。」「あんたはほんまにアカンタレやな。」 大阪の母親がいちばんよく使う(ひょとしたら、使った?)大阪弁は、「アカン」ではなかろうか。しかし、阪神タイガースを評するときにファンは「アカンタレほど、かわいいもんや」と言う。「アカン」と言われた子は、その言葉に母親の「口惜しさ」と「嘆き」と「情愛」を同時に嗅ぎとっている。アカンという言葉の、「理屈」ではない、「多層的な味わい」が時とともに心に沁み入ってくるはずである。

「アカン 駄目だ、役に立たない、いけない、などの意。(・・・)イカンともいうが、この両者には文字で書きあらわせないニュアンスの差がある。(・・・)大阪では「アカン」と軽くすかしてしまうところに、何ともいえぬやわらかい味がにじみだす。総じて、関東弁が、短く、鋭く、明快で、男性的なのにくらべて、上方弁は、長く、やわらかく、滑らかで、鈍重で、女性的であることが一つの特長である。」(『大阪ことば事典』)

今風に言うと「草食系」方言ということになろうか。(と書いてみたが、大阪弁の「したたかさ」「しなやかさ」に思いをいたすと、ちょっと違うかもしれない。)

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2009年11月26日 (木)

メジロ?

これはメジロ?

やはり千里川沿いを散歩しているとき、ニレの木の枝に止まったのを見て(というよりも、そんな気配を感じて)、すばやくレンズを向けました。写っているかどうか自信がなかったのですが、画像をコンピュータに取り込んで見てみると、ピンボケですが、こんなかわいい小鳥が写っていました。背中から尾にかけてのオレンジ色があざやかです。

それにしても、「気配を感じて、シャッターを切った」などと生意気なことを言っていると、そのうち川にはまりそうです。

鳥類図鑑を見ると、メジロのような気がするのですが、どうでしょうか?

(一週間後の追記:ネットの図録など覗いて、これは間違いなく<ジョウビタキ>の雌だと確信しました。冬になると大陸から飛来して、主に野山、ときには都市近郊にも姿を見せるようです。雄は顔が黒、頭頂から首・背にかけて濃紺、腹部が濃いオレンジ色、鋭い目つきと嘴というまるで武者のような出で立ち。一転して、雌は全体が褐色で背と腹がオレンジ色、その目がまことに愛くるしい。もう一度、しっかりと見てみたいものです。雄の姿も。)

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2009年11月20日 (金)

風切り羽(かざきりばね)

カルガモの翼の後方に目にも鮮やかな青い羽根がのぞいている。

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これは「風切り羽(かざきりばね)」と呼ばれる。翼の後方外縁に並ぶ大型の長い羽根で、鳥が飛ぶときに揚力と推進力を生む重要な役割を担っているらしい。全体に地味な身づくろいの雌カモだが、その「風切り羽」にだけ「天空の青」が施されていることの不思議さを思わずにはいられない。

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幻燈(げんとう)とマンゴスティーン

ガラス板製のスライド・フィルムに『のらくろ2等兵』の漫画が2コマ並んでいる。幻燈機に電球をセットしてスイッチを入れると、襖(ふすま)の白いスペースにのらくろ2等兵の姿がカラーで大きく映し出された。ガラス板10枚くらいで一話。『のらくろ』以外の外題があったかどうか、憶えていない。エレクトリック紙芝居だが、部屋を暗くして襖に映る鮮やかな緑や赤に目を見はった。文字通りラテルネ・マギカ(魔法のランプ)だった。幻燈機と言わず「ゲントウ」と呼んでいたが、どうして「ゲントウ」がわが家にあったのか。その来歴は聞かなかった。おそらく、戦時中ぼんこちゃん(長兄のことを家族はそう呼んでいた)に父が買い与えたものだったのだろう。

「ゲントウ」の中に、南方のジャングルで猿たちが手をつなぎ尻尾を絡ませて谷川に橋を渡す絵柄があった。その情景に赤い果実が描きこまれていたのかどうか、父がいきなり「マンゴスティーンはどんな果物よりもおいしい。果物の女王だ」と胸をはって言った。どんな姿かたちをしていて、どんな味だったかは言わなかったから、父はたぶんマンゴスティーンを食べたことなどなかったと思う。しかしその時以来、私の中で、ながらくマンゴスティーンは南方のジャングルの緑の闇に妖しい輝きを放ち続けていた。

何年か前、果物店で「マンゴスチン」と称する、卵より少し大きくテニスボールより少し小さい深紅の果実を見つけて買った。果皮の内側にはシャーベットのような白い果肉が納まっていた。おいしかった。この「マンゴスチン」はひょっとするとマンゴスティーンかもしれないと思った。しかし、それ以来マンゴスティーンはいつしか神秘の輝きを失っていった。

「マンゴスチン」はやっぱり「マンゴスティ-ン」ではない、と私はかたくなに思い込もうとしている。

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2009年11月18日 (水)

キセキレイ

今朝、箕面に向かって千里川沿いを歩いていると、胸から腹にかけて鮮やかなレモンイエローの小鳥を見つけた。「キセキレイだ!」ととっさにカメラを向けたが、胸が高鳴っているために、望遠レンズの視界にその姿を捉えることができない。ぼやけた写真で恐縮だが、私の胸の高鳴りだけは納得していただけるのではないだろうか。

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箕面山荘「風の杜」へ

毎年11月の下旬に紅葉を見るために箕面へ行く。今日11月18日、少し早過ぎるかなと思いつつ、体調と天気予報を秤(はかり)にかけて思い切って出かけた。10時半に家を出、千里川にそって北へ、北緑丘団地を抜け、萱野三平旧邸の脇を通って箕面駅に着いた頃にはお昼。駅前のイタリア・レストラン<Pizzeria e Trattoria Fragranza>でランチ。(ちなみに、このお店、たいへんお奨めです。)

一息ついてから、いつものコース(滝道のわきの間道から西江寺の境内を通り展望台、ドライブウエイを横断し箕面山荘「風の杜」へ)を30分ばかりで登った。

写真は、西江寺近くの民家(邸宅)の美しい土塀、展望台から見た箕面連山のまだ始まったばかりの紅葉、「風の杜」から望む大阪湾(風景の中央にきらっと光る海が見えているのですが・・・)。

インターフェロン終了から半月、体調が少しずつ上向きであること、毎日の散歩で脚力が戻りつつあることを、体で確かめることができた。山からは箕面山荘の連絡バスで下りたが、晴れやかな気分だった。

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レッドフォード 『モンタナの風に吹かれて』

ロバート・レッドフォードという俳優は飛び切りの美男子なのに、映画館に足を運ぶまでの気を起こさせなかった。最初に見た『追憶』が悪かったのかも知れない。『追憶』は、上映途中で映画館を出てしまった稀な映画の一本である。

その後 『明日に向かって撃て』 『愛と哀しみの果て』 『アンフィニッシュド・ライフ』などビデオで見たが、最初の印象は基本的にはあまり変わらなかった。なぜか。

長谷川一夫は「目千両」と称せられて目線の「色っぽさ」は無類だったが、同じ二枚目でもレッドフォードにはその「色っぽさ」がない。

「色っぽさ」「色気」とは「交差の美」だと藤本義一氏が言っていた。至言である。うつむいて上目づかいに見る、顔をそむけて横目づかいに見る、逃げる姿勢で上体だけが振り返る。要するに、心と体が裏腹なのだ。レッドフォードには「交差の美」が欠けている。彼のまなざしは、いつも真っ直ぐなのだ。

はげしく沸騰する情念(エロスとタナトス=愛と死の情念)をきわどいところで身内(心と体の内側)に押し込めている危うさ。「狂気」を潜めた「静謐」。クリント・イーストウッドにはそれがある。

ところで最近、レッドフォード監督・主演の『モンタナの風に吹かれて』をDVDで見た。しみじみいい映画だと思った。乗馬とトラックの衝突事故で片足と友人を失った少女。その事故で化物じみた凶暴な暴れ馬に化した愛馬。伝説的なカウボーイに愛馬の再生を託くそうとニューヨークからモンタナまで旅する母娘。そして、モンタナの空と雲が美しい。暴れ馬の前に立ちはだかって、狂気をはらんだ馬の目をひたと見つめるカウボーイの眼差しの優しさと強さ。レッドフォードの<交差していない>人柄を素直に肯定したくなった。多分、私の年齢(とし)のせいだろう。

モンタナの風に吹かれたいと思った。

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2009年11月17日 (火)

気まぐれバードウオッチャー サギとカモ

千里川でカワセミの姿に魅せられて以来、バードウオッチングにはまっている。といっても、気まぐれな、にわかバードウオッチャーである。バードウオッチングの基本的な素養も、装具もない。今朝も小止みなく降り続ける冷たい雨の中、傘をさして千里川沿いを歩いた。こんな雨の日に鳥たちはどこで、どうしているのか気になったからだ。増水して大きな水音を立てる奔流に鳥たちの姿も鳴き声も掻き消されたかのようだった。

しばらく川沿いを歩いていくと、コサギに出会った。純白の羽毛と黒い嘴。黄色い足が印象的だ。やがてアオサギも姿を見せた。遠い目線で佇立して動かない。コサギもアオサギも単独行動。サギは群れない鳥だ。

アオサギのそばにカルガモが何食わぬ顔で近づいてきた。翼の後ろの青い羽毛が美しい。アオサギは知らんぷり。互いの自由をさりげなく尊重し合っている。カモはつがいでいることが多いが、今日は相方の姿が見当たらない。そこで、しばらく前にマンション前の梨谷池で撮った雄のマガモの写真を添えておこう。

オレオレサギ、フリコメサギ、ネンキンサギなどなど新種の「サギ」が繁殖している。そんな輩に「カラスをサギ」と言いくるめられ、「いいカモ」にされないようにしたいものだ。

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2009年11月12日 (木)

ついに捉えたカワセミの姿

オートフォーカスのデジカメ Coolpix  P90 も、なかなかの優れものだ。今朝、我がP90がついにカワセミの姿を捉えた。ガッツポーズのひとつも出そうだった。

午後、もう一度千里川に下りてみた。川の流れをこするように低くまっすぐな軌跡を描いてカワセミが視界をよぎった。青い翼が目にもとまらぬすばやさで川面をピシッと打つ。すると、長いくちばしに小魚が挟まっているのが見えた。目にもとまらぬ早業とは、このことだ。

P90が捉えたカワセミのその鋭いまなざしを見て欲しい。惚れ惚れするほどだ。こんなにも健気で、こんなにもいじらしい生き物が私たちのほんの身近かに、まだいる。そして、私たちが知らないところで自然の荒涼化に抗しながら、宇宙の秩序を支えてくれている、そんな気がした。

追記  「カワセミの鋭いまなざし」と書いてから、もう一度、二度、三度と写真をためつすがめつするうちに、白目だとばかり思い込んでいたのは、じつは目もとの白い模様であることに気づいた。黒い部分だけが目なのだ。鳥の目に黒目と白目があるわけないですね。擬態もありえない、ですね。というわけでおわびとともに、「カワセミのつぶらな瞳」と訂正したい。それにしても、可愛いですね。

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2009年11月11日 (水)

アマーラ にがい女(ひと)よ (Amara, bittre)

ご近所の庭に咲くアマリリスの花があまりにきれいだったので、撮らせてもらった。私が抱いていたアマリリスのイメージとは違っていたが、鉢に「アマリリス」という名札が挿されていた。私は花の育て主さんを無条件に信じる。

アマリリスという名は、ギリシアの牧人の娘の名から来ているとか。「アマリリス、アマリリス」とつぶやいてみる。すると、まだ見ぬギリシアの白い岩山、オリーブの葉に降りそそぐ明るい陽ざし、風のそよぎ、鳥の声、たそがれて焚き火のそばでまどろむ牧人、その頭上を渡ってゆく星座、そんなものが次々と目交(まなか)いを通り過ぎてゆく。

ドイツ・ロマン派の詩人フリードリッヒ・リュッケルト(1788-1866)に、「アマリリス」と題する連作詩がある。そこに「アマーラ にがい女(ひと)よ(Amara, bittre)」というソネットが含まれている。

 アマーラ にがい女(ひと)よ / あなたのふるまいはにがい。/ 足どり  腕のふり、/ 上目遣いのまなざし そして伏し目、/ 開いたくちびる 閉じたくちびる、/ あなたのそれはにがい。

 あなたの会釈 / あなたと交わすことなき口づけはにがい。/ あなたの語ること思うこと / そのすべてはにがい。 / あなたの持つもの そして現し身のあなたはにがい。

 <にがさ>があなたの前を行く。/ <にがさ>があなたをはさんで両脇を進む。/そして、あなたの歩みのあとを<にがさ>が追う。

 ああ <にがさ>に包まれたあなた、/ けれど誰が知ろう、あなたがどんなににがくとも、/ あなたをあなたたらしめているものが 私にはかくも甘美であることを。

Amaraはアマリリスの別称か。しかし、amaraはラテン語で「にがい」という形容詞だから、Amaraは文字通り「にがい女」の謂いである。そして、アマリリスの花言葉は「誇り」「内気」」「沈黙」。

amara(にがい)とamore(愛する)が似た響きを持つことは示唆的である。

薬の副作用で味覚が混沌としている私には、「にが甘い(bitter-sweet)」味が今いちばんぴったり来る。「にが甘い」は、ドイツ語では<bitter-suess>。

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2009年11月 9日 (月)

世界に開かれて在ること.

ヴィリー・ワイルダー監督の喜劇『お熱いのがお好き』の最後の決め台詞 「完璧な人間なんていないさ(Nobody is perfect)」はあまりにも有名だ。女装したジャック・レモンが大富豪のプロポーズに汗だくで防戦、「私、じつは男性なんでして」と」告白してしまうと、当の大富豪、どこ吹く風とにっこり笑って、Nobody is perfect。

一見ナンセンスなドタバタ喜劇風だが、そこはナチを逃れてハリウッドに移ったヴィリー・ワイルダーである。<Nobody is perfect.>のひと言に、人間存在の深層を鋭く穿つ批評精神がきらりと光っている。純粋主義、完璧主義、原理主義の仮面のもとに野蛮の限りを尽くしたナチの「排除の論理」を笑いのめしているように思えてならない。

やや牽強付会のそしりは免れないかもしれないが、<unperfectness(未熟さ、未完成)>にこそ人間の人間たる「本来性」があることを生物学の側面から示して見せたのが、スイスの動物学者アドルフ・ポルトマン(1897-1982)だったというのが私流の解釈である。

ポルトマンは人間の「生理的早産説」を唱えた。人間の赤ん坊は約10ヶ月母胎内に留まった後、誕生の時を迎える。これは他の哺乳類に比べると約一年短い。人間の生まれたばかりの赤ん坊は放置されると生きられない。いわば早産で生まれたのだ。他の哺乳類が誕生と同時に自立の道を歩み始めるのは、胎生期間中に本能を形成し終えているからだ。人間は、本能の働きが未成熟のままに生み出され、生まれた環境に本能的に対応することができない。

しかしそこにこそ人間の「本来性」があり、人間の「尊厳」が宿るとポルトマンは考えた。それは「世界に開かれた(weltoffen)」人間の在り方を可能にするからである。

「動物の本能的な行動を<環境に制約された>と呼ぶならば、人間の行動は<世界に開かれた>と言わなければならない。このすばらしいことばが意味するのは、人間の創造的な行動という偉大な能力のことであり、個々人が多かれ少なかれそれ相応に使用することができる宝であり、またそれを浪費したり埋もれさせたりすることもできる財産である。」(『人間はどこまで動物か』)

「世界に開かれている」ことで、すなわち「無力さ・未熟さ・未完成」の代償として人間には「自由な選択と決断の可能性」が与えられたのである。

ポルトマンのこの論文が発表されたのが、1944年(ナチの時代)であったことをしっかりと心に刻みたい。

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気まぐれバード・ウオッチャー

インターフェロン治療を終え、衰えた脚力・体力の回復のために一日一度は近くを散策するようにしている。北摂の千里川沿いには里山・里川の面影が今もそれなりにゆたかに残り、住民によって「大切に」守られている。

「大切に」という意味は、「あまり人手を入れすぎないように、さりげなく」ということだ。管理の行き届きすぎた自然は清潔で美しくても、発見の感動がなく面白みがない。

自然の中にこれまで見たことのない木々や花、虫や鳥や魚の姿や声、そして空や風や水の表情を「発見する」とき、私たちは自分の中にあたらしい感覚が開けてゆくのを体験する。自然と向き合うことの喜びは、発見の喜びであり、自分が宇宙に向かって開かれてゆくことの喜びなのだ。

というわけで話がいささか宏大(かつ誇大?)になったが、私の偽らざる本心である。で、ときおり近隣で珍しい鳥と出会うと心が躍る。今は鳥の姿や声に敏感になっている。まあ気まぐれバード・ウオッチャーというところだ。

水辺の宝石・青い稲妻カワセミはこれまで三度、千里川で見た。撮影にはいまだ成功しない。当分むりだろうと弱気!下に掲げた写真はすべて千里川周辺で撮ったものだが、いちばん上はハクセキレイ、2番目はアオサギ、3番目はマガモ、4番目の遠くをじっと見つめて動かないのは何の鳥?頭は濃いグレー、嘴が黄色、見上げる位置からは背中、翼の色は判然としないが、陽を受けた腹部は鬱金(うこん)色に見えた。(追記 4番目の鳥は、その後いろんな鳥との出会いを経て、キセキレイだったという印象を持ちました。) 

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インターフェロン治療にとりあえずのピリオド

私事にわたることで恐縮。.昨年6月15日の入院以来1年半続いた「C型肝炎ペグイントロンとレヴェトール併用療法」に、この11月3日とりあえずのピリオドを打った。振り返ってみて、よくぞここまで来たものと思う。

3クール(72週)のインターフェロン注射(週一回)とレヴェトール投与(朝1カプセル、夜2カプセル)の間、予想以上に強い副作用に苦しめられた。多くの人の励まし、家族の支えがなければとてもゴールに辿りつけなかった。完治か否かは、6ヶ月経過しないと確認できない。月1度の検査と診察が続く。ウイルス完全駆除の可能性は6割から7割ほどとされている。低い治癒率と副作用から来るQoL(生活の質)の低下を考えると、何度もリタイアの誘惑に駆られた。

副作用には二つがあって、一つは注射後2~3日続くインフルエンザ症状(微熱、全身倦怠、筋肉痛など)、もう一つは持続的なもので一年半の間に変幻自在に現われた。全身に広がる蕁麻疹、気道の炎症による咳と痰、軽い嚥下障害、そしてQoLにとってもっとも深刻だったのは味覚障害による食欲不振。慢性的な副作用は、併用療法が惹き起こす<極度の貧血>から来ているようだ。(まだ残念ながら過去形で語ることができない。)

治療開始前65キロあった体重が今年の5月には48キロにまで減った。貧血の数値も限界を超えたので、主治医の判断で薬の量を約3分の2に減らした。最後の半年間は体力の衰えがいちじるしく、それと比例して気力の衰えもあって辛い日々であった。

しかし、とりあえずはゴールに飛び込んだ。解放感を味わっていると同時に、これから自分の体調がどう変化してゆくのか、固唾を呑んで見守っている心境だ。

併用療法が終わって1週間後の先週末、38度台の熱が出た。幸い翌日には平熱に戻った。インフルエンザではなさそうだ。身体が治療終了という状況の大きな変化に対応できずにいるのだろうか。解放感に冷や水を浴びせられたようで、私の気持ちはややとまどい気味だ。

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2009年11月 5日 (木)

ある日の里山風景

11月のある日の午後、近くの里山を散策していると、野良猫が「ごくろうさん」と挨拶してきた。「今日は秋らしいいい日和だね」と私も応じた。

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茗荷(みょうが)の子

昨秋は次々と地面から顔をのぞかせて楽しませてくれた茗荷だったが、今年は音沙汰がなくて、土が弱っているせいに違いないと諦めかけていたら、茗荷の子が何食わぬ顔でさりげなく「こんにちわ」と鉢土の中から笑いかけた。茗荷は「できる」というのか、「実る」というのか、「育つ」というのか分からない。が私としては茗荷の子が「生まれた」というのが、実感に即している。

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クラリンドウ

「クレロデンドルム・ウォルキー」というのが本名らしい。「クラリンドウ」の花が咲いた。土蔵の「なまこ壁」に映えそうな花だから、私はてっきり「蔵竜胆」だと思っていた。しかしリンドウとは、遠縁にも当たらないらしい。インドはアッサム地方の原産とか。アッサムはヒマラヤ山麓の高地だから、インドとはいえ熱帯の花ではない。花を見て、いかにもと納得。

数年前手に入れた鉢植えが毎年健気に花をつける。その白い花房がなんとも典雅だ。花芯から伸びる雄蕊(おしべ)が上に向かって反り返るさまもめずらしい。年々大きくなって今は1メートル近くなった。鉢が小さいものだから風が吹くと横倒しになる。枝が折れたのをコップの水に差していたら、根が生えた。土に植えてやったら、何と花が咲いた。優美さと旺盛な生命力とは反比例しているなどというのは、偏見だというのが分かった。

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2009年11月 3日 (火)

木枯らし1号のあと

「木枯らし」は、日本製の漢字で「凩」とも書く。大阪では昨日(11月2日)「木枯らし1号」が吹いて、ヴェランダの鉢植えがなぎ倒された。前日に比べて気温が10度も下がった。夕方、上着の袖をのばし襟を立てて歩いた。「木枯らし2号」「木枯らし3号」という言葉は聞いたことがないから、「1号」にこそ「木枯らし」の本領がある。

まだ寒気は居座ったままだが、今日、まばらになった桜の紅葉のあいだに美しい秋空が戻ってきた。

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木の実 草の実 いろいろ

秋の野山を彩る木の実や草の実はそれぞれに個性的で楽しい。フェンスに絡まる烏瓜(カラスウリ)と屁糞蔓(ヘクソカズラ)。そのユニークな名に、里人の暮らしが滲んでいる。

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ミゾソバのピンクの花に立ち混じり、草の台(うてな)に乗っかっている瑠璃色の玉。イシミカワというらしい。命名の由来は不詳。

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深紅の苞からのぞいている濃紫(こむらさき)の実は、ゴンズイ。脆(もろ)くて材として役に立たないところから、同じく役立たずの魚類ゴンズイからその名をもらったらしい。雑木林の縁でひときわ目立つ美しい木の実である。

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2009年11月 1日 (日)

竜胆(りんどう)

今日、霜月朔日(しもつきついたち)。雨の来る前にと思いたって、いつものようにカメラ片手に里山の名残りを求めて自宅周辺をぶらついた。そして、道を挟んだ向丘の田の畦道にりんどうが群生しているの見つけた。嬉しかった。

 「りんりん りんどうの花咲くころサ 姉サは馬コでお嫁にいった りんりん りんどうは濃紫(こむらさき) 姉サの小袖も濃紫」

島倉千代子の『りんどう峠』(西条八十作詞、古賀政男作曲)は昭和三十年のヒットソングだ。彼女が歌うと、峠道を越えて行く馬の鈴の音が聞こえるようだった。

「竜胆」と記して「りんどう」と訓む。「熊の胆(くまのい)」よりも<苦い>というので「竜胆(りゅうたん)」、訛って和名の「りんどう」となったそうだ。りんどうの根の薬効はすでに古代エジプトでも知られていたらしい。解毒、強壮、健胃、黄疸など多くの慢性病に処方された。竜胆はもっとも重要な薬草の一つなのだ。

詩人ゲーテは植物学に深い関心を寄せていたが、その始まりはやはり薬草学だった。彼の植物学関係の著作には「竜胆(Gentiana / Enzian)」の名がしきりに出てくる。それもあってかこの季節、鉢植えの竜胆を買い込んでくるのが、私の年中行事のようになっていた。しかし、どんなにせっせと手入れをしても、なかなかうまく咲かせられない。西洋ではそのせいで、何と忘恩(ingratitude)の象徴とされているとか。これだけ「竜胆」にお世話になっておきながら、それはない。それこそ、人間の忘恩の象徴だと思わずにはいられない。

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