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2009年9月13日 (日)

しどろもどろに吾はおるなり 方代さんの歌

わが家で最も愛されている現代歌人は山崎方代(ほうだい)(1914-1985)さんかもしれない。

 「こんなところに釘が一本打たれいて いじればほとりと落ちてしもうた」

釘が「ぽとりと」ではなく「ほとりと」と落ちた。それを捉えたのは、目でも耳でもない。(方代さんは戦地で負傷しほとんど目が見えなかったらしい。)気配を感じとった方代さんの皮膚感覚(=心)なのである。

 「こんなにも湯呑茶碗はあたたかく しどろもどろに吾はおるなり」

他人の好意にすがりながら一組の食器、湯飲茶碗と土瓶だけで蝋燭の灯りのもと、無一物の生涯を送った方代さんである。熱いお茶をそそいた湯呑のぬくもりに、ほとんどうろたえてしまったのである。

 「なるようになってしもうたようである 穴がせまくて引き返せない」

私のブログのサブタイトルは『もぐらさんの暗中模索』であるが、方代さん、わたしも引き返せない歳になりました。方代さんの歌を読むと、ぷっと吹き出してしまう。それから、しみじみと人生がいじらしくなる。そして、方代さんに随(つ)いていきたくなる。

とはいえ、方代さんの友人で歌人の岡部桂一郎は、「方代の歌は素朴な境涯詠ではない。(・・・)現実の告白そのままを芸術として信用せぬ近代の毒をうけたものの一人」であるとし、小高賢は「そこにはしたたかな文学者魂が潜んでいる」と述べている。(小高賢編著 『現代短歌の鑑賞101』)

そう言われてみると、方代さんの

 「人生はまったくもって可笑(おか)しくて 眠っている間のしののめである」

という歌、古今集(恋637 読み人しらず)の

 「しののめのほがらほがらとあけゆけば おのがきぬぎぬなるぞかなしき」

(東の空が白みほのぼのと明けてきた。あなたとわたしの衣(きぬ)を打ち重ねて添い寝した夜でしたが、その夜の明けきらぬまに、それぞれが自分の衣を着てお別れしなければならないのはつらいことですね。)

がオーバーラップするとき、方代さんの詩魂の底から「哄笑」が響いてくるかのようである。

こんなもんじゃ 山崎方代歌集

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