« 水の面(おも)ゆく 雲の影 | トップページ | 『あっ トンカチ先生歩いてはる』 »

2009年7月13日 (月)

はるかかなたは 相馬の空か

『夜明け前』を読んでいたときむしょうに「木曾節」が聴きたくなって、市立図書館で『三橋美智也民謡全集』のCDを借りてきた。「木曾節」もすばらしかったが、三橋美智也の声は日本民謡の真髄を伝えて比類がないと思った。のびやかで、おおらかで、もちろん超絶技巧の持ち主なのだろうが、技というものを感じさせない。はてしなく広い空間を穏やかな風が悠々と吹き渡ってゆくかのようだ。

 はるかかなたは相馬の空か 相馬恋しや なつかしや(『新相馬節』)

その歌声が響き始めると、まだ訪れたことのない相馬の遠い空が私の目交(まなかい)にありありと浮かんでくる。この「遥けさ」こそが民謡の本質ではないかと思う。「はてしない空間の広がり」と言い換えてもいい。歌い手自身も知らない<遠く>から来た声に心を託し、<遠く>へと届けること、そして遥かな谺(こだま)を受け止めてそれと響き合うとき、そこにふるさとがまざまざと現出(幻出)して来るのである。

浦山桐郎監督『私の棄てた女』(1969)は、田舎娘で尽くす愛しか知らないミツが、政治活動に挫折した虚無的な大学生に弄ばれ棄てられる顛末を描いている。ミツが勤め先の酒席で「新相馬節」(だったと記憶する)を歌う場面が忘れられない。彼女の歌声が響くと、モノクロの画面が突如カラーに変わって、相馬野馬追の勇壮な情景が映し出された。遥か彼方のふるさとを思うミツの心情の哀切さが激しい力で迫ってきた。

*相馬野馬追の風景。「相馬盆歌」、「相馬流れ山」、「新相馬節」、 相馬は私の<ネバーランド>である。画像はヴィキペディアからお借りした。

Photo_2   

« 水の面(おも)ゆく 雲の影 | トップページ | 『あっ トンカチ先生歩いてはる』 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1221163/30500068

この記事へのトラックバック一覧です: はるかかなたは 相馬の空か:

« 水の面(おも)ゆく 雲の影 | トップページ | 『あっ トンカチ先生歩いてはる』 »

2017年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        

星座 (リンク集)

無料ブログはココログ