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2009年7月23日 (木)

『野菊の墓』と矢切の渡し

先日、病院に行く途中、天満橋のジュンク堂書店に立ち寄った。文庫本の棚に伊藤左千夫『野菊の墓』を見つけて買ってしまった。そして、待ち時間に読んでしまった。15歳の政夫と2歳年上の従姉(いとこ)の民子の初々しい恋と、その悲しい結末を描いている。

母親の心遣いで綿摘みに出た日の二人の細やかな交情には、美しい自然描写と綯(な)い合わされて心を打つものがある。秋の早い日没に追いかけられるように家路を急ぐと、

 「半分道も来たと思う頃は十三夜の月が、木の間から影をさして尾花(おばな)にゆらぐ風もなく、露の置くさえ見えるような夜になった。今朝は気がつかなかったが、道の右手に一段低い畑には、蕎麦(そば)の花が薄絹を曳き渡したように白く見える。こおろぎが寒げに鳴いているにも心とめずにはいられない。」

夕食に遅れて帰った二人の仲を周囲が咎(とが)めだて、母親も二人をかばいきれない。数日後、政夫は千葉の中学へ発ってゆく。

 「船で河(江戸川)から市川へ出るつもりだから、17日の朝、小雨の降るのに、一切の持物をカバンひとつにつめ込み民子とお増に送られて矢切の渡しへ降りた。(・・・)民子は今日を別れと思ってか、髪をさっぱりとした銀杏返しに薄く化粧をしている。煤色と紺の細かい弁慶縞で、羽織も長着も同じい米沢紬(よねざわつむぎ)に、品のよい友禅縮緬(ちりめん)の帯を締めていた。襷(たすき)を掛けた民子もよかったけれど今日の民子は又一層引き立って見えた。」

そのとき民子は自分を待ち受けている運命を知っていた。心に染まぬ男との結婚、妊娠、そして産褥のためについに政夫と再会することなく死んでしまう。

もう10年近く前、当時葛飾柴又に住んでいた友人に案内されて矢切の渡しを渡し船で越え、松戸の『野菊の墓』の舞台を歩いた。石碑と小さな記念館があった。あたりは宅地化が進んでいたが、そこここに残る潅木の茂みが当時の面影を留めているようにも思われた。

じつは私が最初に自分の小遣いで買った文庫本が『野菊の墓』(新潮文庫)で、当時30円だった。50年前の昭和32年(1957)、中学1年生の頃のことである。お金のない私にも手が届いた。野菊をあしらったカバーが美しかった。今も本棚のどこかに埋もれているはずだ。新潮文庫版には現在も同じカバーがついていているのが嬉しい。それに286円という安さだ。編集部に『野菊の墓』はそのままにしておきたいというこだわり(愛着)をもつ人がいるのだろう。出版社や書店は、文化を次世代へと受け渡す「渡し舟の船頭さん」みたいなものだと思う。

野菊の墓 (新潮文庫)

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