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2009年6月18日 (木)

花であること

ラーゲリ(シベリアの強制収容所)の体験にこだわり続けた詩人石原吉郎(いしはらよしろう)の詩語には、肉を切らせて骨を切る白刃(はくじん)の一閃のような凄まじさがある。その彼が「花であること」のような詩を書いていることに、私は彼が背負い込んだ「悲劇」の深淵を垣間見る気がする。

花であることでしか / 拮抗できない外部というものが / なければならぬ / 花におしかぶさる重みを / 花のかたちのままに / おしかえす

そのとき花であることは / もはやひとつの宣言である

私はこの詩に込められた思念の深さに深く共感するものである。と同時に、「なければならぬ」といい、「もはやひとつの宣言である」といい、その<言葉づかい>にただならぬ<殺気>を感じ、「花でありたい」と思い続けて、ついに「花でありえなかった」詩人の悲劇を思う。私としては、せめてレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウのように「タフ(hard)でなければ、生きていられない。やさしく(gentle)なければ生きている価値がない」という<決めぜりふ>くらいにとどめておいてほしかった。

 山吹の うの花の後(あと)や 花いばら(蕪村)

千里川ぞいにうの花が咲いていた。  

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