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2009年9月 7日 (月)

マンテーニャの『死せるキリスト』

ドストイェフスキー『白痴』の中に、ハンス・ホルバインの『キリストの屍』の絵が重要なモティーフとして登場する。そこを読みながら、私自身の子ども時代のある記憶がよみがえった。

父親の数少ない蔵書の一冊に、ルネッサンスから印象派までの西洋名画を集めた、当時としてはちょっと豪華な画集があった。小学生のころ、その画集をこっそり覗くのがひそかな(別に見ることを禁じられていたわけではないが)<歓び>であり、また<苦しみ>でもあった。、たとえば頬を赤らめて(?)アングルの『泉』を見ている自分の姿は絶対に他人には見られたくなかった。もう一枚、アンドレア・マンテーニャの『死せるキリスト』の図は、見るたびに子どもの私を青ざめさせた。そこには「死」が<ことば>としてではなく、生々しい、剥き出しの姿としてあったからである。いまだ<牧歌の世界を生きていた>少年は、アングルの『泉』に生(=性)の謎をかぎとったし、マンテーニャの『死せるキリスト』像を通じて、世界にはけっして架橋されない深淵のあることを慄きとともに予感したのだった。

その「泰西名画集」を父が知人に貸したことがあった。マンテーニャのキリスト像が近くにないということは、私には少しばかりほっとすることだった。そして、しばらくして帰ってきた画集からは、アングル『泉』が切り取られていた。残念だったが、これでおおっぴらに画集を見ることができるようになった。しかし、マンテーニャの呪縛はますます重みをました。

一枚の絵が、とりわけ子どもに対して持つ衝撃力には大きなものがある。魂の奥処(おくが)に深く根を張って、その子の人生を見えない力で突き動かし、ときにはその人生変えてしまうことがあるかもしれないと思う。

Andrea_mantegna_034

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