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2009年7月30日 (木)

木について 「木は大地の毛であった」説

古代学者西郷信綱氏の『日本の古代語を探る――詩学への道』に「木は大地の毛であった」という説が述べられていて、心揺さぶられた。『日本書紀』にスサノオの次のような説話が記されているそうだ。

 「スサノオ(・・・)乃(すなわ)ち鬚髯(ひげ)を抜きて散(あか)つ。即ち杉に成る。又、胸の毛を抜き散つ。是、檜に成る。尻の毛は、これ槙(まき)に成る。眉の毛は是樟(くす)に成る。已(すで)にして其の用いるべきものを定む。乃ち称(ことあげ)して曰はく、『杉及び樟、この両の樹は、以て浮宝(うくたから=船)とすべし。檜は以て瑞宮(みつのみや)を為(つく)る材(き)にすべし。槙は以て顕見蒼生(うつしきあおひとくさ=人民)の奥津棄戸(おくつすたえ=棺)に将(も)ち臥(ふ)さぬ具にすべし。』」

西郷氏は言語学的な考証を重ねた上で、「かつて木は大地の毛であった」として、「もし森や林の木々が大地の毛であったら、『木は木、金は金』としか見ることのできぬ私たちの魂の荒涼を何ほどか癒してくれそうな気がする」と書いておられる。草木をみな「毛」と呼ぶ方言地帯もあるらしい。そして「草木咸能言語(そうもくみなよくものいう」という『神代記下』の詞を引いておられる。草木の語ることばを、われわれは次第に聞き取ることができなくなっている。

ところで「木が毛」であったら、「毛は木(草木)」でもある。毛は肉体という大地に生える。毛は肉体という内なる闇に深く根を張っている。われわれが恐怖に直面するとき「総毛立つ」のはそのせいなのだ。そして、われわれが激しい怒りに捕らえられるとき、知性や意識を経ずに神の怒りが髪の毛に下って肉体を震わせる。すなわち「怒髪天を突く」のである。

木が毛なら、身は水(み)、地は血かしら、などと知的好奇心をいたく刺激される西郷説だが、思いつきを言い散らすのは卵を取りに入って、ひよこの「毛」だらけで鳥小屋から出てくるようなものだろう。

日本の古代語を探る―詩学への道 (集英社新書)

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