« 千里川 | トップページ | カワセミに出遭った日 »

2009年9月27日 (日)

名 告(の)らさね ― 『キャンパスに咲く花』

『万葉集』巻頭の雄略天皇の歌、

 「籠(こ)もよ、み籠(こ)持ち / 堀串(ふくし)もよ み堀串(ぶくし)持ち / この岡に菜摘(つ)ます児 / 家告(の)らせ 名告(の)らさね」

(摘み籠を背負い木箆(きべら)を手にして この岡で菜を摘んでいる娘さん、お前の家は何ていうの?お前の名は何というの?教えておくれ。)

この歌は、雄略天皇の求婚(つまどい)の歌とされている。万葉のむかし、相手に名前を尋ねることは求婚の意思を表わす行為であった。

自分の名を名のり相手の名を訊くことは、今ではそんな切羽詰った行為ではなくなった。しかしかつては、名はその名を持つ人そのもの、人間の実存のもっとも重要な一部だった。今ではいくらでも取替え可能な<記号>あるいはこぎれいな<包装紙>に化してしまった。名はそのときかぎりで使い捨てられ、忘れられてゆく。それと同時に、<ひと>も<もの>もそれしかない固有の顔を喪ってゆく。

いっとき「ゆとり教育」がもてはやされて、子供たちにみじかな花や木や草、虫や鳥の名前を教えなくなった。以来、自然の多種多様な事物や現象は名なしになり、数的な存在になり、均一化してしまった。ちょうどマンション住民の隣人関係みたいなものである。花や木の名にむとんじゃくな若者がこうも増えてきては、文学テクストの理解すらおぼつかないという危機感を募らせてきた。榛(はん)の木(Erlen)と柳(Weiden)がどんな木か知らなければ、ゲーテの『魔王(Erlkoenig)』の興趣は半減してしまう。

その意味で、「棗(なつめ)」の記事に触れた『キャンパスに咲く花』(阪大吹田編、豊中編)(大阪大学出版会)は、私がながらく待ち望んでいた企画だった。登下校の道すがら、顔なじみなのに名前を知らない花や木に出会ったら、みなさん、「名 告(の)らさね」と語りかけて下さい。  

キャンパスに咲く花 阪大吹田編 Book キャンパスに咲く花 阪大吹田編

著者:福井 希一,栗原 佐智子
販売元:大阪大学出版会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

« 千里川 | トップページ | カワセミに出遭った日 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1221163/31530580

この記事へのトラックバック一覧です: 名 告(の)らさね ― 『キャンパスに咲く花』:

« 千里川 | トップページ | カワセミに出遭った日 »

2017年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        

星座 (リンク集)

無料ブログはココログ