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2009年6月24日 (水)

K先生との、そして音楽との出会い。

K先生は私の小学校の音楽の先生で、どこかアンニュイな(けだるい)雰囲気を漂わせた大柄な美しい先生だった。ちょっと与謝野晶子にもアリダ・ヴァリにも似ておられたかな、と思うのは多分私の記憶の混乱だ。先生はいつも、忘れた記憶を呼び戻そうとされているかのような<遠いまなざし>で教室の生徒を見わたしておられた。その<まなざしの遠さ>が、そのころの私にはどこか秘密めいて思われた。

田舎の小学校の音楽室に大型の「電蓄」(それ以前は手回しの蓄音機。やがてステレオが電蓄にとって代わった)が入った。そこで、先生の授業はときにレコード鑑賞の時間になった。電蓄で最初に聴いたクラッシクは、バッハの『トッカータとフーガ ニ短調』、ストコフスキーの指揮するオーケストラ演奏だった。凄まじい音の奔流に、クラッシク音楽をはじめて聴く田舎少年は腰を抜かさんばかりだった。音楽との衝撃の出会い。それ以来、私は「今日もレコードが聴きたい」と授業のたびにK先生にせがんだものだった。しかし、たいていは「今度またね」と微笑みでいなされた。私たちの卒業式は、K先生の台本・演出で<音楽劇>形式で行われた。(それにしても音楽卒業式なんて、貧乏な時代だったけれど、今思うとあの頃の小学校には何とおおらかで爽やかな風が吹いていたことか!)先生はサイン・ブックに「H君、きっと喜んでくれていると思っています」と<贈る言葉>を書いて下さった。(そのサイン・ブックは今も机の引き出しに大切にしまわれている。)私たち卒業生はドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』で入場した。何か誇らしく、少し面映(おもはゆ)かった。

卒業後、K先生とお会いすることはなかった。ある年(すでに私は高校生になっていた)先生からの年賀状に、「『かくも長き不在』を見た?」と書かれていた。その文字に私はふと心を衝(つ)かれる思いがした。『かくも長き不在』の映画は見ていなかったし、その内容も知らなかった。ただ、先生の「遠いまなざし」と、「かくも長き不在」というフレーズが、そのとき一つになった。少年と音楽との微苦笑を誘う出会いの意味を悟ったと言った方がいいのかもしれない。

夏ツバキが咲いていた。何と控えめで儚(はかな)げな花。

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