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2009年8月 7日 (金)

ヒメアカタテハの午睡(おひるね)

羽鷹池のほとりでヒメアカタテハを見かけた午後、家に戻ってウトウトまどろみながら考えたのは、荘子の「胡蝶の夢」。

 「むかし荘周(周は荘子の名)、夢に胡蝶となれり。栩栩然(くくぜん:ひらひらと)と舞いて胡蝶なり。自ら楽しみて心に適えるかな。周たるを知らざるなり。にわかにして覚むれば、蘧蘧然(きょきょぜん:まぎれもなく)として周なり。周の夢に胡蝶となれるか、胡蝶の夢に周となれるかをしらず。」

福永光司先生は注解に「夢見れば胡蝶としてひらひら舞い、馬となれば高く嘶(いなな)き、魚となれば深くもぐり、死者となれば墓場に静かに横たわればよいではないか。(・・・)夢と現実の混淆のなかで、生きたる混沌としての道(タオ)を、生きたる混沌として楽しもうというのである」と書かれている。

人の霊魂の蝶への「輪廻転生」説は、その起源がどこにあるかは別にして、広く世界各地に遍在している。そして、今も生き生きと人々の心を支配している。

キュブラー・ロスの『死の瞬間』(正・続・新)は、霊魂の不死を語って慰めに満ちた書物だが、死にゆく子どもたちとの対話を通してロスは、子どもたちの多くが自分の魂はいま蝶になってこの世界を飛び立ってゆこうとしているのだと信じていることに驚いたと述べている。古代ギリシア人は、人間の霊魂はひとつの生命からほかの生命に移るとき飛ぶ虫の姿を借りると考えていた。「生の縛(いまし)め」が解かれようとするとき、人には<未生以前の記憶>が甦るのであろうか。

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